最後の朝
・・―――迎えに来た?
「えっ?」
だいぶ遅い自己紹介と衝撃発言の後に最初に声を発したのは、鈴歌だった。
目を丸くして、きょとん、という表情のお手本のような顔をしている。
「あた、あたし?」
はっ、と自分のことを言われているのに気づいて、あたふたと返事をする。
まぁいきなり現れた怪しい男に『迎えに来た』とか言われたら無理もないか。
「あ、きみが鈴歌ちゃん?」
「えっ、や、はいっ」
「あー、良かったやっと見つけたよ。いやあ標的確保ってこんなに大変だっ
たっけなぁ」
標的?
しかも「鈴歌ちゃんを迎えに来ました」とか軽く誘拐宣言をしたことを、さっきやっと名乗ったこのリオという男は分かっているんだろうか。
そんなシオンたちの心配はお構いなしに、リオはさっきから瞬きしかしていない鈴歌に向かって親しげに会話を続けていた。
様子から、やはり鈴歌の知り合いではないようだ。
「ちょっとまってください。保護施設って、迎えに来たってどういう事ですか!」
ずっと黙っていた李欄が声を上げた。リオがそれに答える。
「ご存知かもしれないですが、鈴歌ちゃんは能力者です。国際協定に従い『保護』しなくて
はなりません」
その一言で、空気が凍りついたきがした。
「能力者」、80年ほど前に現れ出した人間の突然変異種の総称だ。
いや、増えだした、というべきか。
というのも、その時期より前にも、稀に能力者の疑いのあるものの記録が存在するからだ。例えば、未来予知をする者、動物と話ができるという者、瞬間移動をしたという者。いわゆる、超能力者とよばれていた者たちだ。
そういう者たちが、もはや科学で解明できないことはない―――少なくとも現時点で存在を確認している生物、無生物にはないと思われていた時代に、次々と姿を現し出したのだ。
当然、世界は混乱した。
「普通」の人間と比較して、圧倒的な力の差を持つ能力者。
人々は彼らの持つ力に驚き、恐怖し、嫌悪した。
そして人間はその者たちに対する優位性を示すために―――
能力を持つものを、異端として扱うようになった。
世界各地の政府で、能力者に関する新しい法が作られ始めた。
ある国では、能力者は人間と隔離され、またある街では能力を確認されたものは研究機関に保護され、ある宗派では駆逐された。
そんな能力者の扱いを、誰もおかしいとは思わなかった。誰も止めようとはしなかった。それが、当り前だった。能力者はもはや、人間ではないのだから。
50年ほど、このような事が続いた。
しかし、40年前、ある出来事がきっかけで人間は能力者に頼らざるを得なくなった。そしてその5年後、能力者に人間と同等の人権を与えるという法律が国際連合によってつくられた。
そして、リオはあろうことか、鈴歌がその能力者だと言いだしたのだ。そのとき、シオンは「あること」を思い出した。思い当たる節がないとは言えない。
彼の頭に真っ先にうかんだのは、
―――機械音痴は能力に入りますか?
*
朝、すごくいい天気だ。
部屋の窓から見えるのは透き通るように青い空。白い雲が太陽の光を反射して眩しい。
珍しく寝覚めがいい。昨日のことで疲れていてぐっすり眠れたんだろう、と思いながら、シオンがスウェットの上からカーディガンをはおってリビングに向かうと、子供の笑い声が聞こえてきた。夜海と海月だろう。
ということは、やっぱり今日も皿洗いか、と少し気が重くなる。
こみあげてきたあくびを噛み殺しながら、リビングのドアノブに手を掛けた。
「おはよ、おっ、うわっ?」
ドアの向こうには案の定、夜海と海月がはしゃいでキャッキャッとわらって、
宙に浮いていた。
*
「うわぁ、本当、ありがとうございます。朝食まで頂いちゃって」
リオは目をキラキラさせながらそう言って、夜海と海月と一緒に、しかも双子に負けないくらい大きな声で「いただきます!」と言ってから朝食を食べ始めた。
リオは日帰りで、鈴歌を連れて施設に帰る予定でいたらしく、昨晩は寝泊まりするところがなかった。それで、一晩うちに泊まらせたのだ。
本人は「野宿なら経験あるんで大丈夫です!」と自信満々に言っていたが、夫婦のあふれんばかりの慈悲を避けることは出来なかったようだ。
シオンは少し心配だったが、「野宿なら(以下略)」と笑顔で言われてさすがに少し胸が痛んだので何も言わなかった。
そんなわけで、昨日であったばかりの青少年能力者うんたらかんたらとかいう所から来た年齢不詳で落ち着きがなく、初対面の人間に自分の名前を名乗り忘れるという不安要素もりだくさんの男と同じテーブルを囲んで食事をしているわけだが、
「わあ、すごいおいしい・・・。李欄さんにお嫁に来てほしい・・・。」
こいつ、マジなトーンでいったい何を言い出すか!瑛も李欄もさすがに苦笑いだ。
「・・・あっ、いや、じょ、冗談ですよ?」
もちろん、そうですとも。
ああ、なんだろう。いちいちハラハラする。
「シオン、かおこわーい」
「あ゛?ってかおしてるー」
双子が温野菜を口に運びながらシオンに向かって言う。そしてもう一人、
「え?シオンくん、具合でも悪いの?」
おい、最後のやつ。誰のせいだと思っているんだ。
無邪気な双子と大人一人は、シオンの顔面に暗い影が落ちる(もちろん物理的にではない)のに気付いたふうもなく会話を続ける。
「おじちゃん、ごはんたべおわったら、またふわふわして!」
「またとばして―!」
なんだ、こいつらやけに仲いいな。
「お、おじっ・・・!?う、うん!ごはん食べ終わってからね」
まあ双子から見たら大人なんてみんなおじちゃんなんだろうな。
「はぁ・・・、おじちゃん、かぁ・・・」
こいつは何を本気で落ち込んでるんだ。
「夜海、海月。おじちゃんじゃなくて、おにいちゃん、でしょ?」
鈴歌が二人をたしなめる。
「「はーい」」
「じゃ、おにいちゃん!」
「リオおにいちゃーん!」
「お、おにいちゃん・・・!」
こいつは何をちょっと嬉しそうなんだ?
*
「「「ごちそうさまでした!!!」」」
あー、うるさいったらない。
双子とリオは元気に完食宣言をすると、食器をシンクへ運んでいき、リビングの少し開けたところに集まった。
「よーし、おにいちゃん張り切っちゃうぞー!」
リオがそういいながら腕まくりをする。
うん、やっぱり嬉しかったんだね、おにいちゃん。
そうして、気合を入れた(らしい)若い男が、夜海と海月にむかって右腕を前に突き出して掌が上に来るように返し、人差し指を軽く、ヒョイッ、と曲げる。と、
ふわんっ
双子が浮いた。
はは、やっぱり夢じゃなかったんだ、さっきの。
朝シオンが起きてくると、ガキが二人、宙に浮かんでいた。気がした。
『気がした。』というのは、直後に台所から「朝ごはんができましたよー!」という李欄の声が聞こえたのを合図にガキが三人とも待ってました!とばかりに走り去っていったからだ。
(シオンはとりあえず、時間が過ぎるごとにリオに対する脳内での無礼スキルが上昇していくことについては置いておくことにした。)
あまりに一瞬のことだったので、寝ぼけていたんだろうと思う事にしたが・・・
「現実だったんだ」
だめだ、脳の情報処理スピードが現実にがついていけない。
「すごいねえ、リオさん。朝起きた双子が遊んでってせがんだら、ふわーんって浮かせちゃうんだもん。」
「そうなのよ、もう二人とも大喜びで」
「うん、楽しそうで何よりだね。夜海も海月も」
「へーえ」
そういえば、俺が助けられたときもあの狼もどきは宙に浮いていたな。こんなにふわんふわんとはしてなかったと思うけど。
「あの、リオさん。なんでそんなにふわふわしてるんですか?」
いったとたん、鈴歌と李欄が吹き出した。
おいおい、失礼だぞ。シオンは思った。俺は一言も、行動が、とは言ってない。頭が、と言った覚えも、断じてない。
「ああ、これね?」
ああ、良かった。悪い意味にとられなくて。
「ていうか、硬いなあシオンくん。さん、も敬語もなしでいいよ」
「じゃあ、リオ、何で?」
「適応早いね!」
「まあね、俺のこともシオンでいいよ」
脳内でさんざんに言ってたからタメに何の抵抗もなかったなんて、言えません。
「そうかい?じゃあシオン、教えましょう。なぜ僕が物体を自由に浮遊させることができるかというと―――」
人差し指をくるくるとまわしながらリオが言うと、その足が少し地面から離れた。双子はゆっくりと床に降りてゆき、そのかわりに床に落ちていたバレリーナのような服を着たきれいな羽根の生えた妖精の人形が指の動きに連動するようにくるくるとまわりながら上昇し始める。
その場のすべての人間が目を見開く中、男は回していた指をとめた。するとやはり、人形もこちらを向いたまま、ぴたりと動きを止める。
「僕も能力者だからだ―――重力の」
リオは二ッ、と口元に笑みを宿した。
「そして、君たちもね」
そういった口元は、まだ笑ってはいたが。
その目だけは少し、悲しげに見えた気がした。