違和感
「――――で、きょうも皿洗いなわけ?」
鈴歌があきれ顔で言う。
「うるせえ、悪いかよ皿洗いで!」
じつは数年前からほぼ日課となっている仕事をこなしながら、俺は言葉を返した。
「別に?毎朝大変そうだなって」
「うわ、その言い方ムカツク」
だが大変なのは事実なわけで。
今朝なんか、双子の夜海と海月に腹の上に飛び乗られた衝撃で目が覚めたのだ。
双子は人の上でさんざん跳び跳ねたあげく、「今日もシオンがお皿洗いだよー!!」と、痛みで動けないでいる俺を残して、笑いながら部屋を出て行ってしまった。
瑛め、どんな教育してるんだ!?
「で?今日は何作ってんの?」
思いだしてるとまた腹が痛みだしそうなので話を変える。
今日鈴歌がエプロン姿で隣にいるのは別に手伝っているわけでわなく、ボウルと泡立て器を両手に何か作っているからだ。
「今日はホラ、マドレーヌ!この前李欄に教えてもらってね、作ってみようと思って」
と言いながら振り返って、銀色のボウルの中の、薄黄色いとろりとした液体をこちらに見せた。
「え?これ?何か甘いパンみたいのじゃなかったっけ?」
「これはまだ途中。これから型に流してオーブンで焼くの。シオンもやってみる?」
「いや、俺は食べるほう担当だから」
「何それー、けっこうたのしいのに。あっ、オーブンの操作だけちょっと手伝ってよ」
変わった形の型にボウルの中の液体を器用に流し込むと、調理用機器を指さして言った。
「は?お前まだオーブン使えないの?」
鈴歌はまれにみる機械音痴だ。
この前李欄が風邪で寝込んだ時なんか、一人で家事を片付けようとしてテレビはしばらく作動しなくなり、洗濯機は買い換える羽目になった。
信じられない、とでも言いたげな俺の口調に、鈴歌は顔をしかめる。
「いつも李欄に任せてるんだもん。いいでしょ、こういうの得意なんだし」
「人並だよ。俺が得意なんじゃなくてお前ができなすぎなんだ」
「はいはい、いろいろ言ってると出来上がってもあげないよ」
ったく、しょーがねえ。
「わかったよ」
泡だらけの手を冷たい水で洗い流して、オーブンのほうへ向かう。
オーブンのスタートボタンを押すと、操作画面が映し出される。
はず、なんだが。
「あれっ?」
画面には何も現れず、部屋の明かりを受けて鈍い黒に光っている。
「おっかしいなぁ」
もう一度押してみるが、やはり反応はない。
「どうしたの?」
鈴歌が声をかける。
「いや、ちょっと…おかしいな」
右手で髪をかきあげて画面を凝視するが、眉間にしわを寄せた自分の顔が電子レンジのガラス部分にぼんやり映っているだけだ。
「やあ!珍しいねえ、二人で料理なんて」
「楽しそうじゃない、何作ってるの?」
とつぜんキッチンに響いた声の主は、この家の【両親】の瑛と李欄だった。
「あ!李欄。見てこれ、この前一緒に作ったマドレーヌ。また作ってみようと思って」
「わぁ、上手にできてるじゃない」
「フフっ、ありがと、もう焼くだけなんだけどね、」
少し照れながら鈴歌が言った。
瑛は笑いながら、
「二人でお菓子作りとは、仲が良くていいねぇ」
とからかう。
「ちげぇよ、俺は皿洗いしてたんだ」
俺が不機嫌な声で言うと、李欄が
「あら、シオン今日も寝坊したの?て言うか、もうこれシオンの仕事になってるわよね」
…なにげひどい事を言う。
「あははっ、でもシオンも上達したねぇ」
そんな事誉められてもうれしくねぇよ。
「てゆーかオーブンが全然反応しないんだけど、壊れてんじゃねーの?」
苛立ち交じりにそういうと、瑛が怪訝そうな顔をしてこっちへ寄ってきた。
「え?うそ,ちょっと貸してみて?」
と言って瑛が様子を見に来たので、少し下がる。
「故障はないと思うんだけど…」
と言いながら瑛がスタートボタンを押すが、
((ピッ
えっ?
「あれ?…普通に動くよ、シオン」
「えっ、だって…、え――・・」
((ピッ ピピッ
電子音が続く。
「えーっと、170度で十分っと、これでいいかな?鈴歌」
「うん、ありがと。あとは待つだけだから。」
鈴歌が笑顔を見せる。
「じゃあ今日の夕食のデザートはマドレーヌね。あっ、そうだ、お塩とお肉切らしてるんだった。シオン、かってきてくれない?」
「はあ?何でおれが・・・。」
「嫌ならいいのよ。シオンの夕食は無くなるけど。」
うっ、痛いところを突かれた。
「わかったよ、行ってくればいいんだろ」
育ち盛りの15歳の夕食を抜くなんて、飢え死にしろと言ってるに等しい。
「まあ、ありがとう!やっぱり私たちの育て方は間違ってなかったわ!」
どこか芝居がかって聞こえるのは気のせいだろうか。
しかも育て方っていうか、脅されたんだけどな。
「じゃあついでに料理の本も買ってきてくれない?」
鈴歌が思い出したように言う。
「あ――、データじゃないほうね?」
「そう、繊維紙のほう」
じゃあそのついでに漫画でも買ってこようかと考えながら、「わかった」と返事をした。
「はい、お昼代も入ってるから」
と、李欄から差し出された財布と鞄を受け取る。
「気をつけて」
「気をつけてって、ガキじゃねんだから」
と言って、部屋を出ようとして立ち止り、確かに動かなかったはずのオーブンが作動しているのを振り返ってみる。
無意識に眉根が寄る。
「ん、どうかした?難しい顔して」
瑛に顔をのぞきこまれた。
「いや、何でも。行ってくるよ」
「いってらっしゃい」
3人の声に送られ、俺は何か釈然としないまま、焼き菓子の甘い香りがし始めた家を後にした。