【読み切り】 前世暗殺者の可憐なる勘違いお茶会
きらびやかなシャンデリアが輝く、王宮の晩餐会。アルディス公爵家の令嬢シルフィアは、フリルのついた美しいドレスをまとい、内心で深く感動していた。
(ついに手に入れた……! 前世で夢にまで見た、普通の女の子としての令嬢ライフ!)
彼女には秘密があった。
前世は、近現代の地球で裏社会を震え上がらせた伝説の暗殺者。任務中に命を落とした彼女は、異世界の公爵令嬢として転生したのだ。
今世こそは血生臭い世界と縁を切り、可憐で可愛い女の子として生きる。
それが彼女の固い誓いだった。
しかし、前世で魂にまで刻み込まれた暗殺者の本能は、そう簡単に抜けない。
華やかな会場を見渡したシルフィアの脳内では、無意識に生存戦略が駆け巡る。
(正面のシャンデリア、固定器具が摩耗している。あそこを撃てば五秒で会場をパニックに陥れられる。給仕の三人目、服の下に暗器を隠しているな。懐への手の入れ方からして十連発のボウガン……ダメダメ! 私は普通の可憐な女の子!)
必死に頭を振って殺意をかき消し、シルフィアは完璧な淑女の笑みを浮かべた。
そこへ、この国の第二王子であり、近衛騎士団長でもあるレオンが歩み寄ってくる。
文武両道で鋭い洞察力を持つ彼は、シルフィアをじっと見つめた。
「素晴らしい立ち姿だね、シルフィア嬢。一瞬の隙もない。まるで数多の戦場を潜り抜けてきた戦士のようだ」
「ふふ、恐れ入りますわ。わたくし、お庭で蝶々を追いかけるのが得意なんですの」
微笑むシルフィアだったが、レオンの目は騙せない。
(蝶々(ターゲット)を追いかけて仕留めるのが得意、という意味か……油断ならん令嬢だ)
と、レオンの脳内で勘違いの歯車が回り始めていた。
数日後、シルフィアは貴族学園のサロンで、公爵令嬢のエレナが主催するお茶会に招かれた。
「ようこそ、シルフィア様。お会いできて光栄ですわ」
エレナは親しげに微笑みながらも、新参者のシルフィアが社交界で注目を集めるのが気に入らなかった。
彼女は事前に、お抱えの給仕に「粗相のフリをして、熱い紅茶をシルフィアのドレスにぶちまけろ」と命じていた。
シルフィアがソファーに腰掛けたその時、給仕がわざとらしく足をもつれさせた。
「わっ!」
どろりとした熱い紅茶が、放物線を描いてシルフィアの顔面と純白のドレスへと迫る。
普通の本物の令嬢なら、悲鳴を上げて汚されるだけの場面。
だが、シルフィアの視界は、前世の修羅場で培った「死線」に入り、スローモーションに切り替わっていた。
(紅茶の弾道、時速二十キロ。反射的に頸椎を折って転がり、給仕の足を払って制圧……はダメ! 令嬢はそんな野蛮な動きしない! 悲鳴を上げて避ける? いや、ドレスが汚れたら女の子として失格!)
シルフィアが選んだのは、前世の戦闘技術だった。
「あら?」
シルフィアは上品に小首を傾げた。
その瞬間、彼女の身体はミリ単位で駆動し、飛来する紅茶の軌道をすべて完全に、かつ優雅に回避する。
さらに、彼女は自由な右手をそっと差し出した。宙を舞っていた磁器のカップが、まるで吸い込まれるように彼女の指先に収まる。
最後の一滴の紅茶まで、一滴たりともドレスを汚すことなく、カップの中に綺麗に収まった。
カチャリ、と上品な音が響く。
「……まぁ。危ういところでしたわ。手元が狂ってしまわれたのね?」
シルフィアは満面の笑みで、パニックになっている給仕にカップを返した。
周囲の令嬢たちは、何が起きたか分からず呆然とした後、一斉に戦慄した。
(何という身のこなし……! 私たちの罠など、最初から見抜いて弄んだというの!?)
エレナは顔を真っ青にしてガタガタと震え、シルフィアを「底知れない怪物」として崇拝の眼差しで見つめ始めた。
その様子を、サロンの入り口からレオン王子が静かに見ていた。
レオンの目には、シルフィアが「敵の奇襲を完璧に予測し、最小限の挙動でいなし、同時に相手の戦意を完全に喪失させた」ようにしか見えなかった。
(凄まじい技量だ。アルディス公爵家は、一体どんな秘密組織と繋がっているんだ……!)
お茶会が終わり、夕暮れの帰り道。
中庭でレオンが再びシルフィアの前に現れた。
「見事な防衛戦だったよ、シルフィア嬢。あの状況から一滴も溢さずカップを回収するとは。君は一体、どれほどの修羅場を潜ってきた?」
レオンの目は真剣そのもので、彼女の「裏の正体」を暴こうとしている。
シルフィアは内心で頭を抱えた。
(うわあああ! バレてる!? いや、気のせい! 普通の女の子はここでなんて言うの!? ええい、少女漫画の知識よ、私を救え!)
シルフィアは頬を赤らめ、上目遣いでレオンを見つめた。
「……レオン様の前で、はしたないところをお見せしてしまいましたわ。わたくし、ただ……大好きなレオン様の前で、お洋服を汚したくなかっただけなのです」
これ以上ない、完璧な「恋する乙女」のセリフだった。
しかし、レオンの脳内フィルターはこれを最悪の形に翻訳した。
(――なっ!? 『私の前で服を汚したくない』……つまり、私を敵に回せば、いつでもその服を返り血で染める覚悟がある、という脅迫か……! なんという強者の余裕だ!)
レオンはゴクリと息を呑み、緊張の面持ちで彼女の手を取った。
「……分かった。君の実力と覚悟は認めよう。私も君を敵に回すつもりはない。これからもよろしく頼む、シルフィア」
「はい! よろしくお願いしますわ、レオン様!」
(やったー! 恋の約束ができちゃった!)
前世の暗殺スキルが生む、完璧なすれ違い。
普通の可愛い女の子を目指すシルフィアの明日は、どっちだ。




