影のないきみ
八月の終わりが、近づいていた。
空はまだ青いのに、
どこか少しだけ、透き通っている。
その日は、夕方に会った。
西日が強い時間。
影が、いちばん長くなる時間。
夏海は、防波堤の端に立っていた。
白いワンピースが、夕日に染まっている。
「遅い」
「ごめん」
並んで歩く。
海が、金色に光る。
ふと、足元を見る。
僕の影が、長く伸びている。
コンクリートの上に、くっきりと。
隣を見る。
白いワンピース。
揺れている。
でも——
地面に、何もない。
一瞬、目が追いつかない。
波の反射かと思う。
立ち位置を変える。
夕日が、横から差し込む。
僕の影は、さらに長く伸びる。
でも、夏海の足元は、
ただ明るいだけだった。
心臓が、強く鳴る。
「……夏海」
「なに?」
振り向く。
いつも通りの顔。
「そこ、動かないで」
「え?」
「お願い」
彼女は首をかしげながら、立つ。
夕日が、真横から当たる。
僕の影は、地面に落ちる。
はっきりと。
でも。
やっぱり。
ない。
影が、ない。
喉が、からからになる。
「……どうして」
夏海は、少しだけ目を伏せた。
それから、困ったように笑う。
「気づいた?」
その言い方は、
ずっと前から分かっていたみたいだった。
「なんで、ないんだよ」
声が震える。
「うーん」
少し考えるふり。
「わたし、ちゃんとここにいるけど、ちょっとだけ違うから」
「違うってなに」
「夏だから」
意味が分からない。
「最初から?」
自分でも驚くくらい静かな声だった。
「うん」
あっさりと。
「最初から」
夕日が、沈みかける。
彼女の足元は、最後まで明るいまま。
「消えるのかよ」
その言葉は、勝手に出た。
夏海は、少しだけ微笑む。
「夏が終わったらね」
手を伸ばす。
触れる。
ひんやりしている。
でも確かに、そこにいる。
「ちゃんと触れるでしょ?」
そう言って、僕の手を握る。
影はない。
でも、温度はある。
声もある。
笑顔もある。
それが、いちばん残酷だった。
潮の匂いが、濃くなる。
出会った日の匂いと、同じだった。
僕は、初めて理解した。
この夏は、終わる。
そして彼女は——
最初から、それを知っていた。




