あの夏の、その先
あれから、何年か経った。
背は伸びた。
声も少し低くなった。
もう、防波堤を走っても転ばない。
でも——
八月の終わりが近づくと、
どうしても海に来てしまう。
祖父母の家は、あの頃とほとんど変わらない。
縁側も、風鈴も、潮の匂いも。
ばあちゃんは少しだけ歩くのが遅くなった。
じいちゃんは相変わらず無口だ。
時間は進んでいるのに、
この町だけ、少しだけ夏を抱えたまま止まっている。
防波堤に立つ。
あの日と同じ場所。
夕日が、海に落ちていく。
潮の匂いがする。
目を閉じる。
白いワンピースが揺れる。
少し困った笑い方。
ひんやりした手。
思い出は、薄れない。
むしろ、歳を重ねるたびに、
あの夏がどれだけ特別だったか、分かってしまう。
「……夏海」
声に出してみる。
風が、吹く。
返事はない。
でも、不思議と寂しくはない。
あの夏、僕は確かに恋をした。
言わなかった。
言えなかった。
でも、それでよかった。
あの子は、最初から全部知っていた。
終わることも。
僕の気持ちも。
それでも、隣にいてくれた。
防波堤の端まで歩く。
夕日が長い影を落とす。
僕の影だけが、伸びる。
ふと、笑ってしまう。
「……ちゃんと覚えてるよ」
約束なんてしていない。
でも、確かに言われた。
——ちゃんと、覚えててね。
潮の匂いが、ふわりと濃くなる。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
白い布が揺れた気がした。
振り向かない。
もう、振り向かない。
空は、あの日と同じくらい青い。
夏は終わる。
でも、あの夏は終わらない。
きみは、
今も、
夏の匂いがする。
僕の中で、ずっと。
——完——




