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第8話 イヤキチ 最終章

「イヤキチ」は、いつもより静かだった。

扉を開けると、薄いジャズが流れ、カウンターの奥で亜希子がグラスを磨いていた。

常連の数人が低い声で談笑しているが、笑い声にはどこか落ち着いた響きがあった。

昌司は扉の前で一瞬立ち止まり、店の中を見回した。

照明の下、棚やカウンターの上を目でなぞる。

「無いな」

あのオルゴールが、どこにも見当たらなかった。

「いらっしゃい、昌司さん」

亜希子が微笑む。

その声に促されるように、昌司はいつもの席に腰を下ろした。

「……誕生日、おめでとう。仕事がバタバタしてて来れなかった。」

「その辺は光宏から聞いているわ。ありがとう。あの日はね、いろんな人が来てくれて、賑やかだったのよ」

そう言って亜希子は、軽やかに笑った。

昌司は頷きながら、ふとカウンターの奥に視線を向ける。

グラス、花瓶、小さな置時計。

だが、あの黒檀の木箱は見つからない。

ほんの一瞬、胸の奥がざらつく。

気にするほどのことではない、そう思いながらも、言葉が喉の奥で滞った。

「ビールでいい?」

「……ああ、うん」

彼女が冷蔵庫を開ける音が響く間、昌司は無意識に掌を組んでいた。

プレゼントがどう扱われたのかを確かめるつもりではなかった。

ただ、知りたかった。あの音が、今どこで鳴っているのかを。





その夜、店が閉まったあと。

亜希子は薄暗い部屋に戻り、ベッドの脇の小さな台に手を伸ばした。

そこにあるのは、あのオルゴール。

木の香りを残したまま、ゆっくりと蓋を開ける。

ゼンマイを回すと、静かな機械音のあと、優しい旋律が流れ始めた。

《ラ・メール》。

海のさざめきのような音が、部屋の闇に溶けていく。

亜希子はベッドに身を沈め、目を閉じた。

心の中で、店に来ていた昌司の姿を思い出す。

彼がどんな顔でこの音を選んだのか、その思いを感じるように、

彼女は静かに息を整えた。

窓の外では風が夜の街を撫で、遠くの車の音が過ぎていく。

オルゴールの音だけが、部屋の中で絶え間なく続き、

やがてその音が、彼女の眠りとともに静かに消えていった。

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