第7話 イヤキチ 後編
平蔵の店の奥、古い掛け時計の針が小さく時を刻んでいた。
店の出入り口の辺りに剥き出しで置かれている骨董品とは異なり、店の奥の棚には陶磁器やブロンズ像が静かに並び、その隙間にほこり一つない。
夕方の斜光がショーケースのガラスに差し込み、金属の縁が鈍く光っている。
カウンターの内側で平蔵が帳簿を閉じたところに、昌司が入ってきた。
「悪いね、こんな夜遅い時刻に。」
その後ろから悟が顔を出す。
「前に言っていた、ママへの誕生日プレゼントのことかいな?」
「悟くんに店の雰囲気を見てもらったんやけど。俺はそういうセンスには疎いからな。他の調度品に馴染める品をプレゼントしたいんやけど。」
昌司が照れくさそうに言うと、平蔵は腕を組んで考え込む。
「なるほどな……。趣味が良い相手なら、下手なもんは渡しにくいわな。」
視線を悟に向けて、
「お前から見てどう思った? こういう時、何を選ぶ? それなりに店内は観察したんやろ。」
と問いかけた。
悟は少し考え、店内を見渡して棚の奥を見上げた。
そこには、黒檀の木箱に収められた古い洋式のオルゴールがあった。
蓋の内側には金細工の蔦模様、ハンドルを回せば、わずかに低い音で機械の駆動音が鳴る。
「これなんかどうですか。女性にはきっと、印象に残ると思います」
昌司がガラス越しに見つめ、「綺麗だな……」と呟く。
百年以上前のスイス製。曲は《ラ・メール》平蔵の表情は微妙に固まった。
「いや、それは……値が張るぞ。下手すりゃ、中古車が買える」
「そんなにですか」
「そんなに、だ」
昌司は苦笑いしながらも、オルゴールから目を離せない。
金属の彫刻が光を受け、まるで息をしているように見えた。
「気持ちはわかるけどなあ……もう少し手頃なものにしとけ」
平蔵の言葉には、商売人としての現実的な響きと、どこか親心めいた温かさが混じっていた。
悟は黙ってオルゴールを見つめたまま、小さく呟いた。
「でも、ママさんの店には、これが一番似合うと思います。」
平蔵は深いため息をつき、
「まったく……若いってのは無茶を言うもんだな」
と言いながら、鍵束を手に取った。
ガラスケースを開けると、古いゼンマイの香りが静かに立ちのぼった。
*
午後の光が傾きかけたころ、悟は店の片隅で平蔵に声をかけた。
「このあいだ、ママさんの店でちょっとした騒ぎがあって。泥酔した客が昌司さんに絡んで……」
平蔵は手を止め、静かに眉を寄せた。
「ふむ……昌司に?」
悟はうなずき、ことの経緯を淡々と話した。
平蔵はしばらく黙ったまま、帳簿の端を指で叩いて考え込む。
やがて、目線を悟から外し、奥の棚のオルゴールに視線をやった。
「悟、昌ちゃんの携帯の番号は知っているな。時間のある時に店に寄るように伝えといてくれ。」
その声には、短くも確かな意図があった。
*
「イヤキチ」裏口の軒先。
積み上げられた酒瓶の間で、光宏が瓶を箱に詰めていた。
「みっちゃん、ちょっといいかな?」
振り返った顔の額に、汗が光る。
「ああ、昌司さん。いいですけど、どうしたんですか?」
昌司は無言で紙袋を差し出した。
中には、丁寧に包まれた小箱。リボンの端が少し緩んでいて、持ち主の迷いの跡がそのまま残っていた。
「これ、ママへの誕生日プレゼントなんだけど、代わりに渡してもらいたいんだよ。」
光宏は戸惑いを隠せず、眉をひそめる。
「え、でも……こういうのは、直接渡した方がいいんじゃないですか?」
昌司は小さく笑った。
その笑みには、どこか照れと、言い訳のような諦めが混じっていた。
「当日は仕事が詰まってて、店に行けそうにないんだ。悪い、頼むよ。」
そう言うと、彼は光宏の手に紙袋を押し付けた。
その指先にわずかな力がこもる。
「壊すなよ。大事なもんだから」
光宏が何か言いかけたときには、もう昌司は背を向けていた。
作業場を抜ける足音が遠ざかり、残された光宏は手の中の紙袋を見つめた。
包み紙の下からほのかに香る木の匂い、オルゴールの匂いだった。
風が吹き抜け、瓶の中で乾いた音が一つ鳴る。
光宏は小さく息をつき、
「……不器用な人だな、ほんとに」
と呟きながら、紙袋を胸の前で抱え直した。




