第5話 イヤキチ 前編
カウンターの奥に腰を下ろし、薄暗い店内を見渡した。
陽の光は午後の斜めの角度で、骨董品たちの埃を浮かび上がらせている。平蔵から掃除は指示されていないが、暇つぶしで勝手に掃き掃除や雑巾がけは行うものの、素人の自分が骨董品に触れることは無い。棚の上には、色あせた西洋人形や、金彩の剥げかけた茶碗、何に使うのか見当もつかない金属の器。どれも一応「商品」なのだが、値札はひとつとして付いていない。
「……これ、いくらくらいするんなんだろうな」
ぽつりと独り言を漏らす。
平蔵に尋ねたことがある。だが返ってきたのは「値段は人による」という、まるで禅問答のような答えだった。
欲しそうな客には高く、通ぶった客には試すように安く言うということなのだろうか…
それとも、相手の人格や熱意などを評価して、平蔵の胸三寸で値段を決めているのだろうか…
オークションでもあるまいし。悟にはその感覚がいまひとつ分からない。
値段が無いと、どれ程の価値がある品物なのかが分からなくなる気がする。
五百円の皿なら気軽に触れられても、五万円と言われたら物怖じしてしまうように。
人によって金銭感覚は異なるが、物には値段という共通の測りのようなのが必要だと思う。
けれど、この店ではそれを外している。
棚の奥で、古びた懐中時計がかすかに音を立てた。
悟はその音に耳を傾けながら、ふと考える。
もしかすると、平蔵は、客に「値札の無さ」で何かを測っているのかもしれない。
物と向き合う相手が何を感じ、どんな顔をするのか。それを見て値を決めるのだとしたら、品物の値打ちは、結局「人間の側」にあるのだ。
そう考えると、埃をかぶった品のひとつひとつが、少しだけこちらを見返しているように思えた。
「カラン」
来客を告げる扉の鐘が鳴った。
店の出入り口に目をやると、清潔に刈り込まれた短髪。長身で精悍な顔立ちの男性が立っていた。
その顔は、どこかで見かけたような気がするが、思い出せない。
「いらっしゃいませ。」
少しづつ慣れてきて、最近は、それくらいの挨拶は言えるようになっている。
「平蔵さんはいらっしゃいますか?」
男性は店内を少し見渡してから聞いた。
「店主は出かけておりますが、もうすぐに戻ってくると思います。」
いつもの平蔵の行動パターンだと、そろそろ店に戻ってくるはずだ。
まぁ、困った時は打ち合わせどおりに平蔵の携帯に電話すればいい……多分。
「そうですか。では、それまで少し観させてもらいますね。」
男性は自然な感じで悟に店員と接するような口調で伝えた。
「ええ、どうぞ。」
この店の店員と思われたことが嬉しくて自然な笑みで答えた。
男性は店内に、どのような品が置いてあるのかを調べる様な感じで店内をゆっくりと歩き廻っている。
特に決まった品を探しているような様子でもない。
素人の悟は黙って待機するしかなかった。
「カラン」
平蔵が店に戻ってきた。
「あれ、昌ちゃん、今日はどうしたん?」
店内で彷徨い歩く男性に気付いた平蔵が尋ねた。
昌ちゃん……、あ、そういえば、以前に平蔵が寿司の出前をした時に会ったことのある昌司さんだ。
そう、思い出した。だから、あの人は自分のことを知っていたのか。
「こんにちは、平さん。今日は客として来たんや。」
しゃがみこんで品を観ていた姿勢から、安堵した笑顔で立ち上がり答える。
「そうか。最近はどないよ? お前も、そろそろやろに。」
束ねた競馬新聞で頬を搔きながら、自分の机に向かいながら尋ねる平蔵。
「親方からは、暖簾を分けてやるから自分の店を持てと言われとう。でも、俺には……」
「そうか。それで買い物って、なにや?」
「誕生日のプレゼントがしたいんや。いつも飲みに行っている店のママに。」
「ママへの貢物が欲しいんか?」
「そうやないやけど。彼女の喜ぶ顔が見たいなと」
「んで、ここで、なんか、ええ物はあったんか?」
「それが…どれがええんか、分かれへんねん。」
このやり取りを聞いていた悟は完全に部外者のような気持になった。
そもそも、どうして平蔵の店なのか?
女性へのプレゼントを買いにいくのなら他に多くの店があるのに。
「彼女の店には、アンティークというのかな、古そうな物とが飾られていて、そういうのが好きなんかなあと。それで、この店やったら相応しい品が見つかるかと思ってな。」
「店の雰囲気とかが分かったら、それなりに勧めようもあるんやけど。ワシが店に飲み行くっていうんもな…
悟、昌ちゃんと一緒に店に連れて行ってもらって、若者の感性で雰囲気をワシに伝えてくれ。それで、昌ちゃん、誕生日には、まだ日はあるんやろ?」
頬杖をついていた手の親指で髭を掻きながら言う。
「まだ、半月くらいはあるな、俺はいいけど、悟くんはお酒は飲めるの?」
「お酒は飲めません。」
酒が飲めないというよりも、あえて飲んでいない。
小、中学生の頃から部活動で柔道に精進して作ってきた身体にとって、アルコールは適していないという判断からだ。
「じゃあ、ウーロン茶でも飲んでいたらいいよ。ママの手料理は美味しいから、それを食べに行く感じでもええと思うわ。」
という訳で、悟の東門筋へのデビューが決まったのだった。




