第3話 グッドモーニング
まだ、観光客もまばらな午前の通り。
悟は店先の歩道でホウキを動かしていた。
留守番を任されているが、客などめったに来ない。
そのかわり、溜まるのは埃ばかりだ。
「すみませーん。」
その声に後ろを振り向くと、銀色のトレーを胸に抱えたエプロン姿の女性が立っていた。
肩までの髪は清潔に纏められており、垢抜けた雰囲気。
自分と年齢はさほど変わらないだろう。でも、どこか大人っぽく見えた。
「おはようございます。あの、店に入りたいんですけど…」
エプロンには、喫茶「木漏れ日」と刺繍が縫ってある。
千春は初対面の悟に気づいて尋ねた。
「あなたは?」
「おはようございます。えと、この店の者です。」不意の質問に拙く答えてしまう。
「へー、店員さんを雇えるほど、意外と繁盛してたんだ。知らなかった。今までお客さんらしき人と遭遇したことは、ほとんどなかったから。」千春は少し驚きながら呟いた。
「店員というより。うーん、留守番というか、雑用係みたいなもんです。」ありのままに伝えた。
「そうだったんですね。」
そして、イマイチ状況が飲み込めていない表情を浮かべている悟に、ニッコリと微笑みながら言った。
「食器を取りに来たんです。モーニングの。」
そういえば、平蔵の机の上に食後と思われる、コーヒーカップと皿が置かれていた事を思い出した。
「祖父は出かけておりますが…あ、持ってきましょうか?」
「いえ、いつも勝手に持って帰っているんで。」
千春はそう言って悟の側をすり抜けて店内に入っていった。
慣れた様子で平蔵の机まで歩き、トレーに食器を乗せる、店の出入り口へ向かいながら、「さっき、祖父って言ってたけど、平ちゃんのお孫さん?」
「平ちゃん!?…ひょっとして、祖父の御親友の方か何かですか?」
フフフフッと、千春の口から声が漏れた。
「アタシ、あなたのお爺さんから幼い頃から可愛がってもらっていて、何時しかそう呼ぶようになっただけ。」
そして、出入り口の前で立ち止まり悟の方へ振り返ると「アタシの店、すぐそこなんだ。ランチとかもやってるから、又、食べに来てよ。」そう言って、無邪気な子供のように手を振りながら、店を出ていった。
そんな彼女に、悟は妙な親近感が湧き、無意識のうちに自分も手を上げて千春を見送っていた。
喫茶「木漏れ日」は本当に平蔵の店のすぐ近くに在った。
「こんなに近いんだったら、デリバリーなんかしないで店で食べればいいのに。」単純に思った。
ランチタイムということもあってか店内は満席だった。観光客というよりも、近所の常連さんといった感じの人たちが多い。
自分に気づいた千春が声をかけてくれた。
「さっきの清掃係くんじゃない。早速、来てくれたんだね。」
「ええ、コンビニばかりで飽きてしまって。偶には手料理が食べたいなと。」平蔵の店の近くにある飲食店を全く知らなかったので、千春のお誘いは助けに船だった。
「全てのメニューが手作りだから安心してよ。すぐに席は空くから、少し待ってて。」
そう言われて、待ち客の椅子に座って店内を眺めた。ホールには千春の他に中年の女性が一人いたが、二人の会話のやり取りを聞いてパートタイマーの人だと分かった。
「お母さん、キッチンの方を手伝わなくて大丈夫?」すると、キッチンカウンターから千春と顔立ちの似た女性が現れた。
「今日は平沢さんが入ってくれているから大丈夫。」
「了解ー」
常連さんと談笑する千春。
おそらく、彼女はこの店の看板娘なのだろう。
会計を済ませた客が出ていくと、テーブルを拭いていたパートさんが席へ促してくれた。
メニューを開いて驚いた。
喫茶店でこんなに多くの食事の品目を出せるなんて。
初めての店で何を注文するべきか分からなかったので、日替わりのランチにすることにした。
「うん。今日は、それがオススメ。今は引退してるけど、前は洋食レストランのオーナーシェフだった人が作ったカニクリームコロッケだから。」注文を聞きに来た千春が言った。
「そっそう。それは良かった。」
彼女の馴れ馴れしい口調につられて自分の口調も変わってきている。
冷凍食品のカニクリームコロッケしか食べたことのない自分にとって、「木漏れ日」のカニクリームコロッケは目が飛び出るほどに美味しかった。
店を出て通りを見渡す。お洒落で洗練された観光地、神戸北野異人館街。
この街にいると、今までとは違う自分に変われそうな気がした。




