あまりにも悪質なイタズラ電話
家に帰ると留守番電話が一件入っていた。
疲れ切った体のまま再生ボタンを押す。
二十二時を回り、すっかり暗くなった夜の闇がカーテンから浸りこみ、重みさえ感じるほどの静けさの中、世界に線を指すような機械音のあとに声が聞こえた。
知らない人の声だ。
電話口の相手は笑っていた。
「よぉ。◯◯」
私の名前は☓☓だ。
つまり、これは間違い電話。
そのまま消しても良かったのだが、疲れ切っていた私はなんとなしに録音を聞いていた。
「お前が悪いんだからな」
いきなり雲行きが怪しい。
今にして思えばすぐにでも消すべきだった。
けれど、愚かにも私はその声を聞いていた。
「お前の娘。本当にお前にそっくりだな」
直後、聞くに耐えない大きな打擲音と共に泣き叫ぶ子供の声が聞こえた。
思わず身を乗り出す。
一体、電話口で何が起きているんだ?
「泣いてるぞ。母親なら早く助けてやるべきじゃねえか?」
再びの打擲音。
先程よりも大きい。
「うるせえんだよ!!」
子供の泣き声より響く男の声。
怒鳴りつける声。
止め処なく続く恐ろしい暴力の残響。
気づけば私は震えていた。
後に続く言葉が予想出来たからだろう。
「さて。お前の娘はどこにいるんだろうな? 果たしてお前は娘を助けることが出来るんだろうな? お母さんなら助けられるよな?」
予想に違わず電話口から私を……いや、本来、聞くべき相手へ向けた挑発の言葉が聞こえた。
「お母さん!! 助けて!! 痛いよぉ!!」
泣き叫ぶ少女の声が聞こえ、そして。
電話は切れた。
暗い部屋の中、私は取り残された。
夜の闇が深く、重く、そして息苦しくなった。
どうすればいい!?
電話口の人物はしっかりと相手に伝えた気でいる!
しかし、実際には間違い電話をしているのだ!
これでは事情こそ知らないが捕まっている少女が危ない!
私はパニックになったままスマホで警察に電話していた。
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所変わって、一人の男と一人の少女。
そして、やつれた表情の女性が椅子に座っていた。
「これでよし、と」
一仕事終えた表情で男が手に持っていた皮のベルトを置いた。
留守番電話に残っていた打擲音はこれを使った音なのだ。
しかし、実際に叩いたのは少女ではなく側に転がっていた丸めた布団であり、当の少女はスマホいじりながら言った。「そだねー、おつかれさまー」
そんな様を見てやつれた表情の女性は呆れ半分に感心していた。
あんなにも迫真の泣き声をあげていたのに少女はスマホから視線一つ動かしていなかったのだ。
「さてと」
男は女性に向き直り言った。
「これで終わりです」
女性は悩ましげに黙っていたが、やがて無言で封筒を差し出した。
中身は千円札が五枚だけ入っている。
つまり、彼らに対する報酬だ。
男はそれを少女に手渡しながら言った。
「はい。確かに。これであの人は行方不明の事件がニュースになるたびに、嫌〜な気持ちになりますよ」
女性は躊躇いがちに問いかける。
「本当に気にするでしょうか?」
「そりゃ、気にするよ」
女性の問いかけに少女が答える。
「だってさ。救えたかも知れない命が自分のせいで奪われたかもしれない……なんて一生思って生きていくんだよ? 自分に置き換えてみてよ。少なくとも私なら最悪な気持ちになるかな」
そう言われて女性は黙り込む。
確かにそうかも知れない。
自分に一切の非がなくとも、僅かでも関わってしまい、そしてその結果誰かの命が失われるとなれば、それはあまりにも耐え難い気持ちになるだろう。
「けど、アイツは普通じゃないんですよ。だって、学生時代に私をあんなにも………」
「虐めた側はそんなこと覚えてないよ。なんなら、お姉さんのことも覚えていないんじゃない?」
女性は再び黙り込んだ。
そんな彼女に対して少女はスマホから顔を上げて微笑みかける。
「お姉さんも昔のことなんて忘れて生きていきなよ。せっかく時間が経ったんだからさー」
その言葉を受けて、女性はようやく、不器用であったけれど……微笑むことが出来た。
何度か頭を下げて去っていく女性を男と少女は手を振って見送った。
男と少女……彼らは言わば復讐屋。
復讐をしたいと願う相手から依頼を受けて、復讐の手助けをするのだ。
しかし、暴力的な手段は用いない。
彼らがすることはイタズラ電話をかけるだけ。
依頼人たちからすれば、効果があるのかさえも疑わしいものだ。
しかし、この程度のものだからこそ、依頼人は大きな心の負担を持たずにすむ。
「さて、今回のターゲットはどのくらい病むかねー?」
少女の問いに男は答えた。
「知らねえよ。余計なことなんて知らねえほうがいいんだ」
男はそう言って笑う。
「ほれ、十五分後には次の依頼人が来るぞ。喉の調子は大丈夫か?」
「ちょっとのど飴だけ舐めさせてー」
些細でありながら絶大な効果を持つ彼らの復讐……もとい悪質なイタズラ電話をかける商売は今日もまた風邪繁盛していた。