第1部9話 メニューにないオーダー
私のお店“御洒落“は駅近だけど、大通りから少し外れた路地裏にあって、ちょっとだけ見つけづらい位置にあった。
わざわざ何でそんなとこにお店を構えたのかは、また別の機会に話すけど、予想以上にお客さんが来なくて、いっつも泣きべそかいてた。
そんな閑古鳥の鳴いてた頃に、私はあいつと出会ったのだ。
雨の降る夜の19時。雨の日はどうしても客足が途絶えちゃうんだよね、と無客の言い訳を自家発電してると、雨の音とともにカランコロンと呼び鈴の音が鳴った。
「いらっしゃいっ」
できるだけ暖かく、距離感のない言葉で迎えたくて、「いらっしゃい」という言葉を選んだ。
ドアの隙間から垣間見えたのは20代半ばくらいの男の顔。その拍子に私と目が合う。私がニッコリと微笑むと、そしたらパタリと扉が閉まってしまった。
おいおい、人の顔見て閉めるのは失礼だろう?
私は忍者もびっくりの身のこなしでカウンターを飛び越え、扉を開け、雨の中その男を追いかけた。
「ちょい待ち!」
しかし、彼は止まらない。私はイラっとして、思わず彼の腕を掴んで強引に引き留めた。せめてもの償いに笑顔は忘れない。
「一杯サービスするから、飲んでいって」
肩で息をする私の勢いに気圧されたのか、彼はお店についてきてくれた。
「ごめんなさいっ! つい勢いで……」
「問題ない、が、店の外まで追いかけられたのは初めてだ」
妙な話し方をする無表情な男だった。黒髪眼鏡で真面目そうなサラリーマンという出立ち。
「さて、何を出しましょう? 遠慮なく選んでねっ」
「……」
彼はメニューを凝視したまま、口を開かない。
「このオリジナルカクテル“洒落乙“なんてオススメだけどーー」
と言ってみたものの、彼の仏頂面は変わらない。
「メニューになくてもいいから、とりあえず言ってみ?」
「しかしだな……」
そう言うと再びむすっと押し黙ってしまう。私は思わず頭をかきむしった。
「あーもうっ話せ! 私が何が何でも飲ませてやるから、話せ!」
「うーむ……今は、“オレンジーノ“の気分だ」
私は思わず首を傾げた。そんなカクテルの名前は聞いたことがない。
「……オレンジジュースってこと?」
「いや、生搾りや百パーセントのオレンジジュースは好かんのだ。微発泡の炭酸オレンジジュース。人工甘味料の不自然な甘さが好きなのだよ」
「ず、随分と変わった舌してるわね。さすがに“オレンジーノ“は置いてないなあ」
「そうか……」
彼はため息をついて再びメニューを眺め始める。
ーーパチンッ
彼のため息を引き金にして、私の中で何かのスイッチが入った。私のホスピタリティを試してるの? なめんなよ?
「ーーちょっと、店番してて。仕入れてくるから」
「は? 何を?」
「何ってオレンジーノに決まってるでしょっ!」
私はエプロンをかなぐり捨て、店を飛び出した。初対面に店番を任せる私、どうかしてるぜ。
まずは一番近くの自販機に向かった。しかし残念ながら、オレンジーノは見つからない。仕方なく、別の自販機へ走る。今度はオレンジーノがあった! しかし、売り切れ。チクショー!と芸人顔負けの雄叫びをあげながら次へ。
ここもない、ない、ない、ない。
しかし、諦めるわけにはいかない。これ以上、あいつのため息は聞きたくない。絶対に阻止してやるのだ。