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第9話 弔問


 見通せぬ闇のむこうから、ひたひたと迫りくる気配は俗悪なものというよりも、ひとに畏敬を求めるもの。


 自然とこうべが垂れる。


 まだ体中が灼けるように痛いけれど、その痛みのせいではなく、目にみえぬ重石おもしかつがされてでもいるかのようにあたまをあげることができない。


 再び地面に丸まったままの視界に、黒い着物の裾からのぞく真っ白な素足が映りこんだ。女当主の足は平然とまえへ進み、ばさりと何かを取りだしたようだ。冷たく刺すような声が冷えびえと闇をつらぬく。


「鬼門より来たるものよ、我が命に従い、蕭条しょうじょうとして穢土えどへ帰れ。いまだときは至らず」


 ばさり、ばさり、かすかな紙の音がして、じわじわと重石おもしが失せ、気配が失せていった。あわせて女当主の素足もまた幽かにゆれながら後ずさる。あいまみえた熟練の剣士が牽制しながら距離をとるような、撃剣の舞いでもみせられているかのような。


 すっと空気の張りがくずれた。


 抱きしめたままだった怜子が身動みじろぎし、うすく目をひらく。


「ごめんね」


 何にともわからない謝罪をして、よわよわしく伸ばした右手を僕の頬にあてる。おそろしいほど冷たく、氷のような手を。


 しゃりしゃりと土を踏んで女当主の真っ白な素足がそばに立った。着物が土に触れ、裾がはだけるのも知らぬかのようにしゃがみこむ。怜子に向かって、


「どうだ、いうたとおりであったろ。これにりたら、勝手に外へ出るな。母親のようになりたくはなかろう。かわいいめいを化け物に食わせる気はないわ!」


と告げると、そのにんまりとした目を、そのまま僕の方に向けた。


「小僧、おまえも帰れ。才が立つこともなく、半端者が。しょせんは目方のないくずさな。あるのは両の目だけか。

 多少なりと役立つかと思うたが、くだらぬ、くだらぬ。これ以上、当家に関わらぬが身のためよ。もっとも、これでもまだ訪ねて来るだけの気概があるかのう」


 かかか、と楽しそうに笑う。


 その夜のことは、もう遠い日のこととなり、そのあと、どこをどう歩いて家へ帰ったか、父にとがめられたり叱られたかどうか、なにもかもがぼうとしてかすみがかかったようで思いだせない。


 ただ、女当主の言葉に腹を立てていたことだけは覚えている。くずだとかどうだとか、そんなことではなく、これからも怜子のもとを訪ねて来るかどうか面白がっているような様子が許せなかった。だからこそ意地になって、というわけでもないけれど、その後も変わらず怜子に会いにいった。


 とはいえ、ちょうどこの頃、子どもらしさを失い、けれども男女の年頃にはまだ早い、そんな頃合いであったからか、怜子を訪ねても、なにをするでもなく帰る刻限を迎える、そんな日が続いた。怜子もまた昔のような快活さがなく、沈んだ様子で、今日はもう帰って、と言うことさえあった。やがて真紀が里に帰り、なかなか取りついでもらえなくなった。


 決定的だったのは、怜子の父親の死だ。


 僕自身は会ったこともなく、本当にいたのかどうかというほどの人だったけれど、ずっと仕事の関係で遠方にいたらしい。時には屋敷へ帰ってきていたのかどうか。見たこともないその人の葬儀は盛大に行われ、大勢の弔問客が訪れていた。もちろん僕は弔問客ではなく、遠くから人波を眺めていただけだ。


 さすがに真っ赤な着物をきるわけにもいかないのだろう。叔母の女当主と同じ黒い着物をきて、機械のように頭をさげる怜子に生気は感じられず、悲しいのか何なのか、それすら確信がもてない。


 葬儀のごたごたが終わって落ちついた頃、何度か訪ねていったけれど、すべて門前払いだった。取りついでくれた様子もなく、真紀がいたころとは大違いだ。


 もしかしたら、女当主の差し金かもしれない。そう思うと腹が立ち、怜子の様子も気がかりで、僕は、勝手知ったる屋敷へ潜りこんだ。

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