第31話 ささやき
蟲たちの声が聞こえる。
あたまのなかに声がひびいている。ぶつぶつと意味を為さないような声が。ひとりやふたりではない。何人ものささやくような声が。
その言葉がわかるようになってきたら危ないと明石から忠告は受けた。聞こえていない振りをせよ、応じるな、話しかけるなと。蟲喰いの儀をくりかえし、蟲と人の境目に近づけば近づくほど、声は大きくなるのだという。
世に言う亡霊、化物、妖怪、あやかし、魑魅魍魎、そういった類いのものは根は同じひとつのもの。言葉であり、声であり、ささやき。
女当主の変化に気づいた頃から、ささやくむしたちのこえは、目に見えてというのも何だが、はっきりと聞こえるようになってきた。その内容もわかるようになり、聞こえていない振りをするのも難しいようになってくる。意味の分かる言葉を無視し続けることはできない。
しかも、それが少しずつ近付いてきているように思える。
『光雄、光雄、聞こえているのだろう?』
『なぜ聞こえていない振りをするのだ。怜子の声を聞かせてやろうか』
『われらの声を聞け。ささやきに耳を傾けよ。屋敷にかかっておる術にも気付いたのであろう。もう良いではないか。聞こえておるのは、知っておるぞ』
『聞け、開け、聞け! 耳をふさいでも無駄だよ』
『わたしたちには、ささやくことしかできない。けれど、昼も夜も、寝ても覚めても、あなたの耳に言葉を注ぐわ。あなたが気付いてくれるまで。気付いたと認めてくれるまで』
『貴様は、 どうしたいのか。俺たちを消し去りたいのか。人々の想いを無かったことにしたいのか』
『怜子がどうしているのか知りたくはないかね?』
『僕らに応えてくれれば、教えてあげるのに』
『光雄、光雄、なぜ助けてくれないの?』
『……なんてのはどうだ?』
『ぎゃはは、そりゃいい』
「うるさい!」
『おや、返事をしよったぞ』
「勝手にしゃべってろ。だが、怜子を騙るな」
『騙りかどうか、どうしてわかる?』
「世を呪う亡霊どもめ。いや、呪いの欠片、切れ端が語るな」
『騙るも不可、 語るも不可か。勝手なもんだぜ』
『想いあるところに妖あり。人あるところに想いあり。ゆえに人ある限り妖あり』
「失せろ」
『それはまた無理を仰る。わしらは人の情念より生まれしもの。すなわち人そのものであろうよ。この醜さより目を背けるな』
『わかっているはずです。貴方が怜子と冥婚を果たしたと同じ夜、女当主もまた火伏せりと冥婚を果たした』
『気付いているのだろう。あの腹によ』
「あれは何だ? なにを孕んでいる?」
『そりゃあ赤子でしょう』
『女の腹に孕まれるのは赤子と相場が決まってらぁ』
『はは、ちがいない』
耳をふさいでも聞こえてくる蟲たちのささやきが告げたように、女当主は腹を膨らませていた。冥婚の夜には何ともなかったのが、ほんの数日で臨月のような様相を呈し、いつ生まれてもおかしくない。だが、
「いったい何が生まれるというのだ」
『赤子さ』
『ただの赤子ではありませんわ。おなかのなかで呪い蟲を練りあげ、いくらかを赤子に宿らせた。人のなかにある蟲は、誰にも見えず、聞けず、触れず』
『おっと、光雄くん。どうした、どうした、そんなに急いで出ていかなくてもいいだろう。どうせ、きみらの先が無いことに変わりはないのだから』
『ああ、光雄、光雄、帰っておいで』
あたまのなかに嘲笑がひびく。それが屋敷を出て、屋敷を離れるに従って小さくなり、やがて聞こえなくなっていった。耳から手を離し、 何気なく手のひらに目をやると、小さな蟲が張り付いており、その目が楽しそうに歪み、風に溶けていった。




