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第30話 蛇と鐘


 というのは、後々の言葉や事情を思いながら想像したに過ぎない。本当に何事が起きたかを知ることはできない。


 怜子の秘術で殺された女当主は、心臓も止まり、真に屍人しびととなったが、それが屍肉であれ血肉であれ、この世に在るものに変わりはなく、淡々と企みを進めていた。


 自分はと言えば、怜子の死を聞かされ、まさかとやはりの間を行き来し、その死に顔を眺めては悲しみ、そして怒り狂った。


 愚かな自分自身に、日和見主義とその時には思えた明石に、影のように何もしない小夜さんに、弟子の助けともならずに死にかけている師匠に、腹が立って仕方がなかった。


 一方で、不思議と女当主に対して腹が立つことはなかった。怜子の死の直接あるいは間接の原因に違いない人物であるのに。もともと逆の立場にいると思っていたからだろうか。


 頭のなか、いや全身、足の先から指の先、髪の毛一本に至るまで、激しい感情が荒れ狂っていた。あらみたまとはこういうものではないか、そんな見当違いのことをわずかに残った冷静な部分で思いながら、あるくたびに心がこぼれ落ちそうで、均衡を失った体が底荷を失った帆船のように転覆しそうになる。


 逆巻く感情に溺れそうな自分に、女当主から冥婚の申し出があった。


 死者と生者の婚姻であり、この場合は、死んだ怜子と僕との婚姻だ。自暴自棄になっていた僕は、なにも考えることなく承知した。女当主でさえ、本当に良いかと驚いていたほどだった。むろん、女当主としての企みもあってのこと、怜子を屍人しびととして黄泉がえらせ、従順な手駒とし、失われた蟲の欠片かけらを拾おうというのだったろう。


 明石からも、それでいいと話があったが、自分の感情に呑まれていた僕が、その必要性とやらを理解していたとは思えない。冥婚の儀を控えて、ほとんど言い合いのようなやりとりを覚えている。もっとも、僕が一方的にケンカ腰だっただけで、明石の方は、いつもと同じように冷静で飄々とした態度だったけれど。


あにさんの予見もたいしたものですね」


 開口一番、いやみのひとつも言ってやりたかったのはわかるだろう。みき様が半死半焼となり、怜子が死んだのも、ひろく言えば明石のせいだと、そう思わずにはいられなかった。

 本当は、いずれも明石がやったわけではないし、その判断に従うことを決めたのも自分であるというのに。心の平静を保つことができず、誰かのせいにしたかったのだ。


「面目ない話だ。怜子嬢の件については、完全に読みの外だった」


 申し訳なかった、と深々と頭をさげる姿に、 自分の底意地の悪さが映っているようで、悲しさと惨めさでいっぱいになった。


「冥婚に応じて、よかったのでしょうか」


「よかった、と思う。女当主は、怜子の溜めこんできた蟲の欠片かけらを手にしようとしているのだろうが、それが大きな力であればあるほど、大きな隙になる。こちらにとっても利用できるものとして。

 気は進まないだろうがね。悲しみを怒りで、絶望を恐怖で乗り越えることがあるように、負の感情が強烈な力を生むこともある。

 こいつは一種の賭けだ。生前の仲に重ねて、婚姻という強固な縁を結ぶことで、呪われもし、また繋がりもする。呪詛も愛も、想うことに変わりはない。丑の刻参りに橋姫伝説を知る者ならば、それを疑いはしまい。清姫の想いを邪悪なものとして切って捨てるのは無情であろう。きみたちを信じているよ」


 ふっと細めた目はあたたかく、その言葉に裏がないことを示していた。だからこそ、いま一度、明石の話に乗ることにした。


 夏場のことゆえ、いくら冷気に覆われたような屋敷とはいえ、怜子の遺体をながく留め置くわけにもいかず、死後数日のうちに、あわただしく冥婚の儀が執り行われた。


 それに臨んだときの自分の気持ちは名状し難く、悲しみの影にわずかな喜びを、絶望の影にわずかな希望をみていたようにも思う。

 生きている間に為せなかった後悔、自分の命を捨ててしまったような怜子への怒り、役立たずな己への不満、さまざまな想いが沸き立ち、自分の心が見通せない。

 いや、いつも見通せないものを見通せると誤解していただけなのかもしれない。屋敷を覆っていた薄皮一枚の術のように。


 冥婚の儀には、多くの者が参列した。明石や僕や、地方に出ていた術師たち、分家の連中も含めた親族など。 くわえて、いぬと呼ばれる者たちも一段下がって儀式を見守っていた。

 額に、赤、黒、白、青、鳥、蛇、熊などと書かれた連中だ。それぞれ浅草六区の見世物小屋に晒されていたような異形の者たちで、その身になんらかの呪いを受けている。いまは異形を隠すために、それぞれの字に沿う仮面をつけ、丈の長い服で全身を覆っている。


 式の最中、明石につつかれて目をやると、蛇の字をもつ女性が小夜さんであることがわかった。手の先と首元の肌を晒し、薄暗い屋敷のなかにぼんやりと浮かびあがっていた。


 現実味のないまま式は終わりを迎え、一座を見渡しながら、女当主が満足げにいう。


「捨ておけ。冥婚はなった」

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