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第29話 思いを致す


 この先は、ただの想像だ。


 事実は、怜子と女当主にしかわかるまい。そして、それを聞く機会はもはやない。


 火伏せりの力が増大し、屋敷の中は人の住まいならぬ蟲の住まいと化していた。黄泉の住民に取って代わられた女当主が采配し、昼間はいざ知らず、日が落ちると、この世ならぬ者どもの徘徊する場所となる。


 といって、それをおかしいと感じさせない術が屋敷にかかっており、明石と僕と師匠と以外には何も気付かせなかったようだ。怜子もまた、幼いころから結界の内側ともいえる屋敷の中に住まい、異状に気付くことはなかった。


 そのまま気付かずにいれば、秘術に手を出すこともなく、あたら若い命を散らすこともなかっただろうに。


 僕のせいと言えば、僕のせいと言えるのか。


 火伏せりを祓い、屋敷の闇を祓うに、いますこし準備がいるという明石の言葉を待つことができず、庭で倒れたという怜子のもとへ向かったその日、この屋敷はおかしい、あとがどうなろうと構わないから一緒に逃げようと思わず誘ってしまっていた。


 怜子の返事は、嬉しいけれど、わたしには為すべきことがあるとのすげないもの。


 そのときにはもう怜子の腹は決まっていたのだろう。術から逃れた僕の言葉で、屋敷の異状を認め、なにより、女当主の異状に気付いたのかもしれない。怜子が秘術を用いたのはその夜だったのだから。


 女当主との間に、どういったやりとりがあったか。消えてしまった言葉を捕らえることはできない。だが、こうだったのではないか。こうであったろうという想像はつく。真紀と父親の死後、幼いころの傲慢さを失い、力なく従順な娘となった怜子が、自分なりの覚悟を決めて、厳しい言葉で女当主と向かいあう。


「叔母様、もう終わりとしましょう」


「終わりとな。なにをだな。なにを終わりというのかえ」


「先刻承知でしょうに。わたしは、もう先のない身です。鳴きわめくせみのように、風に吹かれる蜻蛉かげろうのように。この先へ踏み込めば、叔母様のようになってしまうのでしょう?」


「ほう、わしのようにか。それはどういう意味かよ」


「そのままです。わたしという皮を残して、中身をすべて蟲どもに喰われてしまう。鍋島の化け猫は骨を残したゆえに真実を露わとしましたが、徐々に、徐々に、溶かすように喰われてしまえば、人が変わったとしか思えますまい」


「くくく、わしを化け猫とでも言うのか。愚かな娘だ。わしは、わしよ」


「ならば、なぜ。ならば、なぜ、泣いているのです」


「これか、これはな、怒りと喜びのゆえさ。人は悲しみに涙するのみではない。

 ああ、愉快だ、愉快だ。これほど愉快なことも、そうはない。おまえは、ただ一族の使命から逃れようとしておるだけだ。吉原の囲いが失せ、結界が崩れ、祓いの儀式が失われたいま、わしらが喰わねば誰が喰う。

 なるほど、好いた男もおるというのに、化け物と交合するなど忌々しくはあろう。されど、おまえが為さねば、その男も喰われるぞ」


「正直に、わしが喰ってやると申せばいい」


「くくく、そうかそうか。おまえ、よほど死期が近いな。わしが屍人しびとであることを見抜いたか。恨み辛みを残して死んだ者どもが寄り集まった蟲の塊と化していることを見抜いたか。

 しかし、それでどうする。この女の血肉も知恵も、すべて、わしのものよ。いや、もはや一体となった同じものだ。それでどうするか。おまえのなかに溜まった蟲の欠片かけらを、いますぐにでも呼び覚ましてやろうか。おまえとわしと、そして恵まれぬ女どもの悲鳴のような火伏せりとをあわせて、ひとつのものとなる。しいたげられてきた者どもが黄泉がえり、この世に仇なす災いとなろう」


「叔母様のことは昔から嫌いでした。けれど、一族の使命にかける想いも、市井の人々を護ろうとする気概も、いずれも確かで信頼に足るものでした。それを……」


「どうした。怒ったのか。それでどうする。どうするのだ。言ってみよ」


 高笑いをあげる女当主の表情が凍りつく。思い通りになどさせない、そうつぶやいた怜子が秘術を用いたからだ。黄泉同行、すなわち自らの死と引き換えに、呪う相手方の命を確実に奪う術であり、これを逃れることはできない。

 いかに人ならぬ者とはいえ、女当主の血肉を依り代とする限り、怜子とともに逝かざるを得ない。であるはずなのに、結局、なか屍人しびとと化していた女当主には満足な効き目はなかった。ただ、怜子自身の体に溜め込んでいた蟲どもを喪失させたのと、女当主の心臓を止めたのみだった。


 それを見届け、息絶える前に僕の名を呼んだかどうか。


 どこまでも自分本位にしか物を考えられない自分が嫌になる。怜子は、まさに命がけで女当主を止めようとしてくれたというのに。結果がどうあれ、それを最善と思い、取るべき道を取ったのだから。

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