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第27話 半死半焼


 みき様の姿をみたとき、 亡くなられたのだと思った。それほど酷い様相だったのだ。まだ息があったけれど、あったというだけで身動きどころか話すことさえできない状態だった。何があったのか聞けたのは、それから何年も経ってからのことだ。


 当時の自分にも、明石や小夜さんにも、何が起きたのかわからなかった。ただ、早急に動くべきだったという後悔だけがあった。


 花札の件があって、翌朝、みき様にお会いしたときにも変わった様子はなく、まさかほんの数日でそんなことになろうとは思いもよらなかった。さりながら、その日、師匠から聞かされた話には、どこか予感めいたものがあったのかもしれない。


 とある遊女の話だ。


 梅毒に冒された遊女が心中を図り、一緒に滝壺へ飛び込むだけの気持ちを見せてほしいと願いながら、しかし、相手の男には助かってほしいという矛盾したような想いを抱いた。


 そこで、吉原の九郎助稲荷の御使いに、男だけを救ってくれと願掛けし、それを果たしたという。その話が何を意味するのか、教訓であるのか、たわむれ話であるのか、何かの思い出話だったのか、みき様は何も言わない。ただ、それに続けて、ぽつりと、一族には黄泉同行という秘術が伝えられていると口にされたのが印象的だった。


 後々になって思い起こすと、鬼気迫るような怜子の様子や屋敷の雰囲気、女当主の言動などから、いつか怜子が秘術に手を出すのではないかと危惧していたようでもある。

 黄泉同行とは、その名のとおり、自身の死と引きかえに、相手を黄泉路へ引きずりこむ術なのだが、ここでは一先ず置いておく。


 みき様が炎にまかれ、手足を欠損し、不自由な体になられたその夜のことだ。


 屋敷からお呼びがかかったものと思っていたが、実はそうではなく、僕との会話や明石の動きが気にかかり、こっそり屋敷と怜子の様子を窺いに忍んでいったらしい。後年、いやはや、とんだ災難であったと笑って話されたものだ。


 ……いやはや、とんだ災難であったぞ。


 おれなど、一族でも傍流に属し、なにが起ころうと関係もないと決めこんでおったに、うっかり興味本位で手を出し、大火傷を負うことになった。煙管きせるに詰める葉っぱでもあるまいところ、切り刻まれ、燃やされたような有り様よ。 朧月おぼろづきのみきと呼ばれ、酒席でもてはやされたのも今は昔か。


 あの夜のことだったな。


 屋敷の奥に、女当主以外は厳に立入を禁じられた場所があることは知っていた。そこで様々な者が飼われていることもな。世間一般に呪いといわれ、祟りといわれ、世迷い言のようでそうでもない。エロもの、グロもの、浅草六区の見世物小屋で、河童の木乃伊みいらや鬼の腕などと並べて晒されていた連中を買い取り、あるいは攫い、そこへ詰め込んでおったのよ。

 そんな奴らを集めてどうしようというのか、まあ、知らぬ振り、興味もない振りをしておれば良かったものを。光雄、半分はおまえのせいだの。あまりに、怜子、怜子とうるさいゆえ、おれまで屋敷のことを気にしてしまった。


 明石が気付いていたように、おれもまた屋敷に出入りする者に、うすく、うすく、薄皮一枚の術がかけられていることには気付いていたが、そんなものには関わり合わぬが賢明と一歩ひいておったのだがな。


 火伏せりの話をしたことは覚えていよう。


 どうにもこうにもあれのことが気になって、どれ、ひとつ探ってみるかと思うたのが運の尽き。慢心もあり、侮りもあった。万が一、やりあうことになっても負けはせぬとな。

 しかれども、その頃、女当主は、すでに人ならぬ者となっておったのよ。おれともあろうものが、それにすら気付けぬとは。薄皮一枚の術は自由にならぬものであったわ。


 日も落ち、静かな邸内へ忍び入った。


 めずらしく女当主が不在とし、屋敷には怜子のみ。……のはずであった。屋敷の奥、禁忌の場所へ入りこむと、そこには物言わぬ蝋人形のような連中が死んだように眠っていた。

 それも寝台で体を休めているようなものではなく、あるいは立ち、あるいは四つん這いとなって、あるいは動作の途中で止まったままのようになって。

 それぞれ額に文字を書かれており、赤、黒、白、青などと色一文字の者もあれば、鳥、蛇、熊などと動物を表す一文字の者もあった。いずれも人でありながら人でないと浅草六区の見世物小屋で喧伝されていたような者たちだ。


 いったいこれらは生きておるのか死んでおるのか、はたまた人か妖か。


 手近な場所で、犬か何かのようにして丸くなっている者に手を伸ばした。 額には赤とのみ記されており、ぱっと見は少女のようだが、よく見ると手足は獣のそれに似る。


 呪い、祟り、世迷い言。


 そっと触れた体は温かく、まがうことなく息もあった。故に、その者に呼びかけ、ゆり起こそうとしたとき、背後にひやりとする気配を感じたのよ。女当主と、火伏せりと、二者ともに、いつのまにかそこにいた。


 なにが恐ろしいといって、なにも恐ろしくないことが恐ろしかったものさ。むしろ、女当主に近づき、抱きしめたいような、火伏せりに向かって進んで頭を下げたくなるような、そんな心持ちであった。


 薄皮一枚、物の見方をほんの少しずらすだけのやりようこそが恐ろしい。


 派手な術ばかりが能ではないのよ。あの炎のなかで半死半生、いや半死半焼か。いじきたなく生き延びられたのも、結局は昔ながらの胡蝶の術のおかげであったしの。


 みとれるというか何というか、蜻蛉とんぼが指に目を回されるかのように、物を考えることができないで、うすぼんやりとしていた。はっと気付いたときには、深編み笠を被った虚無僧こむそうのような格好の……と、おれにはそう見えたのだが……火伏せりが、喉輪の如くに片手をあててきたのよ。その手は燃えあがるように熱く、痛みを感じると同時に自分の喉が焼けただれていくのがわかった。


 なにをしやるか!


 と、自分では叫んだつもりで叫ぶこともできず、声が枯れておった。術の多くは言葉を用いるゆえ、抗っても無駄と思い知らされたわい。


 意識が薄れていくなかで、にやつくような女当主の顔を、なぜか愛おしく感じ、着物の袖が燃えあがる。脳裏に浮かぶのは火付けの濡れ衣で死んだ遊女の赤い赤い鮮やかな艶姿あですがただ。


 これで終わりと素直に認めておれば良かったものを、生来の天邪鬼あまのじゃくが邪魔をしたか、懐にしまった刻み煙草の焼ける匂いがして、刹那せつな、手が動いておった。


 ほれ、おまえにやった古式胡蝶の残りよ。まさかあの炎のなかを抜けていくとは思いもしなかったが、何の因果か、飛び立って、明石のもとへ向かったらしい。 元々、そのように組んだ式神であったからの。


 あとはおまえも知ってのとおり、轟々と燃えさかる炎の奥から明石によって救い出されたものの、手足を失い、何年も声を発することさえできなくなってしまった。師匠としては情けない限りよ。まあ、元から師匠面ししょうづらできた義理でもないが。

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