表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/40

第26話 夜話 後段


 妙に涼しい夏の夜に語られる話は、要領を得るようで得ず、現実味があるようでない。泡沫うたかたの夢の如く。


 師匠は明石が裏で動いていると告げたが、何をしているのかまだわからない。先ほどの小夜さんのように、すこし苛立っていると自覚しながら問う。


あにさんは、何をしようとしているのです」


「私は何も。正直に言えば、いまはまだ分からんのだ。なにもかもが不透明で不確定で不明瞭。女当主が何者であるか、何者であったか、何者となったか、そして、なにをしようとしているのか。皆目見当がつかない。ただ、あまり良くないことが起きようとしている。そんな予感があるのさ」


「良くないこととは……」


「屋敷と一族には、なんらかの術がかけられている。もっとも、術と呼ぶにはあまりに気配のないもので、そもそも術をかけた者はいないか、すくなくとも現世にはおるまい。 その目的がなんであったのか、女当主がどういった役割をしているのか、それも私にはわからん。

 くわえて、いまひとつ。新たな時代になり、吉原も変わった。四隅の結界をなしていた神社が合祀され、狐太夫も身請けされて華族の奥方となるような世の中だ。

 しかし、人の想いが変わるでなし。憎しみも焦がれも、恨みつらみも、踏みつけられた華のような心が消えるわけじゃない。腐った溝川どぶがわのように、詰まって、匂って、溶け落ちて、名状し難い何者かを生むだろう。

 私が何か良くないことが起きようとしていると予感した最初は、真紀のことだった。あの子は不幸にも火伏せりに出会ってしまった。図らずも女当主に助けられたわけだが、火伏せりの気にあてられ、結局、数多あまたの蟲がよりついて死ぬこととなった。ことほどさように厄介な相手だよ。

 安易に手を出すべきではないが、さりとてそのままにもしておけぬ。吉原での祓いができぬようになったいま、女当主か、あるいは怜子嬢が火伏せりを鎮めねばなるまい」


「鎮めるとは、蟲喰いの儀に代わる交合ということですね」


「そうだ。だが、 そう気負うな。本来であれば、そうして鎮めるべきものというだけのこと。実際に、どうしようとしているのか、それはわからん。問い詰めたところで意味もない。

 やれやれ、人間ほどに嘘つきで罪深い生き物もそうはない。なにが正しく、なにが正しくないのか。正しい道とはどこにあるのか。禍福はあざなえる縄のごとし。人の一生は重荷を負いて遠き道をゆくが如しというが、つけくわえるなら、それは暗中の道でもあろうさ」


 ふぅと息を吐いて、にやりと笑う。


「そこで、光雄、きみの出番というわけだ。花札はできるかね」


「できますが、どういうことですか。意味がわかりませんよ」


「簡単な話だよ。年をとると何事に対しても慎重になる。そろそろ頃合いかとは思うものの、相手の真意もわからぬうちに動く気にはなれない。一方、きみのような若者は無鉄砲で無思慮で浅はかだが、それこそが強みでもある」


 まじめな顔で話すのを遮って、小夜さんが投げつけるように言う。


「光雄くん、真剣に聞く必要はありません。要するに、早急に動くか否か、博打で決めようとしているだけです」


「そう言ってしまえば身も蓋もないだろう。だが、 運否天賦うんぷてんぷも時には有用ということさ」


「誰にとって? それか、何にとって有用なのでしょう」


 冷たく言って立ちあがり、小夜さんが部屋を出ていく。その際に、もし、今宵にもということであれば、いつものようにお呼びください、とだけ告げていった。


 やれやれ、ごきげんななめだね、と笑って、明石が花札を取りだした。


 結局、この日、僕はコテンパンにやられてしまい、明石はまだ動かないことを選んだ。僕自身もまた、何をすればいいのか、暗い道で途方に暮れていたと言っていい。もしかしたら、良くも悪くも、慎重な大人というものになりかけていたのかもしれない。


 ……みき様が大やけどを負って死にかけたのは、花札の夜から数日あとのことだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ