第25話 夜話 前段
夏とは言え、夜は冷える。
みき様の言われたとおり、その夜遅く、明石の部屋を密かに訪ねてきたものがいた。御高祖頭巾で面を隠した小夜さんだ。
部屋へ入るまで、音という音はなく、気付いた時には話し声がしていた。障子に止まらせた古式胡蝶を通じて会話が聞こえてくる。
「明石様、そろそろ頃合いかと」
「火伏せりは仕上がっているのかな」
「わかりません。狐太夫を訪ねてもみましたが、もはや預かり知らぬと」
「そりゃあそうだろう。身請けされれば、もはや吉原とは縁切りさ。そもそも、あの黒塀の中に居てこその祓いだ」
「あれをどうするつもりなのでしょうか」
「さて、どうするつもりやら。塀の外からどうにかできるようなものではないが」
「火伏せりを祓うつもりもないのではありませんか。女当主の行状、目に余るものがありますれば」
「それはまあ、お互いさまさ。屋敷、あるいは一族にかけられた術をそのままに、怜子嬢の窮状も見てみぬ振り、釣りえさの如くにしておるのだからね」
「ですが、むろん、そのままには……」
「しない」
「であれば、もう動くときでは?」
「それがまた難しい。何事も、先のことは読み切れるものではないからね」
「では、どういたしますか」
すこし苛立った様子で詰めよる小夜さんに何も答えず、黙ったままだ。ふっと静かになり、かすかに衣擦れの音が聞こえた。もしや小声で大事な話をしているのではないか、そう思って耳を澄ませていると、
「光雄!」
と名前を呼ばれた。古式胡蝶に向って怒鳴ったらしく、耳元で怒鳴られたような按配で、思わずひっくり返りそうになった。
「聞いているんだろう。盗み聞きとは行儀が悪い。ちょっとこっちへ来て手伝え」
と続いて、仕方なく部屋を訪ねていったものだ。待っていたのは不機嫌そうな小夜さんに、手のひらで胡蝶をもてあそぶ明石だ。ふわふわと宙を舞う紙の蝶を楽しげにながめている。
「もうしわけありません」
頭を下げる自分に向かって、盗み聞きなど最低ですと不満をもらし、腹を立てている小夜さんと対照的に、明石の方は愉快でたまらないといった様子だった。
「なにをあやまることがあろう。古式胡蝶とは懐かしい術じゃないか。私も見習いのころ、遊び半分、修行半分で使っていたよ」
ははは、と笑うところへ、小夜さんに睨まれ、もちろん盗み聞きなんてことじゃなくね、と言い訳をする。
どうだか、と拗ねたようなのをそのままに、僕の方に向き直った。その表情は、存外、まじめなもの。
「さて、師匠から何かいわれたかな。あの人は抜けてるようでそうでもないからね。やはり、そろそろ頃合いだろうか」
「頃合いとは? どういうことですか。みき様は、明石さん、いえ兄さんが裏で何かしているようだと話しておられました」
「やはり気付いておられたか。師匠からは、大きすぎる慈悲は身を滅ぼすと忠告されたよ」
「僕は怜子を助けてやりたいだけなんです」
「ああ、わかっている。だれも彼も不幸にならぬ道があるならば、その道を行こうじゃないか。ただ、誰にもそんな道はみえない。そして、みえなければ、無きも同然だ」




