第24話 胡蝶
僕は、まだ大人になれていなかった。
自分の手が届く範囲はせまく、誰かに守られていることすら分からず。守っているつもりで守られていた。この世界があることを知っていても、知り得る世界はあまりにも狭く、刹那的で、乾いていて、無様だった。
女当主が間違っていたとは言えない。明石に騙されていたわけでもない。小夜さんに誑かされていたわけでもない。怜子に骨抜きにされていたのでもない、とは言えないかもしれないけれど、よくわからない。
屋敷にかけられていた術だか呪いだか、本当にそんなものがあったのか、それとも無かったものを無くしたと思わされたのか。本当に明石は僕の目をひらいてくれたのだろうか。
師匠のもとで過ごす折々に、明石や小夜と出会う機会も増えた。決して悪人ではない二人だが、かといって善人でもない。人殺しすら必要悪の範疇に認めるような人間が、どうして善人だろうか。といって……。
堂々巡りの無用な詮索はそれまでとして、ある夜、みき様のもとで夕食を馳走になった折、再び、明石と小夜さんとに出会い、話す機会があった。
師匠からは、怜子が死病に冒されていると聞いた。食事のともとするには辛い話だったが、淡々と伝えられ、蟲喰いを行う一族には早世するものが多いという。
怜子の母親もそうであり、父親の死も、一族の重荷に耐えられなかったからではないかと仄めかされた。しかし、そもそも、
「どうして呪い蟲を喰わねばならないのか」
そのまま捨ておけば良いだろうに、との疑問をぶつけてみた。
「どうして蟲喰いを行うのか。そうだね、ずっとしてきたことだからだよ。というだけでは納得できまいな。東北での祓い業を経て、すこしは理解したろうが、人の思念というのは恐ろしいものだ。この世の無念、恨みつらみ、憎しみも思慕も、あふれだすままに捨て置かれては堪らぬ。
鬼門におかれた吉原のように、それらを溜め込み、あるいは晴らすところが必要なのさ。誰かが泥をかぶり、屑を拾わねばならない。おまえの親父殿が拾いをやっておるように」
との答えに、まだ納得できない様子が顔に出ていたのだろう。では、これを使えと言って、白紙を蝶の形に切り抜いたものを渡された。
「土蜘蛛由来の古式胡蝶よ。単純な術ゆえ、かえって使い勝手がよい」
にやりとしながら言うには、それは式神の一種で、周囲の声を拾うのだとか。
「おれは弟子を育てるには向かないし、弟子に干渉する気もないが、明石のやつは裏で何やかやとやっておるようだ。今夜あたり、子飼いの蛇娘が来るだろう。
あやつらの話を聞けば、感じるところがあるかもしれぬ。呪い蟲は暗い場所を望む。暗きより暗き道にぞ入りぬべき。そこに救いがあるか否か、それは知らぬ。
明石は、幼きころ、呪い蟲によって母親を取り殺されておるからな。呪いは呪いより生まれ、呪いを生む。病とし、心を腐らせ、それを周りに振りまく。黴か何かのようだ」
「……知っておられたのですか」
「なにをだ」
「さきほど、蛇娘と」
「言うたが、詳しくは知らぬ。おまえこそ、知っておるのではないか」
「それは……」
答えに窮する姿を楽しげにみつめると、詮索する気はない、話は終わりだと笑った。そして、その夜、みき様の言われたとおり、蛇娘こと小夜さんの訪いがあり、胡蝶を通して話を聞くことになったのだ。




