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第22話 僕が


 女当主の前で、海老のように腰を折りたたんで土下座しているのは誰だ。それは僕だ、僕だ、僕なのだ。


 息ができないまま、頭を畳にこすりつけている。むろん、謝罪しているわけではない。土下座をしているわけでもない。


 しかし、無様な姿であることに違いはない。苦しくて苦しくて仕方がない。頭に血が回っていない。どこか遠くからそんな様子をみている自分がいる。


 このまま死ぬのではないか。ふっと浮かんだ考えは至極真っ当で、あきらめに似た気持ちだった。


 手足が動いても喉が空気を通さない。苦しさすらも感じられなくなってくる。意識が遠ざかりつつある最後の瞬間に思いだしたのは、泣いた怜子の顔だ。


 怜子は、ほとんど泣くことがない。


 父親の葬儀でも泣いていなかった。見たことがあるのは、ただ一度、真紀の死を知ったときの薄い涙だけ。ところが、思いだした怜子の顔は、涙でくしゃくしゃになっていた。ああ、だめだ、だめだ。怜子を泣かしたくない。そう思い、最後に残った空気を飲みこむようにして足に力を入れた。


 立ったつもりが立てず、走ったつもりが走れず、ただ、ぶつかるようにして転げ、さんから外れた障子と一緒に縁側へ倒れる。その瞬間、息が戻ってきた。けれど、まだ動けない。動けないまま、ゆっくりと女当主が近づいてくるのがわかった。そこへ、懐かしい声が。


「叔母様、なにをされているのです」


 懐かしく、しかし弱々しい声がいう。廊下の向こうから、低い位置から聞こえる声は、たしかに怜子のそれだった。

 ただ、いつか、わたしの客です、と女当主に対峙したときの張りはなく、凛とした響きもどこにもない。ただ、懇願するような。ただ、苦し気な。ただ、悲し気な声がする。


「怜子?」


 体を引き起こして廊下の奥をみつめる。


 そこには、変わり果てた怜子の姿があった。つややかな黒髪は煤けたようになり、やせ衰えた体と足が目立ち、あせた着物は、華やかな色をどこかへ落としてきてしまったよう。

 立ちあがることができないのか、いざって這い進んできたらしい。僕と目が合った瞬間、身を隠そうとして隠すこともできず、ただ、見ないで、と小さな声で言って目を伏せた。


「おう、怜子か」


 絶句する僕の代わりに、女当主が応じた。その顔は、もう陰にはなっておらず、わずかに残った宵の日に照らされ、表情の読めぬ硬い様子ながら、人の顔をしていた。


「くくく、久々の逢瀬おうせだ。遠慮せず、話でもしたらどうだ。あるいは接吻し、抱擁してはどうだ。光雄、怜子のことを忘れておったろう。どうだ、思いだしたか。おまえが居ないあいだも、姫君は蟲を喰い続け、下し続け、浄化し続けてきたのよ。そしてこれだ」


 だが、これで終わりではないぞ。


 冷たく言って、女当主が怜子の手を掴み、室内へ引きずりこむ。そして部屋の隅にこごった闇に腕をさしいれたと思うと、そこに何匹もの蟲をつかんでいた。


「さあ、怜子、こやつの前で、いつものように喰え。蟲喰いの儀により、この世の穢れを祓い、呪い蟲を下すのが我が一族の宿業。そうであろう?」


 さあ、喰え。


 女当主の顔は再び闇に染まり、人のようにも見えない。やっと手足に力が入るようになった僕は、全身をきしませるようにしながら立ちあがり、こう宣言した。


 僕が、喰います。

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