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第19話 兄上


 みき様に屋敷からお呼びがかかり、この日が初対面の兄弟子と二人、取り残された。


 なんとなく緊張する僕のことなど気にする様子もなく、兄弟子の明石吉之助は、ゆったりと茶を喫している。


 時折り、湯茶を足すくらいしかすることがなく、話しかけようにもその隙がない。静かに座っているだけだというのに不思議だ。


 と、明石が不意に立ちあがった。


「さて、光雄くん。ちょっと来てくれますか」


「あ、はい。明石様、どちらへ?」


「様は良かったね。いらないよ」


「では明石さんですか」


「ふむ、それもしっくり来ませんね。よし、ならば、あにさんとでも呼んでもらいましょうか」


あにさんですか」


「いやですかね。兄弟子様というのも語呂が悪いし、どうだろう」


「わかりました。兄弟はいないので、すこし嬉しい気がします」


「それは重畳ちょうじょう


「で、何用でしょうか」


「もう一人、会わせたい者がいるのです」


「他の兄弟子ですか」


「いや」


 首を振って否定しながらも、では何であるか語ろうとしない。先に立っていく明石のあとを追うと、そこにいたのは、


「あらためまして、小高小夜こだかさよと申します。以後、お見知りおきを」


と頭をさげる御高祖頭巾おこうそずきんの女性だった。


「このひとは……」


「おや、初対面ではなかったはずだが」


「え、ええ、初対面ではありません。しかし、なぜここに。この人は、東北で術師を殺した下手人の一味ですよ」


「そうだね。そしてきみもまた同じ下手人の一味なわけだ」


「僕が?」


「そう。なんせ、直接、手をくだしたのはこの私なのだから」


 飄々として言い放つ。なぜ? なにを言っているのだろう、この人は。兄弟子ということは、みき様か御当主様の意向でそうしたということなのだろうか。


「なぜ?」


「なぜ、あいつを殺したか、かな?」


 薄く笑いながら僕の言葉を補完する。笑いながらなお怒りが溢れ出るようで、抑えた声音がひたすらに恐ろしい。


「あいつはな、呪い蟲を見逃し、育て、人の苦しみを元に自分の食い扶持ぶちを稼ごうとするような輩だった。

 私は誓ったのだ。この世から蟲どもを一掃してやると。それを撒いて恥じぬような奴らも同罪だ。あんな奴らはもはや人ではない。むろん、私もまた人でなし。いつか呪われながら死ぬであろう。であるとしても、それでも、決して奴らを許さん」


 噛みしめた歯と歯のあいだから漏れる言葉は燃えるようで、さらりとした笑みを浮かべる顔と見比べると気狂いのようだ。震える僕の姿に気づいたか、ふぅと息を吐く。


「すまないね。すこし余計な気が入った。光雄くん、きみはまだ大丈夫だ。どれ、ちょっとしたまじないをかけてやろう」


 そう言って口中でじゅを唱え、僕の額に指先をあてた。ぴりりと軽い痛みが走り、思わず目をつぶり、また目を開いたとき、あたりが急に明るく輝いて見えた。夕暮れから朝方に移ったような、思いがけず暗い路地から表通りへ出たときのような。


「やはり、きみはまだかかりが浅かったね。本家の者は、すっかりかれているのでしょう。もう助からんだろうなぁ」


かれて……? どういうことです」


「そのままですよ。本家の屋敷に入るとき、なにか違和感がなかったかな。そして、一度入れば、それを忘れてしまう。果てには、違和感すら失ってしまう」


 まさにその言葉どおり、自分が感じていた違和感を思いだしていた。頭のなかのかすみが消え失せたようだ。なにより、


「大事な人のことを忘れたりしていないか」


との明石の問いかけに、怜子の顔が浮かび、そして、怜子のため、怜子のためと思い、修行に励み、祓いに努め、努め、努め、努めていたというのに、肝心の怜子に最後に会ったのがいつだったか思い出せない。


 愕然とする僕のほおをつるりと撫でて言う。


「なにか大事なことを思い出したようですね。大丈夫、まだ間に合います」


「はい。ありがとうございます。明石様」


「いやいや、違うだろう」


「えーと。ありがとうございます。あにさん」


「ふむ、いいですね」


 にこにこと嬉しそうにする明石を睨むようにして、小夜さんが口をひらいた。


「明石様、私は?」


「ん? 私は、と言われてもね。なんだい、小夜も姉上とでも呼んでもらいたいのかい」


「違います。私にも、特別な呼び方をさせてください」


「特別ね。明石様と呼んでいいのは小夜だけじゃないか。嫌なのか」


「いいえ」


 応じる小夜さんの顔は少女のようで、うすく染まったほおが温かそうだった。機嫌よくこちらを見て、頭をさげる。


「さて、では、今日のところはこれで失礼いたします。私のことは誰にも語らぬよう。みき様にも内密に願います。さもなければ……」


 すっと細められた両の目は、冷たく蛇のようで、気のせいか、しゅるしゅると舌を出し入れする音が響いてくる。


「小夜、やめなさい。脅しは無用です。この子は誰にも話しはしない。怜子嬢のためにどうするのが良いか、きっと分かっている」


 まさにそのとおりで、自分が何らかの術にかけられていたことに気付いたいま、女当主への不信と不満がふつふつと戻ってきていた。しかし、あにさん、と明石に尋ねる。


「師匠は、みき様はどうなのでしょう。術にかかっておられるのでしょうか」


「さて、どうだろう。食えないお人だから、もしかしたら、かかりながら泳いでおられるのかもしれん。いいかな、きみも、術を逃れたことを悟られないように気をつけるのだ。さもなければ、ばりばりと喰われてしまうかもしれんぞ。いつかの蟲のように」


 からからと笑うが、とても笑う気にはならない。自分が、のっぴきならない場所に押しやられてしまっていることにやっと気付いた。

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