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第8話 突然の来訪

 大樹さんのお見舞いから帰宅し、夕食や風呂を済ませた後、寝るまでの時間を本を読んで過ごしていた。

 壁に掛けられた時計は、普段の就寝時間である11時を示そうとしている。


「今日はここまでにしよう」


 本を棚に戻そうと立ち上がったところで、インターホンの音が鳴り響いた。


「誰だ?」


 こんな時間に非常識な……。


「いたずらか?」


 とりあえず、確認しなければならない。自室を後にしリビングに出ると、夏乃が不安そうな顔でこっちを見ていた。


「誰だろ、こんな時間に。お兄ちゃん、心当たりある?」

「いや、ない。とりあえず見てくる。夏乃はここにいろよ」

「う、うん。気をつけてね。変な人かもしれない……」


 リビングを出て、急いで玄関に向かう。


 ドアスコープを恐る恐る覗き込むと、そこには――――瑠璃が立っていた。


 瑠璃がなぜこんな時間に? 連絡は来ていないはずだ。瑠璃はこんな時間に、しかもアポなしで人の家にやってくるほど、常識の欠けた人物ではないはずだが……。

 とりあえず、考えていても埒があかないので、中に入れて話を聞こう。


「瑠璃、どうし―――っ!」

「っ! 春!」

「うぉおおっと!」


 扉を開け、目が合うとほぼ同時に、瑠璃が勢いよく胸に飛び込んできた。


「お、おいっ! なんで急に抱きつくんだよ! どうしたんだよ、瑠璃」


 どういうことだ? なにが起きてる?

 突然の出来事に頭がついていかない。


「聞こえてるのか? 大丈夫か、瑠璃?」


 瑠璃は返事をしないまま、俺を強く強く抱きしめている。

 静寂が辺りを包み込んでから数秒ののち、瑠璃がそっと離れる。離れた瑠璃の体を確認するが、どこにも異常はない。見た目だけはいつもの瑠璃だ。


「ごめんね。つい。なんでもないの」

「なんでもないわけないだろ? こんな時間に来て、しかもいきなり抱きつくなんて……」


 めちゃくちゃ驚いたし、ちょっとだけドキドキしてしまった。


「抱きついたのはほんとについやっちゃったことなの。こんな時間に来たのは……えーっと、その、ちょっと近くに用があったからついでに……」


 ……そんなわけないだろう。瑠璃はこんな夜遅くに出かけたりしないし、何より連絡もなしに人の家に押し掛けることなどしない。

 きっとただ事ではない。それなのに、ここにきた理由をごまかそうとする瑠璃を問い詰めてみようとしたが……


「にゃ! にゃにゃにゃ!!」

「ちょ、な、なんだ? どうしたんだヒカリ?」 


 いつのまにか足元までやってきて、なにやら騒ぎ始めたヒカリに邪魔されてしまった。


「なに? この子猫は……?」


 ここにきた理由を隠したい様子の瑠璃にとっては、ヒカリの登場はタイミングがよかったようだ。そんな風にとぼけて見せて、話を断ち切ろうとしているのだろう。


「なにって、ヒカリに決まってるだろ?」


 瑠璃が来て喜んでいるのか、なんだか興奮した様子のヒカリを抱きかかえてから、答える。

 瑠璃の言葉を無視して、ここにきた本当の理由を問い詰めることもできたが、それもなんだか気が引けるので、とりあえず話の流れに合わせることにした。


「…………。そう、だね」


 瑠璃は少しの間をおいて、小さく呟いた。明らかに様子のおかしい瑠璃が心配になって、大丈夫か、と声を掛けようとした時、


「え? な、なに?」


 俺はまだなにも言ってないのに、瑠璃がそんな風に言った。


「なにって、なんだよ?」


 急にどうしたんだ?


「だ、誰なの? お話って……」


 会話が噛み合っていない……というより、俺の声が聞こえていない様子だ。

 まるで、見えない誰かと会話しているようだった。


「なあ、ほんとに大丈夫か? やっぱりおかしいぞ?」


 本気で心配になって、瑠璃の様子を探ろうと顔を覗き込むが、


「う、うん。ごめん。おかしいよね……私、帰るねっ!」


 慌てたようにきびすを返し、夜の闇へと消えていく瑠璃だ。


「あっ、お、おい! こんな夜にひとりにさせられるかよ! おーい、夏乃ー?」


 リビングの方を振り返り、声を飛ばすと、夏乃がひょっこりと顔を覗かせた。


「う、うん。見てたよ。なんか抱き合ってたね、びっくりしたよ……」


 見られてたか。いや、今はそんなことより……。


「それより、なにがあったか知らないが瑠璃を送ってくから」

「うん、気をつけてね」


 夏乃に抱きかかえたままだったヒカリを預け、勢いよく家を飛び出した。


 …

 ……

 ………


 急いで出てきたおかげか、すぐに瑠璃の背中を見つけることができた。


「ったく。こんな夜にひとりで出かけるなんて、危ないぞ」

「うん……ごめんね」

「で、なにかあったんだろ? 話せないか?」


 そう問いかけてから、長い沈黙が訪れる。しばらく黙ったまま歩いていると、瑠璃が沈黙を破った。


「あのね、私、すごく不安なの……。これからどうすればいいのか、分からないの……」

「不安……? なにが不安なんだ?」


 再び沈黙が訪れる。しばらく歩き、今度は俺が沈黙を破る。


「言いにくいなら言わなくてもいい。ただ、俺たちは幼馴染で、えっと……友達、だ。いつか言える時がきたらいつでも俺を頼ってくれ」

「うん、ありがと……春。あのね、ひとつだけお願いがあるの」


 大きく深呼吸をして瑠璃が続ける。


「家に着くまででいいから、手を、繋いでて欲しいの……」

「お、おう。そんなんでいいのか? ほら」


 手を繋ぐ……? 別に構わないが、どうしてそんなことを?

 少し照れるが手を差し出してみる。差し出した手をそっと優しく、瑠璃の手が包み込んだ。

 瑠璃の手、あたたかいな……。しばらく歩いたが、瑠璃はさっきから黙ったままだ。でも、瑠璃の横顔は笑みが浮かんでいた。なにがあったかは分からないが、笑顔になってくれたなら今はそれでいい。


 俺たちは手を繋ぎながら、瑠璃の家までの道のりをゆっくり、ゆっくり歩いていった。


 …

 ……

 ………


「今日も寒いねー、瑠璃ちゃん」

「うん、でも今日は手袋してるから、ちょっとあったかいね」

「ねー」


 今日も今日とて3人揃っての登校中、俺の前を仲良く並んで歩く2人の会話が耳に入ってくる。

 12月も半分が過ぎいよいよ寒さも本格的になろうとしているこの時期に、ようやくというかなんというか、手袋をして登校するようになった。瑠璃は淡い茶色がシックな印象を与える五本指のスタンダードな手袋、夏乃は薄いピンク色のミトン型の手袋をしている。今日までは凍える手を自分の息であたためている姿が見られたが、今日からはその必要はないみたいだ。


 仲良く笑い合いながら前を歩く2人をなんとなく眺めてみる。夏乃の方を向く瑠璃の横顔がちらりと覗いたが、その顔はなんの憂いの色も見えないすっきりとした笑顔だった。まるで、昨日の夜のことはもう忘れているかのようだ。結構な出来事だと思ったのだが、瑠璃にとっては大したことではなかったのかもしれない。心配だったのでもう一度昨夜の件について尋ねたかったが、瑠璃が笑顔でいてくれるなら、わざわざ掘り返すべきではないと思い黙っておくことにする。

 そんなことを考えながらふと自分の手を見てみると、昨夜、瑠璃を送る際に手を繋いだことを思い出した。



『手を繋ぐと、きっと、心も繋がる』



 俺の大好きな本『心の檻』の一節。でもそれは本の中の話。手を繋いだところで、瑠璃の気持ちは……心は分からなかった。


「ねーねーお兄ちゃーん! なにしてるのー?」


 俺を呼ぶ夏乃の声にハッとする。前を見ると、さっきよりも先の方に2人の姿があった。夏乃はこちらに向かって大きく手を振っている。瑠璃は不思議そうな顔でこちらを見ている。

 どうやら考え事をしていたせいで歩くペースが遅くなってしまったようだ。


「すまん、すぐ行く!」


 あまり待たせるのも悪いので小走りで駆け寄る。


「なにか考えてたの? 悩み事? 相談に乗るよ」


 瑠璃が笑顔で問いかけてくる。それはこっちのセリフ……そう口にしそうになったがすんでところで飲み込んだ。


「いや、大丈夫だ。ありがとう」

「そう? ふふっ、ならよかった」


 そう言って瑠璃はまた、夏乃と談笑しながら歩き始めた。


 …

 ……

 ………


 今日も1日、変わらない日常を過ごした。3人揃って登校し、授業を受けて、瑠璃と2人で帰宅して。ヒカリと遊んで、夏乃と一緒に夕食を食べて……そんないつも通りの平和な1日だった。瑠璃や夏乃、ヒカリがいてくれるこの日常を幸せだと、そう感じる。こんな日常がずっと続けばいいとすら思う。他人からすれば変わり映えのない日常で、つまらないと一蹴されるかもしれない。でも俺にとってはこの変わり映えのない日常も、かけがえのない大切なものだ。


 今日もまた、寝るまでの時間を本を読んで過ごそうと思った時、携帯電話の着信音が響いた。

 きっと瑠璃からだ。俺が連絡をとるのは瑠璃か夏乃しかいない。夏乃は家にいるから、わざわざ電話なんかしてこないだろう。

 携帯電話を手に取り画面を見てみると、案の定、瑠璃からの電話だった。


「もしもし。どうしたんだ?」

「あのね、今から河川敷に来れる? お話があるの」

「別に構わないが……もう、夜だぞ? 今日じゃなきゃダメか?」

「ごめんね。今日、直接会って2人きりで話したいことがあるの」

「しょうがないな。もう暗いから俺が瑠璃の家まで行くよ。それから河川敷に行こう」

「大丈夫だよ。もう河川敷にいるから」

「なら、すぐ向かう」

「うん、ありがとう。寒いからあったかくしてきてね」


 通話を終了し、急いで出支度をする。暗い中をひとりにしておくわけにはいかない。


「夏乃。今から河川敷まで行ってくるから」


 リビングでテレビを見ていた夏乃に声をかける。


「どうしたの? こんな時間に」

「瑠璃に呼び出されたんだ」


 俺がそう言うと、なぜか夏乃がニヤニヤしだした。


「ふ~ん。へぇ~。ほぉ~。頑張ってね、お兄ちゃん!」

「なにを頑張るんだよ。……まあいい、とりあえず行ってくる。すぐ戻ると思うが遅くなりそうならまた連絡する」

「あぁーーい! いってらっしゃーい!」


 なぜか嬉しそうな顔の夏乃に見送られ、家を後にした。


 …

 ……

 ………


 河川敷への道のりはそう遠くない。早歩きで向かうと数分で着いた。

 瑠璃は橋の上にいた。欄干に背中を預けて立っている。


「ごめんね、こんな時間に」

「いや、それは別に構わないが……話ってなんだ?」


 この季節の夜は気温がグッと下がる。あまり長居すると瑠璃が風邪を引くかもしれないと思い早速、本題に入った。

 ……が、なかなか言葉が返ってこない。瑠璃は思い詰めたような表情をして黙り込んでいる。


「大丈夫か?」

「ごめん、なんでもないの。あのね、あの子……ヒカリちゃんとは、いつ、どこで出会ったの?」

「え? ヒカリ?? なんで今そんなこと聞くんだ?」


 てっきり、昨日の夜いきなり家に来たのことについて話してくれるのかと思ったのだが……。

 それはわざわざ呼び出してまで聞くようなことなのか?


「まあ、いいじゃない。とりあえず、聞かせてよ」

「あ、ああ。……ヒカリはこの橋の下で捨てられていたんだ。5か月くらい前か……たまたまそれを見つけて、飼うことにしたんだ。……というかこの話、したことなかったか?」


 拾った次の日には、ヒカリについてひと通り説明したような記憶があるのだが……。


「うん……そう、だね」


 瑠璃は、小さくそう呟いた後、黙りこくってしまった。


「どうしたんだ? 昨日の夜といい、今といい、なんかおかしいぞ? 心配になってくる」


 ここ最近の瑠璃の言動には、大きな違和感を覚えてしまう。夜に急に押しかけて抱きついてきたり、不安だから手を繋いでと言った翌日には、あっけらかんとしていたり。今だってそうだ。こんな時間に呼び出したかと思えば、なぜかヒカリのことを尋ねてきたり……。


「ごめんね。心配してくれて、ありがとう。でも、別におかしくなったりはしてないよ。私は、私。何も変わってないから、安心して。今はまだ話せないけど……私は、大丈夫だから」


 瑠璃が大丈夫というなら、きっとそうなんだろう。瑠璃がなにか思い詰めているような、そういう気配は感じない。長い付き合いだから、よく分かる。瑠璃を信じて、このことについて深く考えるのはやめにしよう。


「分かった。……他に話、あるか?」

「ううん。わがままに付き合ってくれて、ありがとね」

「わがままだなんて思わないさ。……ほら、あんまり長いことここにいると風邪引くぞ。送ってくから、早く帰ろう」

「……うん」


 そうして俺たちは、並んで歩きはじめる。

 他愛もない会話をしながら歩いているとき、一瞬だけ、瑠璃が寂しげな表情をしたのを俺は見逃さなかった。


「……ん」

「……え?」


 少しだけ、勇気を出して手を差し出してみる。


「……ありがと」


 最初は戸惑ったような表情をしたが、意図を汲んでくれたようで、行き場を失いかけていた手をそっと捕まえてくれた。


「……やっぱり、優しいんだね。……大好き」

「ん? なんか言ったか?」


 なにか呟いたようだが、声が小さすぎてよく聞き取れなかった。


「ふふっ。なんでもないっ」


 瑠璃が、いたずらっぽく笑った後、沈黙が訪れる。


 気まずさなんて、一切感じなかった。照れくさい、けれどもどこか心地いい。そんな不思議な気持ちで、瑠璃の家への道を歩いていくのだった。

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