【番外編】その笑顔に、私はきっと……
今日はバレンタインデー。わたしはずっと、この日が来るのを待ち望んでいた。
勇気を出して、春にチョコレートを渡すんだ。これをきっかけに、またあの時みたいに春と仲良くなるために……。
でも、春はわたしのことをさけているから、ちゃんと受け取ってくれるか不安になる。
『どっかいって! もうボクに、はなしかけないで!!』
そんな風に春におこられて、すごく悲しい気持ちになったことを、今でもはっきりとおぼえてる。
あの時の春は、日に日に元気が無くなっていったことに、わたしは気付いていた。それが心配で、元気が無い理由を聞いてみた時に返されたのが、その言葉。
わたしは、ショックでたくさん泣いちゃった。春に言われた通り、しばらく話しかけることも出来なかった。
けど、やっぱり春とお話しも出来ないなんてすごくつらかったし、何よりも、元気が無くなっていく春が見ていられなくて、ある日、勇気を出して話しかけてみた。
……でも、春は同じようなことを言って、わたしを遠ざけた。何度も何度もそんなことをくり返したけど、春がわたしを受け入れてくれることはなくて……今みたいにお話をすることすらなくなってしまった。
それでも、わたしは春のことが大好きだから、このチョコレートをわたして、もう一度仲良くしてくださいってお願いするんだ。
春は本当はすごくやさしい子だから、わたしにあんなことを言ったのには何か理由があるはずなんだ。それを知って、また仲良くなって、春にはあの時みたいな元気で明るくてすてきな笑顔を、取りもどしてほしい。
……大丈夫。春のためにいっしょうけんめい作ったから、私の気持ち、きっと伝わるよね……。
…
……
………
春にチョコレートをわたせずに、帰りの会が始まってしまった。中休みとか昼休みにと思ったんだけど、いざとなると勇気が出なくて、わたすことが出来なかった。
放課後にわたさないと、バレンタインデーが終わっちゃう。今日わたせないと、春とわたしは一生このまま……そんな気がする。チョコレートを渡すのはすごくこわいけど、そうなってしまう方がずっとずっとこわかった。
帰りの会が終わった。バクバクと鳴る心ぞうを深こきゅうで落ち着かせる。チョコレートが入った箱をランドセルから取り出して、春の席に行って、わたす。それで、わたしの気持ちを伝えて、春ともう一度仲良くなるんだ……。
「……だいじょうぶ、できる。わたし、ちゃんとできる……。がんばって、わたし……」
小さくつぶいた後、勇気をふりしぼって、立ち上がった。
「……あれ、春、いない」
春の席に目を向けても、そこには誰もいなかった。
「あっ」
……そうだった。春はいつもすぐに教室を出ていくんだった。私がもたもたしている内に、春は帰っちゃったんだ!
「おねがい……まって、春……」
急いだら春に追いつくかもしれない。そう思って、ランドセルからチョコレートの箱を取り出して、走って教室を出た。
ろう下も走って走って、必死に追いつこうとした。ろう下を走るなって先生にどなられたけど、そんなことは気にしていられない。今止まって春に追いつけなくなったら、チョコレートをわたせなくなって、春とはもう一生……そんなのはぜったいにいや!
しょうこう口に着いて外を見ると、春の後ろすがたが見えた。
「よかった……っ!」
春を見失わないように、急いでくつをはきかえる。春は歩くのが早くて、少し目をはなしただけでさっきよりも遠くに行ってしまっていた。わたしはまた、必死になって走った。
「春っ!」
「……え?」
校門の前で、やっと追いつく。春は、わたしの声におどろいた様子でふり返った。
「こ、これ……受け取ってください! いっしょうけんめい、作ったの!」
必死になってここまで走ってきたから、心のじゅんびがぜんぜん出来てない。急にこわくなって、春の顔も見れずに、自分が何を言ったのか分からないまま、気付いたらチョコレートを差し出していた。
「あ……え……」
春はこまったような声を出したけど、すぐに受け取ってくれた。
……やった! 良かった! 受け取ってくれた!
「じゃ、じゃあね!」
「あっ……待っ……」
わたしは、春がチョコレートを受け取ってくれたことに嬉しくなって、頭はもう真っ白。どうすればいいか分からなくなって、いつのまにか走り出していた。
校門を出て、走って走って、やっと冷静になって立ち止まった時には、学校が見えないくらいにはなれたところにいた。
「……なにやってるんだろ、わたし」
春にチョコレートをわたせたところまでは良かったんだけど、大事なことを忘れてるじゃない。
……どうしよう? 今からもどって、春に会いに行く? でも、そんなことしたら春に変に思われるかも……。
「ああっ……どうしよう、どうしよう……っ」
もどりたい……けど、すごくはずかしい……。今、春に会ってもうまく話せる自信がない……。
そんなことを考えながらあたふたしてたら、春が遠くから歩いて来るのが見えた。
「こっちに来るっ。まだ心のじゅんびが出来てないよぉ……」
わたしはとっさにわき道に入って、電柱のかげにかくれる。大通りの様子を見ていると、春が早歩きで通りすぎていったのが分かった。
「あう……。またにげちゃった。春に伝えたいことがあるのに……」
大通りにもどると、春の後ろすがたはすでに小さくなっている。
「……よし」
わたしは、春をこっそり追いかけることにした。見失わないようにはなれすぎず、見つからないように近づきすぎず、春の後をついていく。春がお家に帰るまでに声をかけないといけないけど、なかなかチャンスがなかった。というか、まだ心のじゅんびが出来てなくて、話しかけられない……。
春の今のお家がどこにあるのかは分からないけど、もうかなり歩いたから、そろそろかくごを決めないといけない。
「あれ……?」
ちょっと目をはなしたら、前にいた春がいなくなった。目をはなす前、春は橋をわたりきるところだった。
「あ、もしかして……」
橋の手すりから下を見わたすと、春が橋の階だんを下りているのが見えた。
……このかせんじきに何か用事があるのかな?
ここは、ようち園のころに春とよく遊んだ、思い出の場所。春が親せきに引き取られてようち園に来なくなってから、わたしもここに来て遊ぶことは無くなった。
あのころは、すごく楽しかった。大好きな春といっしょに遊んだり、家族みんなでお花見をしたり……春とのたくさんの思い出が、このかせんじきにはつまっている。
あんな風に、また春といっしょに楽しくすごせたらいいなぁ……。
大切な記おくを思い出して、やっと心の準備が出来た気がする。階だんを下りたら、春に声をかけよう。
雪が積もっているから、こけないようにしんちょうに階だんを下りていく。はしの下に春がいるのを見つけ、声をかけようとしたけど……
「……ねこ?」
春が小さな黒ねこといっしょにいた。春が他のだれかといっしょにいることなんて考えもしなかったから、おどろいてまたかくれてしまった。
春は、黒ねこに食べ物をあげてるみたいだった。このかせんじきに住んでるねこなのかな……? すごくなついてるみたいだけど、春はいつからこの黒ねこに会いに来るようになったんだろう。
声をかけられるような感じじゃなくなったので、かくれたまま様子を見ることにした。
食事を終えた黒ねこは、橋の足にもたれてすわる春に飛びのった。春が何かしゃべってるみたいだけど、ここだとよく聞こえないから内容は分からない。
「あ……」
春が黒ねこをだきしめた。黒ねこは、なれたように春の顔をなめている。
……とても、仲がよさそうだった。
それを見て、なぜか心がキュッとなっていたかった。
「あれ……春、泣いてる?」
どうしてか分からないけど、見ていると心が苦しくなるから目をそらす。そうしたら今度は、春がすすり泣く声が小さく聞こえてきた。
もう一度春の方を見てみると、黒ねこがなぐさめるように春の顔をなめていた。それが、春のなみだをやさしくぬぐってあげているように見えて、また心がキュッっていたくなった。
春は学校ではいつもひとりぼっちなのに……。いつも元気が無くて、かんじょうを表に出すところなんて見たことがないのに……。
あの子の前では、そうやって、自分を出すことが出来るんだね……。
春にとってあの黒ねこは、かけがえのない存在なんだって、分かった。
……分かってしまった。
このまま見てても苦しいだけだから、もう帰ろう……そう思った時、春がランドセルから取り出した物を見て、私は目がはなせなくなった。
「わたしがあげたチョコレートだ……」
春は箱を開けて、ハートのチョコレートを手に持ち、ふたつにわって、黒ねこといっしょに食べ始めた。
私が春のために手作りしたハートのチョコレート。春が甘いのが苦手だから、甘くならないように何度も何度も作り直して、やっとできたチョコレート。
春はそれを食べて、おいしそうな顔をしてくれた。すごくうれしい……でも、真っ二つにわれたハートを見て、私の気持ちはもう届かないんだって、思ってしまった。
ひとりぼっちだと思ってた春には、大切な存在があった。わたしが、あのふたりの仲に入ることなんて、できっこない……。
「……えへっ、あははっ!」
……春の笑い声が聞こえてくる。またそらしてしまっていた目を向けると、遠くからでも分かるくらいに、春はすてきな笑顔をうかべていた。
その笑顔を見て、むねがいたいはずなのに、すごくドキドキした。こんな風にむねがドキドキするなんて、わたしは知らない……。
なに、これ……。なんなの……? むねがいたくて、でもドキドキして、すごく苦しい……。
……ねえ、春。キミが笑ったのは、私のチョコレートがうれしかったから?
それとも……。
なみだがどんどんあふれてきて止まってくれない……。
わたしはなみだを必死にぬぐいながら、階だんをかけ登った。
…
……
………
わたしは春に必要とされていないし、これからもたぶん、そう。昨日、かせんじきでわたしは思った。
春にはあの子がいて、いっしょにいる時はとても幸せそうだった。春のなみだと笑顔を見たのは、ようち園のころ以外だったら、昨日が初めてだ。春は、あの子の前だからそれを見せて……。
春が大切に想ってるのは、私じゃなくて、あの子なんだ。きっと、これからずっと……。
今日の昼休みに、春がチョコレートのお礼を言ってくれた。小さな声で「チョコレートありがとう。おいしかった」って……。わたしはすごくうれしかった。昨日伝えられなかった気持ちを、伝えたいって思った。
……でも、あの子のことを思い出したら、言葉が出てきてくれなかった。
「……りちゃん? るりちゃん?」
「……え? どうしたの?」
「だから、そろそろ帰らないと、パパとママが心配するよって」
時計を見ると、16時半だった。結衣ちゃんの言う通り、そろそろ帰らないといけない。
「じゃあ、また遊びに来てね、るりちゃん」
「うん。おじゃましました」
結衣ちゃん家を出て、急いでお家への道を歩いていく。いつも、お家に帰るときはあのかせんじきのはしを通っているけど、今日は通りたくなかった。
……昨日のことを思い出しちゃうから。
でも、橋をさけてしまうと、遠回りになって帰るのがおそくなってしまう。
……少しなやんで、けっきょく、橋を通ることに決めた。
「あれは……春?」
はしをわたろうとした時、真ん中あたりに春が立っていた。今日は、あの黒ねこと いっしょじゃないみたい。
……やっぱり遠回りをしようかと思っていたら、春が橋の手すりに登ろうとしているのが見えた。
「っ!」
春が何をしようとしてるのかが、すぐに分かった。わたしは、何も考えずにただ走った。
「春っ! やめて! だめぇ!!」
春の体が、手すりの外がわにかたむきかけたしゅんかん、わたしは春に飛びついた。
2人でゴロゴロと転がって、止まる。
「はぁ、はぁ……。間に合った……。よかった……」
起き上がって春の無事をかくにんすると、安心で力がぬけた。体中を打っていたかったけど、今はそんなことどうでも良かった。
「どうしてこんなことしたのっ!?」
「瑠璃ちゃん……手をはなして。ボクはもう死にたいんだ」
「……死にたいって、どうしてそんなこと言うの!?」
昨日はあんなに幸せそうに笑ってたのに、死にたいだなんて……。
「ヒカリが死んじゃったんだ……。ボクはまたひとりぼっちになっちゃった。生きていても、いい事なんて何もない。もう、ボクには、生きる意味なんてないんだよ……」
“ヒカリ”というのが、昨日の黒い子ねこの名前だって、すぐに分かった。
あの子が死んじゃった……。春はかけがえのないそんざいをなくしたことにぜつぼうして、死ぬことをえらぼうとしているんだ。
「だいじょうぶ、きっとまた会え……」
「会えないよっ! 死んだらぜんぶぜんぶおしまいなんだ! パパもママも、ヒカリも……もう二度ともどってこない! ボクはこれからずっとひとりぼっち……そんなの、生きててもつらいだけだよ!!」
春は、ぽろぽろとなみだを流しながらさけんだ。そんな春のすがたを見て、わたしは、何を言えばいいのか分からなくなった。
「はなして、瑠璃ちゃん。つらくて、つらくて、もう、たえられない。ボクは今すぐ、死にたい」
春のうでをつかんでいるこの手をはなしたら、春は橋から飛びおりてしまう。わたしは、ぜったいにはなさないように、手に思いっきり力をこめる。
「いやっ! いやいやいやぁっ! ぜったいに、はなさない!」
「ボクなんか、生まれてこなければ良かったんだ……っ!」
「そんなことないっ! そんなこと言わないでっ!!」
「……もういいでしょ、瑠璃ちゃん。ほら、はなして!!!」
「あっ!」
春が、強引に手をふりはらった。わたしの力じゃ春の力に勝てなくて、手を、はなしてしまった。
「あっ……いやぁ……だめっ……だめぇぇ!!!」
手すりの方に向かおうとする、春のせなかに飛びついた。今度こそぜったいにはなれないように、手を回してギュッと強く強くだきしめる。
「どうしてそこまでするの……。ボクなんか、放っておけばいいのに……」
春のその言葉に、わたしの中の何かが切れる。……そんな感じがあった。
「放っておけるわけないでしょ!? わたし……わたしは、春のことが大好きなの! キミのそばにいたいの!!」
「え……」
「春はひとりぼっちなんかじゃない! これからはわたしがずっとそばにいる! わたしが、あの子の代わりになるから、もう死にたいだなんて言わないで!!」
「でも、ボク……」
「でもじゃない! 死ぬのなんてぜったいだめだもん! わたし、ぜったいにキミをはなさないから! キミが死なないって約束してくれるまで、ぜったいにはなさないもん!! キミのことが大好きだから、死ぬのなんてぜったいにゆるさないんだもん!! ……う、うぅ、うわぁぁぁぁぁぁぁん! ばかばかばか! 春のばか! うわあああああああああああああああああん!!」
「瑠璃ちゃん……」
もう、自分でも何を言ってるのか分からなくなって、泣きさけんでしまった。でも、春をだきしめる力はゆるめなかった。
「……分かったよ。もう飛びおりたりしない」
春のおだやかで落ち着いた声が、私の耳に届いた。
「……うぅっ……ぐすっ……ほんと?」
「うん。だから、もう泣かないで」
春はわたしの手をやさしくほどいて、手でなみだをぬぐってくれる。
……よかった。春が死ななくて、本当によかった。
「う、うう……春。……春ぅ」
「ごめんね、もうだいじょうぶだから。……それより、まっくらになっちゃうから、早く帰った方がいいよ」
「……ついて行く」
「え?」
「春のお家、ついて行く。約束してくれたけど、そばで見てないと、まだこわいから……」
また死のうとするかも知れないから、春をひとりにはしたくない。だめって言われても、ぜったいについて行く。
「ボクはまだ帰らないよ。……ヒカリをうめてあげないといけないから」
あ……。死んじゃったって言ってたあの黒い子ねこ……。
「わたしもいっしょに、うめてあげたい。……いい?」
「……うん。じゃあ、行こう? ヒカリは橋の下にいるんだ」
春といっしょに橋の階だんを下りていく。
……私はこの日から、いつでも春のそばにいるようになった。
“あの子の代わりに、春を支える” そう心に誓って――――。




