表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/86

第57話 血の繋がり 心の繋がり

 病院から帰宅し、昼食で汚れた皿を洗いながら、物思いにふけ

 箱庭にポジティブな変化が見られるようになったのと同じように、春くん自身にも良い変化があった。


 まずは何といっても、自傷行為が少なくなったことだろう。頻度が明らかに減ってきているのだ。

 これまでたくさん自傷を行ってきた春くんだったが、そのどれもが人を傷つけるようなことはなかった。他傷に発展する可能性も指摘されていた中、ただの一度も、人に危害を加えるようなことはしなかった。春くんはどんなことがあっても人を傷つけたりしない、誰よりも強くて、誰よりも優しい心を持っているんだ。


 長い間、虐待を受け続けてきたにも関わらず春くんがそうあれたのは、きっと義兄さんと冬花さんの、深い愛情があったおかげなんだと思う。あのあたたかい家庭は、僕の憧れだった。これから僕たちは、あのような素敵な家庭を築いていくことが出来るだろうか。


 そして、他にも喜ばしい変化があって、それは春くんが僕に対して時々、敬語を使わなくなったことだ。春くんを引き取った当初、これからは家族だから敬語は使わなくていいと言ったことがあった。しかし、春くんはこれを受け入れてくれなかった。ところが最近になって春くんは、たまに敬語を使わずに話してくれるようになったのだ。僕が話したことを覚えていてくれたのかは分からないが、とても嬉しい変化だった。


 春くんには様々な良い変化があったが、変わらないこともある。夜驚や自己否定はほとんど改善せずに残ってしまっていた。だがこれらも、時間が経てばやがて解決するはずだと、今では思える。


 昼食の後片付けが終わり、キッチンから離れようとした時、春くんがやってきた。テレビのリモコンを手に持って、ただ立ち尽くしているので、しゃがんで声を掛けてみる。


「どうしたの?」

「……」

「テレビ見たいの?」


 そう問いかけると、春くんはそっとリモコンを僕に差し出してきた。


「一緒にテレビを見たいのかな? もちろんいい……」

「ううん。おじさんは、これでボクの頭をたたいて」


 背筋に悪寒が走った。


「え? 叩くって……」

「あの人たちは、いつもこれでボクをたたいてたんだ。だからおじさんも、ボクのこと、同じようにたたくでしょ?」

「なっ……」


 ……愕然としてしまう。全てがいい方向に進んでいたはずなのに、春くんがそんな風に思っていたなんて。

 虐待をしてきたあの2人とは違うと、春くんに伝えてきたつもりだったのに、今になってどうして……。


「……そんなこと、僕は絶対にしない」

「どうして? あの人たちは、ボクに毎日ひどいことをしてきたよ。おじさんはちがうの? どうしてぜったいにしないって、言い切れるの?」


 ……ああ、そうか。この子は、まだまだ不安を抱えているんだ。きっと、虐待のトラウマがそうさせている。心に刻まれた忌まわしい記憶がよみがえって、この子を不安に陥れるんだ。

 試されているように感じてしまうが、これはきっと、春くんが虐待の記憶を乗り越えるための行動……そんな気がしてならない。



 ……では、どうすればその不安を拭ってあげられる? 

 ……どんな言葉を掛けたら、春くんの背中を押してあげられる?



「君は、僕の大切な家族だよ。だから……」

「ちがうよ、家族なんかじゃない。だってボクとおじさんは、血のつながりがないんだから。『血が繋がってないお前を、自分の子供だと思えない』って、おばさんがいつも言ってた。血のつながりがないと、家族にはなれないんだよ」

「春くん……」


 そんなにひどいことを……。春くんはそう言い聞かされ、本気でそのように思い込んでしまっているんだ。

 血の繋がりがないからなんだと言うんだ? 血の繋がりだけが、家族たらしめるものではない。


「いいかい? 血の繋がりがないと家族になれないなんて、そんなのは間違っているんだ」


 家族であることに、血の繋がりよりも、大切なのは……。


「家族になるために、血の繋がりは関係ない。本当に大切なのは、血の繋がりじゃなくて、心の繋がりなんだよ」

「……心?」


 春くんは、胸の中心にそっと手を当てて、小さく呟いた。


「そう、心の繋がり。血の繋がりが無くたって、心が繋がれば、家族になることが出来るんだよ」



 “血が繋がっている”



 それだけで生まれる絆は、確かに存在する。それは、簡単に切ることはできない、強固な絆に違いない。

 ……でも、例えば、どうしようもなくつらいとき苦しいとき、本当に必要なのは、血の繋がりよりも心の繋がりなんだと、僕は思う。



 血の繋がっている存在を“家族”と呼ぶよりも、心の繋がっている存在を“家族”と呼ぶ方が正しいと、僕は信じている。



「……よく分かりません」

「あっ、春くん……」


 僕の言葉を聞いてしばらく黙った後、春くんは静かに離れていった。

 僕の伝えたかったこと、その気持ちを、全て理解してくれたとは思わない。ほんの少しでも届いていれば、それで十分だった。

 春くんの状態は良くなってきているが、心の傷はまだ完全には癒えていないんだ。


 春くんの“家族”として、春くんに“家族”だと思ってもらえるように、少しずつでいいから、僕の心を伝える努力をしよう。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ