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第47話 瑠璃ちゃんがいてくれるなら

 春くんを迎えてから3日目の朝。昨日はちゃんと学校に行った春くんだったが、今日も変わらずに行ってくれるだろうかと心配だった。

 朝食を作っている時、1人で着替えて起きてきたところを見るに、どうやら思い過ごしだったと安心する。


 今日も今日とて寝坊をする夏乃を起こして、3人揃っての朝食を終える。学校に行くための身支度をし、そろそろ登校時間になるというところで、リビングにインターホンの音が鳴り響いた。


「こんな朝早くに誰だろう……?」


 来客の予定はないし、宅配便にしては早すぎる。

 疑問に思いながら扉を開けると、そこには1人の女の子が立っていた。


「あっ……。お、おはよう、ございます……」


 女の子は目を泳がせ、少し俯きがちに、消え入りそうな声で呟いた。


「君は……」


 目の前に立つ女の子には見覚えがあった。腰まで届く金色の長髪に、濃い青色をした瞳……この間、児童相談所の前で会った女の子だ。


「あ、あのっ。わたし、久遠寺瑠璃って言います。春の……春くんのクラスメイトです。春くんのおうちがここだって聞いて、いっしょに登校したいと思って来ました」


 あの時この子は、春くんの友達だと言っていた。それに、児童相談所に虐待の通報をして春くんを救ったのもこの子だ。




『わたしはあの日……あの子の代わりに、春を支えるって決めたから』




 この瑠璃という女の子が、こう言ったのを僕は未だにはっきりと憶えている。


 “あの日”というのがいつのことなのかは分からないが、春くんとの間でそう誓うことになった何かがあったはずだ。

 春くんを支える……か。いっしょに登校したいというのも、その一環なのだろう。


 ……この子はきっと、その誓いに対して本気なんだ。あの時のラピスラズリのような瞳の輝きを思い出して、僕はそんな風に思った。


「あの……おじさん?」

「……え?」


 瑠璃ちゃんは、しばらく黙ったままだった僕を、不思議そうな顔をして見上げている。


「あ、あぁごめんね。ちょっと考え事をしてたんだ。君が来てくれて、春くんも嬉しいと思うよ。今、準備してるからもう少し待っててね」


 目線を合わせるために、少しかがんで返事をする。


「ところで、瑠璃ちゃん。おじさんのこと憶えてるかな? この前、児童相談所の前で会ったよね?」

「……? あっ! あの時の、春の親せきのおじさん!」


 瑠璃ちゃんは不思議そうに首を傾げたが、すぐにあの日の記憶に思い至ったようだ。


「あの時は急にいなくなっちゃってごめんなさい……」

「いや、そんなことは気にしてないから、大丈夫だよ。それより、改めてありがとうね。君のおかげで春くんは、危ないところから逃げることが出来たんだよ」

「はい……でも、わたし、気付くのがおそかった……。春はずぅっと、いっぱい、いっぱいひどいことをされてたのに……」


 瑠璃ちゃんは今にも泣き出してしまいそうな表情をして……けれども、それを必死でこらえるように、拳を強く握りしめながら言った。

 この子は、もっと早くに虐待に気付けなかった自分を責めているのかもしれない。


「そんなことない。春くんがひどいことをされていた事実に気付いたのは君だけだったんだよ。学校の先生も、近所の人たちも気付けなかったことに、君だけが気付いたんだよ。それはとてもすごいことだって、おじさんは思うよ」

「……はい」


 おそらくそれは、瑠璃ちゃんが本当によく春くんを見てきたことの証左しょうさだろう。大人達ですら気付かなかったことに、年端もいかない少女が気付いたという事実。春くんと瑠璃ちゃんの間に過去、どんな関わりがあったのかは分からないが、その事実が、2人がすでに深い絆で結ばれていることを示していると、強く感じた。


「君はあの日、“春を支えるって決めた”と言っていたよね? 今日ここに来てくれたのも、春くんを支えたいと思ったからかな?」

「はい。春のことが心配だから、いつもそばにいて支えになりたい……。春、いつも元気がないから、元気にしてあげたい。それで、わたしの大好きなあの笑顔を、取りもどしてほしいんです」


 ラピスラズリの瞳が、僕を真っ直ぐに射抜く。それは、あの日見た時と同じ、決意の色をしていた。



 ――――この子がいてくれるなら、春くんはきっと大丈夫。



 僕は素直にそう思えた。学校に通わせることに強い不安を抱いていた僕だったが、この子がそばで春くんを支えてくれるなら、心配はいらない。家では僕が、学校では瑠璃ちゃんが。そうすることで、春くんは元気を取り戻すことができる……そんな確信めいた予感がしている。


「……ありがとう、瑠璃ちゃん。春くんのこと、よろしくね」

「はい。……でも、おじさん。そろそろここを出ないとちこくしちゃうかもしれません……」

「えっ!? ほんとだ、もうこんな時間! すぐに呼んでくるから待っててね!」


 慌ててきびすを返し、2人を呼びに行く。春くんと夏乃はもう準備万端だったので、すぐに玄関に連れて行った。

 靴を履き、3人揃って外に出る。扉の先で待っていた瑠璃ちゃんは、僕の後ろにいる春くんを視認して、顔をパァっと輝かせた。


「春! おはよっ! いっしょに学校に行こう?」

「……るりちゃん。おはよう……」


 瑠璃ちゃんが春くんに明るく笑いかけると、春くんは照れと困惑が入り混じったような表情をした。普段ほとんど無表情でいる春くんが、こんな風に感情が顔に表れるのは珍しい。春くんは瑠璃ちゃんにある程度、心を開いているのかもしれない。

 瑠璃ちゃんは続けて、春くんの隣に立つ夏乃に視線を向ける。


「夏乃ちゃん……だよね? 久しぶりだね」

「……? だぁれ?」

「そっか。あのころの夏乃ちゃんは赤ちゃんだったから、おぼえてないよね。……わたし、瑠璃っていうの」

「……るりちゃん?」

「うん、そうだよ。よろしくね、夏乃ちゃん」


 2人は初対面だと思っていたが、瑠璃ちゃんの方は夏乃を知っているようだ。僕が夏乃を引き取ったのは2歳の時だったから、それ以前に交流があったということになる。

 義兄さんと冬花さんが生きていた頃、家族ぐるみで付き合いがあったのだろう。ということは、春くんとの付き合いも、小学生になる前からのはずだ。白桜町は小さな町だから、幼稚園が一緒だったのかもしれない。瑠璃ちゃんには、今度ゆっくりその辺の話を聞いてみたいものだ。


「じゃあ、2人とも。いっしょに学校に行こう!」

「うん! いっしょにいこう! るりちゃん!」


 夏乃は元気にそう言って瑠璃ちゃんに駆け寄る。人見知りが激しい子なのに、いとも簡単に瑠璃ちゃんに心を許していた。その朗らかな笑顔に瑠璃ちゃんの優しさを感じ取ったのか、もしかしたら、心のどこかで瑠璃ちゃんのことを憶えているのかもしれなかった。


「……春? どうしたの?」

「……」


 瑠璃ちゃんの言葉に応じず、春くんは立ち尽くして固まっている。そんな春くんの様子を見て、瑠璃ちゃんが歩み寄っていく。


「行こっ! 早くしないとちこくしちゃうよ!」


 瑠璃ちゃんが、春くんの右手をそっと握った。


「あっ……」


 動かない春くんの手を引いて、瑠璃ちゃんが駆けだした。


「おじさん! 行ってきまーす!」

「あ、ああ。行ってらっしゃい」


 春くんの手を握ったまま、瑠璃ちゃんが学校の方へと駆けていく。春くんはなすがままに手を引かれて、ついていくことしかできない様子だ。


「まってよー! るりちゃん! おいていかないで! ……おとーさん、いってきます!」

「うん、行ってらっしゃい」


 置いて行かれるような形になってしまった夏乃は、慌てて2人を追いかけた。瑠璃ちゃんは夏乃がついてきていないことに気付いたのか、少し離れたところで立ち止まって、夏乃が来るのを待っている。


「……うん」


 ほんの少しだけ強引なところもあるようだけど、瑠璃ちゃんになら安心して2人を任せられる。春くんにとって瑠璃ちゃんの存在は、間違いなくいい影響を与えるだろうし、夏乃との仲を取り持つ存在にもなってくれるかもしれない。


 今日の登校にもこっそりついていこうと考えていたのだが、そんな瑠璃ちゃんがいてくれるのならと、やめることにする。

 夏乃が2人に追いつき3人が揃って歩き出したのを、あたたかな気持ちで見送るのだった。

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