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第46話 2人きりの時間

 いつもより1人分多い朝食を作っていると、春くんがダイニングにやってきた。自分で起きてきたことに少なからず驚いたし、着替えも済ませていて学校に行く準備も万端な様子がさらに驚いた。


 昨日から思っていたが、春くんはほとんど手のかからない子のようだ。自分のことは自分でやるし、言われたことは素直に聞いてくれる。長いあいだ虐待を受けて育った子とは思えないほどいい子で、覚悟をして迎えただけあって少々肩透かしのような感じがするが、いい子でいてくれるに越したことはない。


「おはよう、春くん。早いね。お腹が空いたのかな?」


 キッチンから、ダイニングにただ立っている春くんに声をかける。


「……おはようございます。何か、手伝い、ありますか?」


 ……また、驚いてしまった。この子は、手伝いをするために早く起きてきたのだろうか。


「ありがとうね。でも、大丈夫だよ。君はそんなに気を使わなくてもいいんだ。手伝いは、この家の生活に慣れてからしてもらおうかな。……もうすぐ朝ごはんが出来るから、座っててね」

「はい」


 春くんが頷いて席についたのを確認し、朝食の準備を再開する。後は目玉焼きを作って完成だ。

 夏乃は半熟の目玉焼きが好きだが、春くんはどうなのだろうか。半熟と完全に火を通した目玉焼きを作って春くんに選んでもらおう。残った方を僕が食べればいい。そうして半熟が2つ、固焼きが1つ出来上がり朝食が完成した。


 出来上がった朝食を食卓に並べた後、いつものようにお寝坊さんな夏乃を起こしに行くことにする。小学生になってから「おねーちゃんになったんだからひとりでちゃんとおきるよ!」と張り切っていたのに、結局、ただの一度たりともひとりで起きたことがない。でも、そんな夏乃を微笑ましく思うのは、さすがに甘やかしすぎだろうか?


「おーい。夏乃ー。朝ごはん出来たよー」


 カーテンを開け放ち、丸くなって眠る夏乃を揺すってみる。


「う、うぅん……。もうあさなのぉ? まだねむいよぉ」


 夏乃はうめきながら寝返りを打って、僕の手から逃れようとする。


「あれぇ? お姉ちゃんはひとりで起きるんじゃなかったのかな?」

「だって、ねむいんだもん……。おとーさん、あと5ふんだけ、いいでしょ?」


 5分も待っていたら朝食が冷めてしまうし、春くんが待ちくたびれてしまう。

 ……いつもはこうやって可愛くぐずる夏乃に負けてしまうのだが、今日は夏乃を起こす、とっておきの方法があった。


「今日はデザートにプリンがあるのに、いいのかなー? お父さんが食べちゃうよ?」

「!!!」


 ……ガバッ!っと夏乃が勢いよく起き上がった。


「プリン!たべる!おきる!」


 そのままの勢いでベッドからおりて、部屋を出ていこうとする夏乃。


「ちゃんと手と顔を洗ってからねー」

「うん!」


 僕の言葉に振り返った夏乃は、眠気が微塵みじんも感じられないほどの満面の笑みを浮かべていた。そして、嬉々として、跳ねるように部屋を出て行った。


「いつもこれくらいすぐに起きてくれると助かるんだけどなぁ……」


 プリンの絶大な効果に思わず苦笑してしまいながら、夏乃の部屋を後にする。

 ダイニングに着くと、夏乃はすでに席についていた。


「おとーさん、おそいよぉ! はやくたべよ!」

「はいはい。すぐ行くよ」


 夏乃に急かされてしまったので、足早に自分の席に向かう。


「じゃあ、手を合わせて……いただきます」

「いただきます!」

「……いただきます」


 夏乃は元気な声で、春くんは小さな声で合掌した。

 夏乃は早速、大好きな半熟の目玉焼きを幸せそうな顔をしながら口に運んだ。そして、よく噛まないうちに飲み込んで、次はごはんを口に運ぶ。大きく口を開いて、中に入るだけ詰め込んでいたので、ハムスターのように頬を膨らませている。


「こら、夏乃。ゆっくり、よく噛んで食べなさい」

「んぐっ。ごめんなさい。……でも、はやくたべないとプリンがなくなっちゃう! おとーさんにたべられちゃう!」


 さっきは早く起きないと食べちゃうぞと言ったつもりだったのに、どうやら夏乃は、早くごはんを食べないとプリンを食べられてしまうと勘違いしたようだ。


「ははっ。ごめんね。あれは冗談だよ。急がなくてもプリンを食べたりしないから、ゆっくり食べようね」


 こんな可愛い勘違いをしたり、デザートは最後というルールを守って、プリンを最初に食べたりしないあたり、夏乃は本当に素直な子だ。

 春くんの方は、今日も淡々と食事をしている。先ほど皿を並べるとき、半熟と固焼きのどっちがいいか尋ねたら、春くんは半熟を選んだ。おいしそうな顔をして食べないので、本当に好きかどうかは分からないが、夏乃と同じ半熟を選んだのは、やっぱり血の繋がった兄妹だから何か通ずるところがあるのかもしれないと、そう思った。


 …

 ……

 ………


 朝食を終え、2人は登校のための身支度を整えた。

 登校の時間になり、玄関から2人が一緒に家を出ていくのを見送る。


「……よし」


 ……こっそり、ついていこう。とても心配だから。


 こっそりじゃなくて、一緒に行こうかとも思った。だが登校の時間は、おそらく兄妹が2人きりになる唯一の時間だ。それはたぶん、2人の仲を深めるには必要な時間で……。僕はそれを邪魔したくない。

 でも、2人きりにするのは、どうしても心配で心配でたまらないから、こっそりついていくことにしたのだ。


 バレてしまわないように近づきすぎず、かといって離れすぎずを心がけてついていく。

 春くんの後ろを夏乃がついていくかたちで、2人は歩いている。春くんは僕の家から通うのが初めてのはずだが、道が分かっているようだ。2人はそのまま歩いていき、やがて学校に到着し、校門をくぐって校舎に入っていった。


 夏乃はずっと春くんの少し後ろを歩いていたが、時折、後ろから話しかけようとする仕草が見られた。その度に心の中で頑張れ、頑張れと叫んだものだが、夏乃が春くんに話しかけることはできず、春くんは夏乃の葛藤を知ってか知らずか分からないが、一度も振り返ることなく歩いた。せっかくふたりきりなのに、会話すらなかったのはすごく残念に思ったが、新しく知ったこともあった。

 僕は、この登校中に春くんの優しさを垣間かいま見た。春くんと夏乃は4歳も年が離れていて身長差があり、当然歩幅も違う。普通に歩けば、夏乃はどんどん離されていくはずだ。それなのに、2人は最後まで一緒だった。夏乃が走ったりして春くんに合わせたわけではない。おそらく春くんが背後の足音を聞いて、離れたらペースを落とし、夏乃に合わせたのだろう。ささいなことだったが、そんな春くんの優しさを知って、僕は嬉しくなったのだった。


 2人が学校に行っている間、家事や仕事をして過ごす。春くんは学校でうまくやっているだろうか、とか、1人でつらい思いをしていないだろうか、とか色々よくないことを考えてしまい、家事は頭を使わなくていいからまだよかったのだが、執筆の方は全く捗らなかった。


 机に向かって頭を悩ませていると、夏乃が学校から帰ってくる。いつのまにか、かなりの時間が経っていたようだ。その後しばらくして、一年生の夏乃より放課が遅い春くんが帰ってくる。


 学校での出来事をそれとなく聞いてみたかったのだが、春くんはすぐに自分の部屋に行ってしまった。

 それからは、昨日とそう変わらない時間を過ごした。夕食の時に今日の学校について尋ねてみたのだが、春くんはあまり話してくれなかった。何かいいことがあったのかも、逆にいやなことがあったのかも、それすら分からない。


 春くんが夏乃のように、学校での出来事を楽しそうに話してくれる日は来るのだろうか。

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