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第41話 あの子の代わりに、春を支える

 児童相談所の門を出て駐車場へ向かおうとした時、こちらをじっと見つめる視線に気が付いた。


 きれいな長い金色の髪を風になびかせているその女の子は、赤色のランドセルを背負っており、学校帰りの近所の小学生だとうかがえた。

 なぜこちらを見ているのか不思議に思い、しばらく横目で様子を探ると、どうやら僕を見ているわけではなく、僕の背にある建物を見ていると分かった。


「あんな小さな子が、児童相談所に何の用があって……?」


 身長から察するに、中学年くらいの子だろうか。おどおどとしていて、ここに用があるけど怖くて近づけない、そんな風に見える。

 春くんの話を聞いて敏感になっているのかもしれないが、もしかしたらこの女の子も虐待を受けていて、その相談に訪れたのかもしれないと思った。そうでないにしても、児童相談所に用があるということは何か特別な事情を抱えている可能性が高い。


 僕は、その女の子の方に向かって、ゆっくりと歩を進めた。


「どうしたのかな、お嬢さん。ここに、何か用事があるのかな?」

「え……あ、う……」


 しゃがんで目線を合わせて、優しく語りかけたつもりだったが、どうやら怖がらせてしまったようで、かすかに震えた困惑の声が返ってきた後、目を逸らされてしまった。


「ごめんね。怖がらなくていいよ。おじさんは、君が困ってるように見えたから話しかけたんだよ。なんでも、話してみて?」


 さっきよりも穏やかな声を心がけてそう言うと、女の子はそらしていた視線をこちらに向けてくれる。


 その瞳は深い青色をしていて、とてもきれいだと思った。


「……お友だちに、会いに来ました。きっと、ここにいると、おもって……」


 お友達……? ここに保護された子に会いに来たのだろうか。でも、さっき三戸さんが言っていたように、実際に子供を預かっているのは一時保護所のはずだ。この子はそれを知らないみたいだった。


「そのお友達のお名前は、何て言うのかな?」


 この女の子と一緒に、そのお友達について児童相談所に尋ねてみようと思い、そう問いかけると、


「春……陽中春っていう子です」

「……! 君は春くんのお友達なのかいっ!?」

「え? は、はい」


 なんという偶然だろうか、女の子のお友達というのは、春くんのことだった。


「……お、おじさん、春のこと知ってるんですか?」


 つい驚いて大きな声を出してしまったからか、女の子が恐る恐る聞いてくる。また怖がらせてはいけないので、興奮を無理矢理おさえこんで、口を開いた。


「うん、知っているよ。おじさんは、春くんの親戚なんだ」

「じゃあ、おじさんはさっき、春に会ってきたんですかっ!? 春は元気でしたかっ!?」


 僕が春くんの知り合いであることが分かって安心したのか、女の子は、緊張の面持ちを一変させて食い入るように聞いてきた。


「君は春くんに会いに来たんだったね。残念だけど、ここに春くんはいなかったよ」

「……いない? どうして? あずかって、助けてくれるって言ってたのに……。春、学校にも来なくなったし、わたしがつうほうなんかしたから……。またひどいことされてるかも……っ」


 ……そうか。児童相談所に通報してくれた幼い女の子というのは、どうやらこの子だったらしい。

 学校の先生や近所の大人達すら気付くことができなかった虐待に、この子が一番に気付いて通報してくれたのか……。

 きっとそれは、偶然なんかではない。こうして春くんのことを心配して会いに来たように、この子は、春くんのことをよく見てきたに違いない。だから虐待に気付くことができたんだろう。

 ……っと、今は感心するよりも、どうやら勘違いしている様子の女の子に説明するのが先だ。


「春くんはここにはいないけど、少し離れた安全なところにいるはずだよ。だから、ひどいことはもう絶対にされないし、大丈夫だよ」

「そうなんだ、よかった……」


 女の子は、僕の言葉を聞いて心底安心した様子で、ほっと息をついて呟いた。


「じゃあ、少し離れたところってどこですか? 今から会えますか?」

「それは、おじさんにも分からないし、難しいと思う……」

「そうですか……」


 この女の子の、春くんを想う気持ちとは裏腹に、友達だからという理由だけで一時保護所に会いに行くことは難しいだろう。


「春くんが元気になって、学校にも通えるようになったらきっとまた会えるよ」

「……はい」


 女の子は見るからに肩を落とし、落胆した。その様子がかわいそう思えて、僕は話を変えることにした。


「君は、えらいね。君が春くんのことをよく見てくれたおかげで、春くんはきっと、元気を取り戻すことができるよ。……君は、春くんのことをすごく大切に想っているんだね。その想いは、きっと春くんに伝わるよ。……ありがとうね」

「……はい。わたし、春のことがすごく大切。これからもずっと、いっしょにいたい。だって……」




 ――――わたしは()()()……()()()の代わりに、春を支えるって決めたから。



 女の子は、真っ直ぐに僕を見据え、決意のこもった声色で、そう言った。

 僕を見つめるその青色の瞳は、まるで宝石のラピスラズリのように、したたかな輝きを放っていた。


「春に会えないなら、ほかにできることがあります。わたしはもう帰ります。ありがとうございました!」

「あっ……ちょっとっ」


 女の子はペコリと頭を下げた後、きびすをかえし駆けて行ってしまった。


 幼い女の子とは思えないような、大人びた……どこか神聖さすら感じた先ほどの雰囲気に虚を突かれた僕は、聞きたいことがまだまだあったのに、ただ立ち尽くして見送ることしかできなかった。


 名前も聞きそびれてしまったし、春くんのことをもっと聞いておきたかった。そして、“あの子の代わり”という言葉の意味も……。女の子を見失ってしまった今、それらの答えを得ることはできない。

 僕は、なんだかもやもやとした気持ちで、駐車場へ向かうのだった。

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