第4話 妹120%カレー!
「ただいまー」
「おかえり、お兄ちゃん! どーーーんっ!!」
「うおっ、あぶねっ」
リビングの扉を開けると同時に夏乃が飛び込んでくる。突然の衝撃にバランスを崩しそうになるが何とか踏みとどまり、受け止めることが出来た。
夏乃は俺の背中に手を回したまま見上げてきて、言葉を続ける。
「ねえねえお兄ちゃん。ご飯にする? お風呂にする? そ・れ・と・も~……」
「まだ夕方だろーが。飯も風呂もはえーよ」
嫌な予感がしたので、夏乃を引っぺがしながら言葉を遮った。
「ちょっとぉ! 最後まで言わせてよぉ! ノリ悪いよ!」
「お前のそういうおふざけにいちいち付き合ってられねーよ」
「おふざけじゃないよ! これは予行演習だからね!」
「なんの予行演習だよ」
またしてもビンビンに嫌な予感がしたのだが、つい反射的に聞き返してしまった。
「そんなの決まってるよ! あたしとお兄ちゃんの、世界でいっちばん幸せな結婚生活の、だよぉ!」
「結婚て。やっぱりふざけてんじゃねーか」
「なに、その顔! あたしはふざけてない! 至って普通の発言をしただけですぅー! それとも何!? 兄と妹は結婚できないとでも言うの!? そんなの、お兄ちゃんこそふざけてるじゃない!」
「ふざけてねーよ。普通に出来ないから」
「……え、何? よく聞こえなかった。今、なんて言ったの……?」
急に真剣な顔になった夏乃が、目をぱちくりさせながら問いかけてくる。
「血の繋がった兄妹は結婚できない、って言ったんだ。この国の法律で決まってる」
「ぐはっ……! わざわざ言い換えた……! そして揺るぎない絶対的な事実も付け加えた……っ! こんな夢も希望もない無情な現実を突き付けられたら、あたしは……っ! あ、たし……は………………がくっ」
青ざめた表情で膝から崩れ落ちた。……とそう思った次の瞬間、勢いよく立ち上がった。
「……そうだっ! 別に結婚にこだわる必要はないんだ! あたしはただ、お兄ちゃんといつまでも一緒にいたいだけ……それは結婚しなくたって叶うはず! これからもずーーっとお兄ちゃんのお世話をして、あたしなしでは生きられない体にするのっ! そしたらお兄ちゃんはあたしから離れられなくなって、ずぅーーーーーーと一緒にいられる! ……って! というかこんなのもうほとんど結婚じゃん!」
なんか1人で盛り上がっている。こういう時は……。
「うおぉぉぉ! 結婚しなくても結婚できるっ!? これはすごいっ! こんな法律の穴を突くあたしは天才!? ねえ、お兄ちゃん! あたしたち幸せになれるよ! 法律なんかに屈さずに、幸せになれる道があったんだよ……っ! はあぁぁっ♡ 楽しみだなぁ、お兄ちゃんとの結婚生活♡ さっきみたいに、ご飯か、お風呂か、あたしかの3択をお兄ちゃんに迫って……そしたらお兄ちゃんが『今日は仕事で疲れたから、夏乃に癒してほしいな。おいで、夏乃。今夜は寝かさないぞ』なんて言いながら、覚悟を決めたあたしを優しく押し倒して……きゃ♡ お兄ちゃんのえっち♡ ねえ、お兄ちゃん。そんな生活、いいと思わない? ……あれ、お兄ちゃん? お兄ちゃ……」
「ほらヒカリ。ねこじゃらしだぞ」
「にゃにゃにゃ!」
「……って、ヒカリと遊んでて全然聞いてないし!!!」
俺は、なにやら1人で騒いでいる夏乃を尻目に、ねこじゃらしのおもちゃでヒカリと戯れていた。
「……はあ。さてっと、おふざけはここまでにして……お兄ちゃん、今からお夕飯の買い物に行くんだけど、何か食べたいものある?」
「俺はなんでもいいぞ」
ヒカリの目の前でねこじゃらしを揺らしながら夏乃に応える。
「なんでもいいが一番困るんだけど……。うーん……じゃあ、お肉がセールのはずだから、カレーにするね。あたしの愛情たっっっっっっっぷりの妹カレー! 楽しみにしててね!」
俺が返事をする前に、元気な声で「行ってきまーす!」と言い残して夏乃は家を出て行った。
「愛情たっぷりの妹カレー……。変なものが入ってないといいが」
夏乃の言葉に一抹の不安を感じずにはいられなかった。
…
……
………
しばらくヒカリと遊んだ後、自室に向かった。
部屋に入り通学カバンを下ろした後、椅子に腰掛け一息つく。そして、たくさんの本が整然と並べられた棚に目を向ける。
俺は幼い頃から本が好きだった。きっかけは……きっと、嫌なことから目を背けたかったからだ。両親を失って親戚に引き取られ、嫌なことばかりのつらい毎日の中、独りの世界に閉じこもるように本を読んでいた。幼い俺にとって、本の世界は魅力的だった。想像の中の楽しい世界を旅している時は、つらい現実のことを一時でも忘れられた。
今でも本を読むのは好きだが、昔のように現実から逃げるように読むことはなくなったはずだ。だって、幼い頃とは違い、今の俺は、幸せなのだから。
名前すら知らない大嫌いだったあの人たちから、大樹さんが引き取ってくれることになり、夏乃や瑠璃と共に過ごし……ボロボロだった俺の心は少しずつ、少しずつ癒されていったんだ。
たくさんの本の中から目を引いたのは『心の檻』という本だった。この本は俺と夏乃の養父、大樹さんの作品だ。大樹さんは、今でこそ有名な小説家として通っているが、この本は有名になる前に出した本で、あまり売れなかったらしい。でも俺はこの本が大好きだった。
『手を繋ぐと、きっと、心も繋がる』
これは『心の檻』の中で出てきた言葉だ。すごくいい言葉だと思い、俺はこの小説が好きになった。
大樹さんの小説は何度も何度も読んだが、今日からこの本を読み始めることにしよう。
本棚から『心の檻』を取り出し、読み始めた。
…
……
………
「……ちゃーん! お兄ちゃーん! いるんでしょー? お夕飯出来たから、早く食べに来てねー!」
ドア越しから聞こえてくる夏乃の声にハッとする。本に夢中で気付かなかったが、もう夕食の時間らしい。
「すぐ行く」
夏乃に返事をし、しおりを挟んで本を棚に戻す。ドアを開けると、馥郁としたカレーの香りが鼻腔をくすぐった。その香りで思い出したかのように腹の虫が鳴き、誘われるようにダイニングに向かった。
「あ、来た来た。よそってあげるから、座ってて」
「ああ、ありがとう」
夏乃の言う通りに席について待つことにする。すでにテーブルには数種類のサラダ
が並べられていた。
ほどなくして、夏乃がカレーの乗った皿をキッチンから持ってくる。
「お待たせ! あたし特製、妹成分たっぷり! 妹120%カレー! だよ!」
不穏なことを言いながら、目の前にカレーが置かれた。見た目は至って普通のカレーだが、妹成分とはいったい……。
「……変なもの入れてないだろうな?」
「あたしはお兄ちゃんにおいしいって言ってもらいたくて作ってるんだよ? 変なものなんて入れないよ」
「そ、そうか。ならいいが……」
「……まあ、あたしが変とは思わないだけで、お兄ちゃんが変と思わないとは限らないけど」
「おい! ほんとに食べても大丈夫なのか!?」
夏乃がボソッと付け加えた言葉を、俺は聞き逃さなかった。
「え? 聞こえてた? あははー! 大丈夫大丈夫! 入れたのって、妹ぷるぷるとかー、妹どろどろとかー、妹つぶつぶぐらいだから!」
「そんなオノマトペないから! 何を入れた!?」
「そ・れ・は・ね~……。食べて当ててみて! はい、手を合わせて下さい!」
夏乃は俺の質問をひらりと躱した。モヤモヤとした気持ちは拭えないが、夏乃が手を合わせたので仕方なくそれに倣う。
「いただきます!」
「いただきます……」
合掌をしたものの、どうにも食指が動かない。その原因は分かりきっている。
妹ぷるぷる、妹どろどろ、妹つぶつぶ……? 一体なにが入ってるっていうんだ。
「どうしたの、お兄ちゃん? 食べないの? おいしいよ?」
カレーを嚥下した夏乃が、不思議そうな顔で問いかけてくる。
夏乃がおいしそうに食べたということは、そんなに変なものは入っていないのかもしれない。
「食べるよ」
意を決して、カレーをひと口分だけ食べてみる。
「どう? おいしい? 妹の愛情、感じた?」
「いや、そんなもん全く感じなかったが……普通においしいよ」
いつも通りの……いや、いつもよりおいしいカレーだった。変なものは入っていない……はず。
「えぇ~! ちゃんと妹の愛情を感じ取ってよ! せっかく入れた妹ぷるぷる、妹どろどろ、妹つぶつぶが泣いてるよ!」
「だからそれなんなんだよ!」
俺が気付いてないだけで、本当にそんな不穏なものが入ってるのか?
「なにって、愛情のヨーグルト、はちみつ、インスタントコーヒーに決まってるじゃん!」
「普通の食材じゃねーか! わざわざ妹なんちゃらとか、変な言い方するなよ。 なにが入ってるか気が気じゃなかったぞ……」
「お兄ちゃんのために研究に研究を重ねて作ったんだから、あたしが言う前に気付いてほしかったの! でも、ノーヒントだとさすがに難しいじゃん? だからヒントを出したの! ヨーグルトはぷるぷるで、はちみつはどろどろで、インスタントコーヒーはつぶつぶでしょ?」
「それなら最初からそう言えよ! 妹を付けるから警戒して分からなくなるんだよ!」
「ぶーぶー。いいもんっ。次こそはもっとおいしいの作ってお兄ちゃんに気付いてもらうんだから……! なに入れよっかな~? 妹さらさらに~、妹じゅぶじゅぶ……あ! 妹くちゅくちゅもいいかもっ! ……ふひひひひ」
次に夏乃がカレーを作るときは、変なことしないか見張った方がいいかもしれな
い……。