第30話 わたしのたいせつなひと
初めて河川敷で遊んだ日以来、春と瑠璃は夏休み中でも頻繁に遊ぶようになった。お互いの家に遊びに行ったり、近所の公園や河川敷で遊んだり……。そんな風に過ごす夏休みのある日、もう何度目かになる河川敷に訪れていた。
今日の予定は川遊び。子供だけでは危ないので、2人の付き添いである冬花とサラも一緒になって遊ぶことになっている。足首が浸かるくらいの浅瀬で遊ぶだけなので、4人は水着ではなく普段着だ。
「これ、ちゃんとぬれたよ、ママ!」
川遊び前の準備中、春が日焼け止めのクリームを塗ったことを冬花に報告した。
「えらいね、春。でもお顔には塗ってなかったみたいだよ?」
クリームを塗る様子を見守っていた冬花が、顔を塗り忘れていたことを指摘する。
「わすれてたー! もういっかいぬるー!」
「目に入らないように気を付けてね」
「はーい!」
元気な声で返事をし春は顔にクリームを塗っていく。目に入らないようギュッと目を瞑り眉間にしわを寄せているので、怒っているような悔しがってるような表情になっている。
「陽中さん。こちらの準備は終わりましたよ」
「かわ、はいれるー!」
一足先に川遊びの準備が整ったサラと瑠璃が、準備中の冬花と春に声をかけた。
「ええ、こちらももうすぐ準備が整います少々お待ちを」
「るりちゃん、まってー! いっしょにはいろー!」
川に入ろうとする瑠璃を見て、春は急いで顔にクリームを塗りたくる。満遍なく塗り上げ、最後に両頬をパンパンと軽くたたき「できたー!」と元気に声を上げた。
「じゃあみんなで手を繋いで入りましょうか」
冬花はそう言って春の手を取る。サラも冬花に倣い瑠璃の手を取る。そして春と瑠璃は、空いている手をどちらからともなく繋いだ。
「せーの、ではいろっ! ボクがせーのっていうから、そしたらみんなでいっしょにはいるの!」
春は3人の顔を順に見渡し、了解を得たことを確認すると、
「せーのっ……!」
と声を発すると同時に一歩踏み出す。3人も春に合わせるように一歩踏み出した。
「あははー! つめたーーい!!」
「ちゅめたー! えへへー!」
真夏のうだるような暑さの中、足に感じた心地よいひんやりとした感覚に、春と瑠璃は一瞬で色めき立った。チャプチャプと何度も足踏みをし、その感覚を楽しんでいる。
ひとしきりその場ではしゃいで満足した様子の春が、冬花と瑠璃の手を放ししゃがみこんだ。
「なにかいきもの、いないかなー?」
手のひらサイズの石を持ち上げ透きとおった水面を覗き込む春だったが、そこに生き物の姿はなく小石と砂があるだけだった。
「いない……」
「そんなに簡単には見つからないよ、春。諦めずに探してみよう?」
「うん! たくさんみつけるんだ。るりちゃんも、いっしょにさがそう?」
「さがすー! わたし、おさかながみたい!」
2人が仲良く寄り添ってしゃがみ込み、生き物を探し出した。それを見て冬花とサラは2人を見守ることにしたようで、少し後ろから温かな視線を送っていた。
「えいっ! ……いない」
次々と石をめくっていく春だったが、生き物は見つからない。
「おさかな……いないのかな……?」
瑠璃は泳ぐ魚を見つけようとキョロキョロと辺りを見渡すが、こちらも見つからない。
「このおおきいのだったら……!」
春が大きめの石を両手でひっくり返した。裏返った石の表面を覗き込むと……
「いた! なにかいた! くっついてる! なに! なんだこれ!!!」
念願の生き物を発見し、興奮状態の春。その生き物を指差して大はしゃぎだ。
「はるー。なにかみつけたの?」
魚を探すのをやめた瑠璃が、春のひっくり返した石を見る。
「ひっ……!」
石にくっつくその生き物を視界に捉えた瞬間、瑠璃が小さく悲鳴を上げ後退りをした。その生き物はブユの幼虫だった。芋虫のような見た目をしており、瑠璃のような小さな女の子にとっては、グロテスクで怖いものだろう。
「るりちゃん! みて! みつけたよ! なにかわからないけど!」
春は吸盤によって石にくっついているブユを引き剥がし、持ち上げて瑠璃に見せつけた。
「い、いやあぁぁ……なにそれぇ……こわいよぉ……っ」
「こわくないよ! ぷにぷにしててかわいいよ!」
涙目になってずるずると後退していく瑠璃に、ブユを突き付けながら追いかける春。生き物を見つけたという嬉しさでいっぱいの春は、瑠璃が嫌がっていることに気付いていない。
「い……ぃやぁ……むりぃ……」
ついに瑠璃は後退りをやめ小さく縮こまってしまう。頭を抱えイヤイヤと首を振っている。
「……あれ? どうしたの、るりちゃん? だいじょ……」
「こーら、春。瑠璃ちゃん嫌がってるでしょ? やめなさい」
うずくまる瑠璃を見て興奮していた春も冷静になり「だいじょうぶ?」と声をかけようとしたが、背後から優しい声と共に飛んできたげんこつに阻まれた。冬花のお説教だ。げんこつと言っても、握った拳をちょこんと優しく当てるだけのものだ。
「いたっ。……ごめんなさい」
実際は痛くないのだが、反射的にそんな言葉を口にし冬花に謝る春。
「ママに謝っても仕方ないでしょ? るりちゃんに、ちゃんと謝りなさい」
「はい……」
春は小さく返事をし、手に持っていたブユを川にかえしてから、うずくまる瑠璃に声をかける。
「るりちゃん、こわがらせてごめんね。さっきの、もういないよ。かおをあげて」
「……ほんと?」
「うん、かわにかえしたから。ねぇ、るりちゃん。つぎはいっしょに、おさかなをみつけよう?」
「……うん。おさかな、みつける」
瑠璃は春から差し出された手を握り返し、立ち上がる。もう怖がっている様子はなかった。
「るりちゃん、こうやっていしをうごかすと、おさかながでてくるかもしれないよ」
春はお手本とばかりに、石をひっくり返して見せる。
「でも、さっきのがでてくるかも……っ」
「だいじょうぶ! さっきのがでてきたらボクが、えいっ! ってやっつけてあげるから!」
「それなら、あんしん、かも……うん」
瑠璃は春に倣い、おっかなびっくりに石を裏返す。するとササッと何かが石の下から飛び出した。
「カニだっ! すごい! そっちいった! つかまえて!」
「えっ? えっ? むりだよぉ!」
「にげちゃう! ボクがつかまえるよ!」
春は遠ざかっていくサワガニを、右手で上から押さえつけ拘束した後、左手で甲羅を掴み持ち上げた。
「とれたー! カニ! これはすごい!」
春はカニを持った左手を高々と掲げた。一方捕まった側のサワガニは、両のハサミを大きく広げ怒りを露わにしている。
「はる! あぶないよ! はさまれるよぉ!」
大きく広がったハサミを見て、春の指が挟まれてしまうと心配になった瑠璃が、必死に叫ぶ。
「ここ……こうら? をもってればはさまれないよ! るりちゃんももって……あ、こわくなぁい?」
サワガニを渡そうと手を伸ばそうとするが、先ほど瑠璃を怖がらせたことが過ぎり、今度は事前に確認をとる春。
「はさまれないなら、こわくないかも……?」
「そっか。じゃあ、はい。ここをもつんだよ。ボクとおなじようにもってみて」
「う、うん……こう、かなぁ」
瑠璃はおっかなびっくりにサワガニの甲羅を掴む。瑠璃が持つことができたことを確認し春は手を離した。
「ちゃんともてたね! どう? こわくない?」
「うん! ちょっとかわいいかもっ。えへ」
手に持ったサワガニを見つめ、瑠璃は無邪気に微笑んだ。
「でも、カニさんおこってるみたいだから かわにかえしてあげるね」
「うん、そうしよう」
なおも威嚇を続けるサワガニをかわいそうに思った瑠璃は、春の了解を得て川にリリースする。
瑠璃の手を離れた瞬間、一目散に逃げ出したサワガニに2人は「元気でね」と小さく手を振り見送った。
「カニさんじゃなくて、おさかないないのかなぁ」
「ボク、このまえみたけど、きょうはいないね……」
お目当ての魚がなかなか見つからず、2人は意気消沈気味だ。次から次へと石をめくっても一向に見つかる気配がない。徐々に元気もなくなっていき口数も少なくなってきた。
「お魚を探すのはまた後にしましょ。きっと、びっくりして逃げちゃったんだよ。少し休憩したらお魚も戻ってくるよ」
そんな冬花の鶴の一声で、川遊びは一時中断。4人は川から上がり休憩をとることにした。
「あつ~~い!」
事前に木陰に敷いていたブルーシートの上に、暑さで今にも溶けてしまいそうといった具合に、春が倒れ込んだ。
「春、しっかり水分とってね」
「うん、ありがとうママ」
水筒から注がれた冷たいスポーツドリンクが入ったコップを受け取り、一気に飲み干す。
「ぷはっ! もういっぱい!」
「ふふっ、はい、どうぞ」
冬香は春に微笑みを向け、2杯目を差し出す。
「あのね、おかあさん。カニさんとかエビさんとか、みつけたんだよ。こわいのもいたんだけど……たのしかった!」
「そう、よかったね、瑠璃」
一方の久遠寺家はシートの上に並んで座り、水分補給をしながら談笑している。
「あとね、おさかなみたかったのにいなかったの。……どうしてかなぁ? いっぱいいるとおもったのに」
「お母さんもお魚いっぱいいると思うよ。だからきっと次は見つかるよ。頑張って探してみようね」
「うん! つぎはかならずみつけるの!」
「ボクもいっしょにさがすからね、るりちゃん!」
意気込む瑠璃の声に反応した春が、会話に割って入ってきた。春も瑠璃と同様に意気込んでいる様子で、少しだけ鼻息を荒くしている。
「うん! おさかなかならずみつけようね、はる!」
「がんばろー!」と声を合わせて、そしてパチンっと気合いを入れるようにハイタッチをする2人。するとその勢いで、瑠璃が被っていた日よけ用の帽子がポロッと落下した。
「あっ! ほーせきだっ!」
落ちた帽子には目もくれず、春が瑠璃の頭を指差しそう言った。指を差した先には青くきらめく宝石があった。
「えへ、みつかっちゃった! これね、はるにもらったほーせきがついた、かみどめなんだよ! もうなくさないようにって、おかあさんといっしょにつくったの!」
見つかっちゃった、と言いつつも嬉しそうにしている瑠璃は、髪留めを外し手のひらに乗せて、春に見せながらそう説明した。
それは針金を2つに折り畳んだような形をした、アメピンと呼ばれるタイプの髪留めだ。先端に例の瑠璃色のシーグラスがあしらわれている。装飾はそのシーグラスのみで地味な作りだが、確かな存在感があった。
「そうなんだ! これならもう、なくさないね! ね、ね、るりちゃん! そのかみどめつけてるところ、もういちどよくみせてよ!」
春の言葉に頷いて、瑠璃は前髪を軽くまとめアメピンをつけた。鮮やかな金色の髪に深い青色がよく映えている。
「どう、かな? ……にあってる?」
「うん! るりちゃん、すっごく、かわいいよ!」
「ほんと!? えへっ、えへへぇ~、かわいいんだぁ……っ」
可愛いと褒められ、嬉し恥ずかしといった具合にてれてれとする瑠璃だ。
「はるがかわいいっていってくれるなら、これずっーーとつけてようかなぁ♪」
「それがいいよ! にあってるし、ずっとつけてたらぜったいなくさないし!」
「そうだよね! ずっとつけてるのがいいよね! おおきくなってもずっと、ずっーーーとつけるようにするね!」
「うん!」
そんな可愛らしく微笑ましい2人の会話を黙って聞いていたサラは、一区切りついた頃を見計らい口を開く。
「ねぇ、瑠璃。その宝石、春くんにもらったものだったんだね。お母さん、知らなかったなぁ」
「えー!? なんでおかあさんがそのことしってるのー!? ふたりだけのひみつだったのに!」
「だって、瑠璃。今、はるにもらったって言ったじゃない」
「うそ!? せっかくふたりだけのひみつなのにぃ! バレちゃった……」
ふたりだけという特別感が失われ、瑠璃はがっくりとうなだれる。
「あらら、そんなに秘密が大事だったのね……。気付かないフリをした方が良かったのかしら? ……あっ、そうだわっ!」
誰に問い掛けるでもなくサラは小さく呟き、そして名案が思いついた、と手を合わせパン! と鳴らした。
「ねぇ、瑠璃。秘密ならまだあるんじゃない? はるくんに話してないあなたの秘密」
「わたしの……ひみつ……??」
すぐに思い当たらない瑠璃は、あごに手を当て考えるポーズをとる。なんだろう? とうんうん唸りながら考えるも出なかなかでてこない。
「ヒントは、あなたのお名前」
「わたしの、おなまえー? ……あー、わかったー!」
サラのヒントを聞いた瑠璃は、すぐにその秘密に思い至った。そして矢継ぎ早に続ける。
「おしえたい! はるに! わたしのひみつ!」
「るりちゃんのひみつー? なんだろー?」
「それはねー……あっ、ひみつだからあっちではなそう?」
春と2人きりになって内緒の話をしたい瑠璃は、少し離れた所にある木を指差して言った。
「うん、いこう!」
「あんまり離れちゃダメだよ、瑠璃」
「だいじょうぶー! ちょっとまっててね、おかあさんとはるのおかあさん」
瑠璃は春の手を取り歩き出す。まもなく、目的の場所に着いて、瑠璃が切り出した。
「あのね、はる。みどるねーむってしってる?」
「みどるねーむ……? なぁに、それ?」
「くおんじるりっていうなまえのほかに、みどるねーむっていう、もうひとつのおなまえがあるの」
ハーフである瑠璃にはミドルネームがあった。といっても戸籍に登録している名前は“久遠寺 瑠璃”だけでミドルネームの登録はない。日本で過ごすにはミドルネームがあっては様々な面で不便が生じるだろうと正式には登録しなかったのだ。しかし、名前に外国人であるサラとの繋がりが一切ないのは寂しいと考え、瑠璃には戸籍に登録しないミドルネームがつけられた。
「なんていうおなまえなの?」
春が問いかけると瑠璃はもったいぶるように言う。
「それはねー……あのね、このおなまえは、たいせつなひとにしかおしえちゃいけないの。おかあさんとおとうさんが、そういってたんだ。だからね、ぜったいほかのひとにいったらダメだよ? はるだけにおしえるんだからね?」
「うん、いわないよ。ひみつにする」
「やくそくだよ! じゃあおしえるね、わたしのみどるねーむ。わたしのたいせつなひみつ」
一呼吸おいて、瑠璃が続ける。
「せれなっていうんだ。くおんじ・せれな・るり」
久遠寺・セレナ・瑠璃。それが瑠璃の本当の名前。サラの母国語では“Serena”と表記し、明るい・晴れ晴れとしたなどの意味を持つ。このミドルネームは外国人の母親との繋がり示すと同時に、明るい子に育ってほしいという想いが込められていた。
「せれな……いいなまえだね」
「そうなの。わたし、るりっておなまえもすきだけど、このおなまえもすきなの。だからね、はるにもしっててほしかったんだ。わたしのたいせつなひとだから」
「うん、ボクもるりちゃんのひみつをしれてうれしいよ。これでもっとなかよくなれたきがするね!」
「もっと、なかよし……! うん、そうだね! はるとわたしはいっぱい、いっぱいなかよしなの♪ これからももっと、もっーーとなかよしになるの♪ えへへへっ♪」
仲良しという言葉に自然と笑顔がこぼれ、2人は嬉しそうに笑い合う。大切な秘密を共有することで2人の仲は一層深まるのだった。




