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第29話 河川敷で

「ごちそうさまでした~!!!」


 朝食を食べ終えた春が、手を合わせていつもより幾分か元気な声でそう言った。


「おっ、元気一杯だなぁ、春。今日は瑠璃ちゃんと一緒に遊ぶからかな?」


 春がいつも以上に元気なのは、これから河川敷で遊ぶからだろうと当たりをつけた海人が問いかけた。


「うん、そうなの! ねぇ、はやくいこ、パパー!」


 河川敷で瑠璃と一緒に遊ぶと決めた日から数日経った今日。これ以上は辛抱できないとばかりに海人をうながす。


「夏乃がまだご飯食べてるから、もう少し待ってね、春」


 冬花は、のんびりと食事をする夏乃の方を見ながら、春を諭した。


「うぅ……。わかった。ボク、おにいちゃんだから、がまんする」


 そう言った後、食事をする夏乃を恨めしそうに眺めながらも、春は続ける。


「なつの、ゆっくりでいいからね。よくかんでたべるんだよ。よくかんでたべなきゃ、おおきくなれないからね」


 早く遊びたい、でもお兄ちゃんだから我慢しなきゃいけない。春はそんな葛藤に打ち勝ち、そう口にした。


「あぶあぶ……きゃあぁ、えぶぅ」


 そんな葛藤などつゆ知らず、夏乃は春にキャッキャと笑いかけるのだった。


……

………


 家族4人揃って家を出て、河川敷への道を歩く。冬花と春は手を繋いで、海人は夏乃が乗ったベビーカーを、押しながら歩いている。ベビーカーは親と子が対面できるのもので、海人からは夏乃の顔をよく見ることが出来る。海人は親指を咥えてすやすやと眠る夏乃を見て、ほっこりとした気持ちになった。

方や冬花と春は繋いだ手を大きく振って歩きながら、陽気な歌を声を揃えて歌っている。

 そんな風にして家族仲睦まじく歩いていると、やがて河川敷に到着した。まだ約束の時間にはなっていないが、そこにはすでにサラと瑠璃の姿があった。瑠璃は川の前でしゃがんで、中を覗き込んでいる。サラはそんな瑠璃を、少し後ろから見守っていた。


「久遠寺さん、おはようございます」


 冬花がサラの背後からそっと声をかけた。


「ああ、陽中さん。おはようございます」


 冬花の声に振り返り、挨拶を返すサラ。その瞬間、サラのすぐそばを小さな影が横切った。


「はる~! まってたよぉ! あそぼあそぼー!」


 小さな影は春に向かって駆け出した瑠璃だった。よほど会いたかったようで、駆け出した勢いのまま春にがしっと抱きついた。


「うわわっ! びっくりしたぁ!」


 突然抱きつかれた春はただ驚くばかりだ。


「こらっ!急に抱きついたりしたら危ないよ! それに、まずは挨拶でしょう? お母さん、挨拶はちゃんとしなさいって教えたよね?」

「はい、ごめんなさい……」


 瑠璃はサラのお説教に少ししゅんとして、春から離れる。そして「おはようございます」と言い、ペコりとお辞儀をした。


「ふふっ。瑠璃ちゃん、おはようございます」


 そんな瑠璃の様子に口元を緩ませ、冬花が挨拶を返す。続き、海人と春も挨拶を返した。


「うん、よくできたね瑠璃。いい子だったね、怒ってごめんね」


 瑠璃の頭を「よしよし」と優しく撫でて、しっかりと挨拶ができたことを褒めるサラ。しゅんと落ち込んでいた瑠璃の顔に笑顔が戻った。


「おかあさん、あいさつちゃんとできたから、はるとあそんでもいい?」

「ええ、いいわよ。ね、春くん。瑠璃と一緒に遊んでくれる?」


 春に目線を合わせるためしゃがみ込んだあと、サラはそう問いかけた。


「うん、いいよ! ボクもね、るりちゃんとあそびたかったから!」

「そう、ありがとね、春くん」


 春の言葉にサラはお礼を言って、ニコッと微笑んだ。


「じゃああそぼ! るりちゃん!」

「うん!」


 2人が手を繋いで駆け出そうとしたとき冬花が春に声をかける。


「春、さっきママとしたお約束、覚えてる?」

「うん! えっとね……」


 朝、家を出る前に交わした”お約束”。春はそれを思い出そうと、考えを巡らせている。


「……うん、ボク、いえるよ!」

「なにかな?」

「ママがみえるところであそぶこと!」

「うん、正解。でも、あと2つあったよね?」

「うん、しってるよ! あついからむりをしないこととー、かわのなかには、かってにはいらないこと! このみっつ!」


 指を3本立て、冬花に見せつけるように突き出しながら「ちゃんとおぼえてたよ、えらいでしょ?」と春は大きく胸を張った。


「うん、よくできました! ママとのお約束しっかり守ってね」

「まかせて! じゃあるりちゃん、いこ! ママにおしえてもらった、とっておきのあそびがあるんだ!」

「とっておき……。うん、いこ! はる!」


 2人は再び手を繋ぎ、駆け出す。辿り着いた先は笹が群生する地帯だ。


「う~ん、どれがいいかなぁ……」


 春は笹の葉を1枚1枚見比べ、吟味している。


「これがいい!」


 そう言って春は、比較的大き目の笹の葉を1枚ちぎり、瑠璃に見せた。


「……これでなにするの?」


 笹の葉1枚でどういう遊びをするのか、皆目見当もつかない瑠璃は、可愛らしく小首を傾げる。


「それはねー……とりあえずみてて!」


 春は今から笹船を作ろうとしていた。以前、この河川敷で遊んだ時、冬花から作り方を教わっていたのだ。手先が器用な春は、すぐに笹船の作り方を習得した。今では、冬花の教えがなくとも簡単に作れるほど上達している。


「ここを……こうして……」 


 春はまず、笹の端の部分を内側に折り、三等分になるよう縦に切れ目を入れた。そして、三つ又になった葉の真ん中だけを残し、左右の葉を編み込むように重ね、固定する。反対側も同様にし、笹船は完成した。見事な出来栄えで、水面をスイスイと進んでいく姿が容易に想像できる。


「すごーい! ふねみたい!」

「うん、るりちゃんせいかい! これはささぶねっていってね、ほんもののふねみたいに、みずにうかぶんだよ! このまえね、ママといっしょにつくって、かわにうかべてみたんだ。そしたらね、スイスイーってすすんでいって、とってもたのしかったんだよ。だからるりちゃんにも、おしえてあげたかったんだ」


 春の説明に瑠璃は爛々《らんらん》と目を輝かせている。それを見た春は、気を良くしてさらに続ける。


「るりちゃんもつくってみたいよね? ボクがおしえてあげるから、いっしょにつくってみよう?」

「うん! つくる! おしえて、はるはかせー!」

「はかせ?」


 唐突に自分の名前に冠された博士という称号に、戸惑ってオウム返しをする春だ。


「いまのはるは、ものしりなはかせみたいだから、はるはかせ、ね! それで、わたしがはるはかせのじょしゅさんなの!」


 要するに瑠璃は、博士とその助手というごっこ遊びをしようと言っているのだ。2人は幼稚園でもごっこ遊びをすることがあった。その時は夫と妻、医者と患者といったものだったが、今回は博士と助手らしかった。


「はかせっ……! うむ! わしにまかせるのじゃ、るりくん」


 瑠璃の意図を察した春は、右手で口元をしきりに触りながらそう口にした。その口調と仕草から、鼻下に鬱蒼と生い茂る白い髭を蓄えた老人をイメージしたことがうかがえた。


「はいっ! はるはかせ、まずはなにをすればいいですか?」


 助手になりきった瑠璃がビシッと手をあげ博士になりきった春に質問した。


「うむ、いいしつもんじゃ。まずは、ささえらびじゃよ」

「どんなささがいいんですか?」

「きれいでおおきなささが、いいんじゃよ。あながあいてたり、ちいさいのはダメだよ……じゃよ」


 博士のアドバイス通りの笹を見つけようと、助手は笹藪を見渡す。条件に合う笹を見つけた助手はちぎって博士に見せる。


「これでいいですか、はるはかせ?」

「うむ、いいとおもうじゃよ」

「はるはかせ、つぎをおしえてください!」

「よろしい。では、わしのまねをしてみるのじゃ」


 博士は笹を1枚ちぎって、先ほどと同じ手順で笹船を作っていく。助手が分かりやすいようにゆっくりと、時に説明を加えながら。

 助手は見様見真似で笹船を作っていき、少しいびつながらも、なんとか笹船を完成させた。


「できたー! はる、できたよ!」


 完成した喜びで、今がごっこ遊びの途中であることを忘れ、普段の口調に戻る、助手もとい瑠璃。


「やったね、るりちゃん! じょうずだよ!」

「ねえ、はる。はやくかわにうかべにいこ!」

「うん、そうしよう!」


 2人は笹船を大事に持って、川岸に向かう。


「るりちゃん、かわはあぶないから、はいっちゃダメだよ。ママとのおやくそくなんだ」

「うん、わたしのおかあさんも、かってにかわにはいっちゃダメって、いってたよ」


 この河川敷一帯の川は中央付近まで行かない限り、さほど危険はない。岸付近は流れが非常に緩やかな上、水深は数cmほどしかないからだ。

少し中に入ったところで危険はないということは、幼い春と瑠璃でも理解していたが、親の言いつけをしっかりと守り入ろうとはしなかった。


「ここから、かわにはいらないように、きをつけてながしてみよう」


 水際にしゃがみこみ、笹船を流そうと構える春。


「うん、せーのでながそう?」


 瑠璃も春のすぐ隣にくっついてしゃがみこみ、構える。


「うん。じゃあ、いくよー?」


 瑠璃の目を見ながらそう言って、確認を取る春。瑠璃は春に向かって小さく頷き、


「せーのっ」

「せーのっ」


 2人同時に川へ笹船をはなった。

 2人の手から解き放たれた2そうの笹船は、ゆったりとした川の流れに乗って、優雅に流れていく。


「すごいねー、ちゃんとうかんだよ! あはは! たのしいね!」


 ゆっくりとゆっくりと遠ざかり、小さくなっていく笹船を見送りながら瑠璃が愉快そうに笑う。


「うん、たのしい!」


 春も瑠璃と同様に、笑顔で笹船を見送る。2艘の笹船はやがて小さな点となり、完全に見えなくなってしまった。


「みえなくなっちゃった……。ね、はる。もういっかいやろ!」

「じゃあ、つぎはどっちがはやいか、きょうそうしよう!」

「きょうそう!? うん、まけないよー!」


 再び笹藪地帯に戻り、新しい笹船を作り始める2人。春は難なく完成させるが瑠璃はまだ慣れていないため、春の方を盗み見ながらたっぷりと時間をかけて完成させる。瑠璃の方は少々いびつな形だが、問題なく浮かせられるだろう。

 そして川岸に戻り、春が冬花たちのいる下流の方を指差して言う。


「ここからながして、ママたちがいるところにはやくついたほうがかちね」

「うん! よーし、ぜったいかつからね!」

「ボクだってまけないよ!」


 2人並んでしゃがみ込み、不公平がないように、スタート地点をキッチリ合わせ「せーの」でそれぞれが笹船を川に放つ。立ち上がり、ゆっくりと流れていく笹船を追いかけるため水辺を歩きだす。


「あぁ! はるのほうがまえにいっちゃった! がんばって、わたしのささぶね!」


 少し進んだところで、春の笹船が一歩リードした。春は「そのまま、そのまま」と小さく呟きながら、瑠璃は「がんばれ、まけないで」と祈りながら、笹船を追い越さないように少し後ろを歩いていく。

 春の笹船は真っ直ぐに川を下っていき、どんどん瑠璃の笹船を引き離す。瑠璃の方は、フラフラとしながら、今にも沈んでしまうのではないかという気にさせるような進み方だ。春の笹船のように流れにうまく乗れていないことと、いびつな形が抵抗を生んでいるのが原因だった。

 やがてゴール地点に辿り着いた。結局、瑠璃の笹船は、春の笹船を追い越すことができず、結果は春の勝利に終わった。


「やったー! かったー!」


 「わーい」とバンザイをし喜びを全身で表現する春だ。対する瑠璃は悔しそうに「ううー」と小さくうなりながら唇を噛みしめている。


「はる! もういっかい! こんどはまけないよ!」

「いいよ! つぎもぼくがかつけどね!」


 睨み合い、バチバチと火花を散らす2人だ。しかしそこで、そんな2人をいさめるような冬花の声が上がる。


「2人とも盛り上がってるところ悪いけど、そろそろ休憩にしましょう。暑いからしっかり水分をとって、しっかり休憩しないと。笹船勝負は休憩のあと。ね?」


 冬花の言葉に、双方のメラメラと燃えた闘争心はみるみるしぼんでいく。「はーい」と力なく返事をし、2人揃ってとぼとぼと冬花たちの方へ近寄っていく。


「日陰に入って休憩しましょう。瑠璃、春くん」


 サラが近寄ってきた2人に声をかけた。2人は再度、力なく返事を返す。


「一区切りついたみたいだし、僕は夏乃を連れて帰るよ。こんなに暑いのにあまり長い時間、外に出すわけにはいかないからね」


 夏乃はまだ1歳になったばかりの赤ん坊だ。夏に長時間の外遊びは良くないと判断した海人は、夏乃を連れて一足先に帰宅することにした。


「ええ、お願いね。春と私は昼頃には帰るからね」

「ああ、熱中症には十分気を付けるんだよ」


 そう言い残し、海人は夏乃が乗ったベビーカーを押して帰っていった。

 残った4人は海人と夏乃を見送った後、休憩をとるため近くの日陰まで歩いていくのだった。


……

………


 十分に休憩をとった2人は、笹船遊びを再開した。その後も適度に休憩を挟みつつ、何度も何度も飽きることなく笹船勝負を繰り返した。

 南の空には太陽が燦燦さんさんと輝いている。そろそろ帰宅の時間だ、次が最後の勝負になるだろう。

 2人は今日、幾度となく作り上げた笹船をもはや慣れた手つきで完成させ、川岸に向かう。


「もうそろそろ、かえるじかんだ。、これがさいごのしょうぶかな?」

「さいご……。まだはるにかててないのに……。つぎはぜったいかちたい!」


 瑠璃の笹船作りの腕は春と遜色ないほど上達していたが、一度も春から白星をあげられていなかった。


「さいごは、ぜったい、かつの。……よぉし」


 静かに気合を入れた瑠璃は、やおらズボンのポケットに手を入れ、何かを探り出した。


「なにしてるの、るりちゃん?」


 瑠璃の様子を不思議に思い、春は小さく首を傾げながら問いかける。


「あのね、このまえはるにもらったほーせきに、おねがいするの。かたせてくださいって」


 瑠璃は砂場遊びの時に春からもらった、瑠璃色のシーグラスを肌身離さず持ち歩いていた。それは瑠璃の宝物で、願を掛けるにはこれ以上のものはなかった。


「あ……あれ?」


 ゴソゴソとポケットの中を探る瑠璃だったが、一向に手を出そうとしない。


 ――見つからないのだ。ポケットに入れていたはずの宝物が。


「ない……なんで……?」


 ズボンのポケット全てを隅々まで探してもシーグラスは見つからず、瑠璃は失くしてしまったことに気付いた。


「ほーせき、なくなっちゃたの?」


 焦る瑠璃を見て、心配そうに春は問いかける。


「うん、ないの……。ポケットにいれてたのに、ないの……。はるにもらった、ほーせき。わたしの、たからもの……。ふ、ふえぇ……」


 瑠璃は深い喪失感に襲われ、今にも大声で泣き出してしまいそうに震えだす。


「る、るりちゃん! だいじょうぶだよ! きっとそのへんにおとしただけだよ! さがせばすぐみつかるよ!」


 瑠璃の姿を見て焦った春は、必死に励まそうと声をかける。


「でもあんなにちっちゃいの、みつかりっこないよ……」

「そんなことないよ! ちっちゃいけど、きれいにキラキラひかってるはずだから、おちてたらすぐわかるよ。だから、なかないで。いっしょにさがそう?」

「……ありがとう、はる。……うん、いっしょに、さがす……。ぜったい、みつけるの……」


 瑠璃は溢れそうな涙をグッと我慢し、辺りを見渡し始めた。春は先程までいた笹薮の方を探そうと振り返ると、前方の地面にきらりと光るものを見つけた。

 太陽の光を反射し青く輝くそれは、紛れもなく瑠璃のシーグラスだ。


「あった! よかった、すぐにみつかって。るりちゃん、みつけたよ。ほら、あれ」


 足元をキョロキョロと探していた瑠璃は、春の声を聞くとバッと素早く顔を上げた。そして、春が指差す方向に目を凝らす。


「ほんとだ! あった!」


 地面に転がるシーグラスを視界に捕捉した瑠璃は、キラキラと光るそれと同じように目を輝かせ、駆け出した。そして、シーグラスを拾い上げホッと安堵の息をつく。


「よかった~! はるにもらっただいじなたからもの、なくすところだった」

「よかったね、るりちゃん。こんどはおとさないように、きをつけないとね」

「うん、きをつける。みつけてくれてありがとね、はる」

「どういたしまして! じゃあしょうぶのつづきだね!」


 瑠璃が失くした宝物は、幸いすぐに見つかり2人は本日最後の笹舟勝負を再開した。

 そして帰宅の時間がやってきて、「また、遊ぼうね」と約束を交わし、2人はそれぞれの家路に着くのだった。

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