第28話 はるにあいたい
1学期が終わり、夏休みに入ってから数日が経った今日。陽中家のダイニングには、家族4人の仲睦まじい朝食の光景が広がっていた。
「めだまやきだー! こしょーかけるー!」
春は好物である半熟の目玉焼きを目の前にし、興奮した様子でテーブルに置かれた塩コショウに手を伸ばした。
「めっ! 春、お食事の前にしないといけないことがあるでしょう?」
「あっ、そうだった! いただきます、する!」
冬花の言葉に伸ばした手を引っ込め、そのまま手のひらを合わせる春。
「うん、春はえらいね」
言うことをちゃんと聞けた春を見て、海人は同じように手を合わせる。
「ぁ……あうあぁ……」
夏乃はテーブル付きのベビーチェアに座り、喃語を喋っている。
「はい、じゃあせーのっ」
冬花は2人が手を合わせたのを確認し、自分も手を合わせる。
「いただきます」
「いただきます」
「いただきます!」
3人は仲良く声を揃えて合掌し、食事が始まるのだった。
…
……
………
「それじゃあ、行ってきます、ママ、春、夏乃」
スーツ姿の海人は、玄関まで見送りに来た3人に挨拶をした。
「行ってらっしゃい、パパ」
「あぶあうあぅ」
冬花は抱いている夏乃の手を取り、左右に振っている。
「パパー、いってらっしゃーい!」
春は冬花のすぐそばで元気に挨拶を返す。そんな3人の様子に小さな笑みをこぼし、海人は仕事に行くため家を後にした。
「ママー、今日は何をお手伝いすればいい?」
海人を見送りリビングに戻ると、春が口を開いた。春は夏休みに入ってから、以前にも増してよく手伝いをするようになった。夏乃が生まれ1年ほどが経ち、自分がお兄ちゃんであるという自覚が出てきたのだ。
「今日は、ママと一緒にお風呂掃除をしてみよっか」
「おふろそうじ!? やったことない! すごい! やりたい!」
「はりきってるね! でも、お風呂掃除はお水を使うから、危ないんだよ。だからね、ママの言うことをちゃんと聞けるって、約束できる?」
「うん!」
「じゃあお風呂に行こっか」
夏乃をベッドに寝かせた後、2人は風呂場に向かった。
2人一緒に浴室に入り、冬花がシャワーヘッドを持って春に差し出す。
「はい、まずはこれで浴槽にお湯をかけてください」
「よくそーってなあに?」
「いつも春が、パパやママと一緒にお湯に浸かるところだよ」
「わかったー! ここ!」
春は浴槽に向けてビシッと指を差した。
「そう、そこだね。そこにジャーってお湯をかけてみて」
「うん!」
春は元気に返事をし、シャワーのレバーをひねった。そして浴槽全体に水をかけていく。
「上手にかけれたから、もう水は止めていいよ」
もう一度「うん!」と返事をし水を止めた春は、次は何をすればいいの?と冬花の言葉を待つ。
「次はこれで浴槽をゴシゴシしてね」
冬花はスプレーボトルの洗剤とスポンジを春に渡す。
「これをシュッシュッってして、ゴシゴシするの?」
「うん、スポンジにシュッシュッってしてみて?」
春はスポンジに照準を合わせ、スプレーのレバーを数回引く。これで掃除の準備は完了だ。
「じゃあ、浴槽の中に入って、お掃除を始めてください! 滑りやすいから気を付けてね」
「はーい!」
春は夢中になって浴槽を掃除している。冬花は春に目を配りながら、タイルや排水溝、鏡などの掃除をする。春が掃除している浴槽以外をあらかたきれいにした時、黙々と作業していた春が沈黙を破る。
「ママ、きれいになったよ」
「うん、上手だね! ピカピカになったよ、ありがとう」
「うん! ピカピカ! えっへん!」
褒められて嬉しい春は、得意げに胸を反らした。
「もう泡まで流してたんだね、言われなくてもできるなんて、春はえらいね」
「えへへ~」
「お掃除はこれで終わり! よくできたね! ママ、春に手伝ってもらってすごく嬉しかったよ、ありがとね」
濡れた手で頭を撫でるわけにはいかないので、冬花は代わりに優しく微笑みかけながらお礼を言った。2人は濡れた手と足を拭いて風呂場を後にした。
風呂場を出ると、電話の着信音が響いた。リビングにある固定電話の着信音だ。
「あら、電話だわ。早くとらないとっ」
冬花は着信音を聞き、リビングに早足で向かう。春はそんな冬花にトコトコとついていく。
「はい、もしもし陽中です」
リビングに入り、一目散に電話に向かった冬花は、受話器を取るなりそう口にした。
「もしもし、久遠寺です。お忙しいところすみません」
電話の主は、瑠璃の母親のサラだった。
「ああ、久遠寺さん。大丈夫ですよ、どうしました?」
「くおんじー? るりちゃんー?」
冬花の「久遠寺」という瑠璃の苗字に反応し春が声を上げた。冬花は電話の邪魔になるから静かにね、という意味を込めて口元で人差し指を立てて微笑む。その意味を理解した春は冬花の真似をするように「シーっ」と人差し指を立て黙り込んだ。
「実はお願いがありまして……。うちの瑠璃と、春くんを会わせてあげることはできないかと……」
「瑠璃ちゃんと……?」
「ええ。と言いますのも、恥ずかしながら、瑠璃が春くんと会いたいと言って聞かなくて……。ほら、瑠璃と春くんいつも一緒にいたでしょう? 夏休みになって春くんに会えなくなったから寂しくなってしまったみたいなんです……」
「ふふっ。そういうことでしたら、ぜひこちらからもお願いします。春も家では瑠璃ちゃんの話ばかりしてるので、会いたがってると思います」
「そうですか……! ありがとうございます。では日時や場所の方はどういたしましょうか? こちらからお願いしたことですので、指定していただいて構いません」
「分かりました。では、また決まったら連絡します」
「はい、よろしくお願いします」
話が終わり、冬花はそっと受話器を置いた。
「るりちゃんちからだったの!? なんていってたのママ!?」
春は電話の内容が気になって仕方がないようで、通話が終了するのとほぼ同時に、前のめりになりながら問いかけた。
「るりちゃんが春と遊びたいって」
「ほんと!? ボクも! ボクもるりちゃんとあそびたい!!」
「うん、だからねいま電話でお約束したんだよ。今度遊びましょうって。ね、春はいつ瑠璃ちゃんと遊びたい?」
冬花の問いかけに間髪入れず春が答える。
「すぐ! すぐがいい!」
「ふふ。わかったわかった。じゃあどこで遊びたい?」
続く質問に今度はしばらく考えて答える。
「うーん……。そうだっ! かせんじきがいい! あそこ、ボクのすきなばしょだから、るりちゃんにもおしえてあげたい!」
「河川敷ね、分かった。瑠璃ちゃんの家からもそう遠くないから、ご迷惑にもならないだろうし、いいと思うよ」
久遠寺家は睦美幼稚園と陽中家の間に位置しており、河川敷の近くであることも冬花は把握していた。以前、瑠璃と春のお迎えの時間が重なった際、一緒に帰ったことがあったのでその時に知ったのだ。
「わーい! るりちゃんとかせんじきであそべるんだー! なにしよっかなー? なにがいいかなー? たのしみだねーママ!」
「そうだねー。じゃあ瑠璃ちゃんと何して遊ぶか、今からママと一緒に考えよっか」
「うん!!」
あれもしたい、これもしたいと自由に想像を膨らませ、いまから瑠璃と遊ぶ日が楽しみで仕方がない春だった。




