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第26話 きれいな瑠璃色の瞳

 春が睦美幼稚園に入園して約2ヶ月が経った。明朗快活な性格の春は、すぐにクラスの子たちと仲良くなることができた。自由遊びの時間にはいつもクラスの誰かと一緒で、1人でいることがほとんどなかった。

 時には春と一緒に遊びたい子が、春を取り合う場面も見られた。春は入園に2ヶ月にして、クラスの人気者になっていた。


 そんなある日、春はいつものようにクラスの子たちと遊んでいた。園庭で影踏み遊びをする春たちが、元気に駆け回っている。そんな楽し気な園庭の様子をうらやましそうに、寂しそうに見つめる姿があった。


 ―――瑠璃だ。教室で1人でお絵かきをしていた瑠璃は、クレヨンを握ったまま園庭を眺めていた。

 瑠璃はいつも1人で遊んでいる。それは必ずしも悪いこととは限らない。みんなで一緒に遊ぶのが好きな子もいれば、1人で遊ぶのが好きな子もいるのが普通だ。しかし瑠璃の場合は、好きで1人遊びをしているわけではなく、友達の輪に入れないから1人で遊んでいる、という状況なので問題があった。

 その問題には担当の先生すら気付いていなかった。それは保育士としての怠慢などではなく、引っ込み思案な性格の瑠璃は、自分の感情を表に出すことが少ないから気付かないのも仕方のないことだった。

 睦美幼稚園に入園する前から瑠璃は恥ずかしがりではあったが、ここまで引っ込み思案ではなかった。瑠璃がそんな風になってしまった原因は、入園当初にクラスの女の子に言われた言葉にある。

 その女の子は瑠璃の青い瞳を見て「きもちわるい」と言ったのだ。女の子に悪気があったわけではないが、その言葉は瑠璃の心に深々と突き刺さり、大きな傷をつけた。その日以来、瑠璃は自分に自信を無くしより引っ込み思案な性格となってしまった。「きもちわるい」という言葉は瑠璃の心にいつまでも居座り続け、ついにその言葉は瑠璃に「人と関わることは怖いこと」と思わせるまでになったのだった。

 

「るりちゃん、またひとりだ……」


 影踏みの鬼になった春が、追いかける子を決めようと辺りを見渡していると、教室で1人でお絵かきをしている瑠璃を見つける。

 春は瑠璃がいつも1人でいることに気付いていた。何度か声をかけて「一緒に遊ぼう」と言ったことがあったが、瑠璃は俯いて首をブンブンと振るばかりで、言葉が返ったことはなかった。


「きょうこそは……!」


 春はそう言って、瑠璃を影踏みに誘うため教室に向かった。春の勧誘は、すでに5回は超えている。その行為は1人で遊びたい子をしつこく誘っているように思えるが、実際はそうではない。人をよく見て、その心の機微をうまく感じ取れる春は、瑠璃が抱えている寂しさに気付いていたのだ。

 春にはその寂しさの原因こそ分からなかったが、本当は瑠璃がみんなと一緒に遊びたがっている、ということには確信を持っていた。

 教室に着いた春は、真っすぐに瑠璃の元に向かい声をかける。


「るりちゃん、なにしてるの?」

「…………」


 春の質問に瑠璃は俯くだけで返事はないが、それでも春は諦めない。


「どうしてしたをむいてるの?」

「…………」


 瑠璃が下を向いたままなのは、瞳に強いコンプレックスを抱いているからに他ならない。きっとまた「きもちわるい」と言われてしまう、という恐怖があるのだ。だからいつも、話しかけられたら俯いて、瞳を見られないようにしている。


「るりちゃん、もっとボクに、かおをみせてよ」

「………っ!」


 春は俯く瑠璃の顔を覗き込んだが、瞳を見られたくない瑠璃はギュッと目を瞑り顔を背ける。しかし、春は一瞬だけその青い瞳を見ることができた。そして……


「るりちゃんのめ、やっぱりきれいだね」


 と、瑠璃の耳元で、優しくささやいた。


「…………え?」


 「きれい」という予想だにしなかった言葉が耳に入り、瑠璃は思わず顔をあげ春を見た。その「きれい」な青い瞳には、春の満面の笑みが映っていた。


「ほら、すごくきれい!」


 今度はまじまじと瑠璃の瞳を見つめ、春が言う。


「わたしのおめめ、きれい、なの……?」


 信じられないといった具合に、おずおずと聞き返す瑠璃。


「うん! あのね、ママのほーせきみたいできれいだよ!」

「……ほーせきってなあに?」


 宝石というものが何なのか知らない瑠璃は、春に問いかける。


「ママがパパからもらった、あおいキラキラしたやつ! すごく、すごぉくきれいなんだよ! るりちゃんのめをみたらね、ほーせきみたいできれいだなって、おもったんだよ!」


 春が今思い浮かべているのは、海人が冬花の誕生日に贈ったラピスラズリのネックレスだ。


「……でも、みんなはわたしのおめめ、きもちわるいって言うよ……?」

「それはね、うらやましいからいじわるをいってるだけだよ。こんなにきれいなのに、きもちわるいなんておもうわけないもん! いいなー、るりちゃんのめ。ボクも、るりちゃんみたいなめがよかったなー」

「……そうなんだ。わたしのおめめ、きれいなんだ……。うらやましいんだ……」


 春の「きれい」という言葉に瑠璃を励ます意図はなく、ただの純粋な感想だった。いくら春が人の心の機微に敏感な子とはいえ心が読めるわけではない。しかし、それがかえって功を奏した。春の裏のない純な言葉は、瑠璃の心にしっかりと響いた。


 「きもちわるい」とただひとこと言われただけで深く傷ついたように、「きれい」というただひとことの言葉で瑠璃の心は一気に晴れ渡ったのだ。


「キミ、おなまえ、なんていうの? わたし、みんなのおなまえ、しらないの」


 これまでほとんどクラスメイトとコミュニケーションをとってこなかった瑠璃は、ほとんどの子の名前を知らなかった。


「ボクは、はるっていうんだよ。よろしくね、るりちゃん」


 春は優しく笑いかけながら、名前を教える。


「はる……。うん、よろしくね!」


 そんな春の様子につられるように瑠璃に笑顔がこぼれた。


「じゃあ、いまお外でかげふみしてるから、るりちゃんもいっしょにあそぼう?」

「うん、あそぶ! いっしょ! いっしょだよ! えへへ」


 春と瑠璃は仲良く手を繋いで、元気に教室を飛び出した。


……

………


「あーっ! いたー! はるくんどこいってたの!? まだ、かげふみのちゅうなんだよっ!」


 さっきまで一緒に遊んでいたクラスメイトの女の子が、途中でいなくなった春を見つけるなりそう叫んだ。


「うん、ごめんね。ねぇ、みんなー!」


 ひとこと謝罪の言葉を述べ、一緒に遊んでいたクラスメイト達を集めようと声をあげる春。その声を聞いたクラスメイト10人ほどが集合した。


「あのね、いまからるりちゃんも、いっしょにあそんでいいかな?」


 春の服の裾を、ちょこん、とつまんでいる瑠璃のほうを見ながら、春はみんなに提案した。


「えー! ダメだよ! だってそのこ、いっつもひとりでいるから、いっしょにあそんでもたのしくないよ!」


「そうだそうだー!」と次々と反対の声が上がる。子供というのは周囲に流されやすいもので、最初に誰かが反対することでそれが伝播していき、瞬く間に瑠璃が参加できるような状態ではなくなってしまった。そしてさらには……


「それに、そのこはみんなとちがうから、いっしょにあそんだらダメなんだよ! かみとかめとか、みんなとちがってきもちわるいもん!」


 善悪の判断能力に乏しいこの年頃の子供は、言っていいことと悪いことの判断がつかない。「きもちわるい」と言ったこの男の子にとってはなんでもない言葉でも、瑠璃にとっては鋭いナイフのような言葉だった。


「………っ!」


 目に溢れんばかりの涙を湛え、瑠璃は逃げるように駆け出した。


「あっ! るりちゃん!」


 走り出した瑠璃を止めようと声をかける春。しかし瑠璃は止まることなく、園の中へと消えていった。


「るりちゃんはきもちわるくなんかないよ! なんでそんなこというの!?」

「それは……」


 瑠璃を傷つけた言葉を放った男の子に返す言葉はなかった。特に考えることなく、なんとなく発した言葉だったので当然だ。

 一向に言葉が返ってこないので春は痺れを切らす。


「もういいよーだっ! みんながるりちゃんをなかまにいれてくれないなら、ボクがるりちゃんとふたりであそぶもんねー! かげふみなんかよりもっと、もーーーーーっとたのしいんだもんねー! はい、いちぬけたー!!」


 春はそう叫び瑠璃の後を追った。



「るりちゃん、どこいったんだろう……」


 園内に入り、瑠璃を探す春。瑠璃が園内に入って行ったのは確認したが、外からでは中のどこに行ったのかは分からないので、地道に探すしかなかった。

 しばらく探していると廊下にある絵本の本棚の方から、すすり泣く声が春の耳に届く。声のする方へ向かうと瑠璃が本棚の陰でちぢこまって泣いていた。


「うぅ……ぐすっ……。きもちわるくないもん……。きれいだもん……ほーせきだもん……」


 瑠璃は次々と溢れてきて止まらない涙を、必死に手で拭っている。先ほど春が言った言葉を……嬉しかったその言葉を、繰り返し、繰り返し呟くも、涙は止まらない。


「るりちゃん、なかないで」

「うぅ……。はるぅ……」


 春が優しく声をかけると瑠璃はゆっくりと顔をあげる。真っ赤に泣き腫らしたその目を……それでもなお「きれい」なその青い瞳をしっかりと見据え、春は続ける。


「みんながあそんでくれないなら、ボクとふたりであそぼうよ。きっと、ふたりだけでも、たのしいよ」

「わたし、みんなとちがうから、いっしょにあそんじゃダメなんじゃないの……?」


 それは、先ほど瑠璃に浴びせられた辛辣な言葉だ。


「みんなとちがうことの、なにがいけないの? あのこがいったことはまちがってるよ。いけないことなんかなにもないよ、るりちゃん」


 瑠璃の前に手を差し出し、続ける。


「だからほら、ボクといっしょにあそぼうよ」


 春はもう一度そう言って、瑠璃に優しく微笑みかけた。


「……うん! あそぶ、はるとふたりで……!」


 そう言って差し出された手を掴んだ瑠璃の顔にはすでに涙はなく、まばゆいばかりの笑顔があるだけだった。

 先ほど仲間外れにされたことなどなかったかのような、一点の曇りもない笑顔。瑠璃にとっては、ひどいことを言われて仲間外れにされた悲しみよりも、春がそばにいてくれる喜びの方が何倍も大きかったのだ。

 そんな瑠璃の様子を見て、春もまた笑顔を顔いっぱいに浮かべるのだった。

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