第22話 甘すぎる
片付けが終わりダイニングに向かうと、テーブルの上には切り分けられたケーキが並べられていた。俺の席にはチョコレートケーキが置かれている。
ヒカリはケーキを見た途端、ぱたぱたと駆け出し、誰よりも早く席に着いた。早く食べたくて仕方が無いのか、そわそわと落ち着かない様子のヒカリだ。
「じゃあ早速、いただきましょう? ヒカリちゃんも待ちきれないみたいだし」
瑠璃の言葉を合図に4人同時に手を合わせ、合掌。
「いただきまーっす!」
言うやいなや、ヒカリはフォークを手に取りケーキを食べようとするが、自分のケーキが瑠璃や夏乃のものとは少し違うことに気付き、問いかける。
「あれー? ボクのケーキ、なんかルリとナツノのと違うよ? サンタさんが乗ってるー」
「それがご褒美だよ、ヒカリ。見事人生ゲームで優勝したヒカリさんには、そのひとつしかない幻のサンタさんチョコレートを進呈いたします!」
夏乃がなぜか少しかしこまった言葉で高らかと宣言する。チョコレートと聞いて引っ掛かるものがあったが、大丈夫だろう。ヒカリがチョコレートを食べても平気なことはこの前証明されたはずだ。
「いいの!? チョコレート!」
「うん。全部ヒカリちゃんのだよ」
瑠璃の言葉にわーい、とフォークを握ったままバンザイをする。
「フォーク握ったまま手を振り回すと危ないぞ、ヒカリ」
「えへへ、ごめんなさい」
少し照れたように謝り、ヒカリは手を下ろし、再びケーキを見つめる。
「サンタさん……。食べるの、ちょっとかわいそう。でも、おいしそう。ううぅ~」
うーうー、とうなりながらフォークに乗せたサンタクロースを、穴が空くほど見つめている。食べたい、でも食べたくない、という相反する感情の渦に揺れているのだろう。
「チョコレート、おいしいよ~? ヒカリ~?」
夏乃のそんな言葉に「サンタさんがかわいそう」なんて感情は一瞬で吹き飛んだようで、はぐっ、と頭からかぶりつく。
「~~~~~~っ!」
サンタクロースの頭部を口の中に入れたヒカリは、それが極上の幸せであるかのように顔をとろけさせた。
「はまくえ、ほいひいよぉ」
「ちゃんと飲み込んでからしゃべろうな」
行儀が悪い上、何を言っているのか分からない。
俺の言葉を聞き、ヒカリは静かに咀嚼する。
「甘くて、おいしいよ!」
そして、しっかり飲み込んでから先ほど言ったであろう言葉を口にした。
「チョコもいいけど、ケーキももっと甘くて、もっとおいしいよ」
ケーキを一口だけ食べた瑠璃が、そう言ってヒカリに微笑みかける。
「うん。ケーキ、すごく甘くておいしいね」
夏乃も一足先にケーキを食べ始めていたようで、瑠璃に同調する。
そんな2人の言葉に耳をピクっとさせヒカリが反応する。2人の感想を聞いたヒカリは、食べかけで無残にも首から下だけになってしまったサンタクロースを元に戻し、ケーキを一口分取り分ける。
「ゴクッ」
待ちに待ったケーキを目の前にしヒカリは生唾を飲み込む。そして、小さな口を大きく開き、ケーキを口の中に放り込む。瞬間、目を大きく見開き、先ほどのチョコレートを口にした時と同じくらい、いや、それ以上に顔をとろけさせた。一目見ておいしかったんだと分かる表情だ。
そして、今度は口に入れたまま声を出したりせず、しっかりと咀嚼し飲み込んだ。
「おいし~~~~~い! すっごく甘くて、すっごくおいしいよ!」
ヒカリのリアクションはいちいち大げさなような気もするが、こんなに嬉しそうな表情を見せられると、なんとも微笑ましい気持ちになってしまう。
「お兄ちゃんも見てないで、食べたら?」
「そうだな、いただくよ」
俺の前にあるケーキはチョコレートケーキだ。一見、俺の苦手な甘ったるそうなケーキに見えるが、瑠璃と夏乃が用意したのだからその心配はない。きっとブラックチョコレートを使用した甘さ控えめのケーキなのだろう。
フォークを手に取り、一口分取り分け口元に持っていくと、ほろ苦いチョコレートの香りが鼻腔をくすぐる。そのまま口に含むと、コクのある深い味わいが口いっぱいに広がった。心地良い苦味の中にほんのりと甘みを感じる、俺の好みど真ん中の美味しいケーキだ。
「ハルのケーキ、おいしそう……」
ヒカリが恨めしそうな目でこちらを見ている。
「ヒカリちゃんには苦すぎると思うよ?」
瑠璃が窘めるように言う。瑠璃の言う通り、子供の味覚には合わないだろう。
「えー! おいしそうなのに……」
「ちょっとだけ、食べてみるか?」
しゅんとするヒカリを見かねて、一口分のさらに半分を取り分けそう言ってみる。
「うん! 食べてみる。あーーーん」
俺の手に持つフォークの方を向き、餌を待つ雛鳥のようにあんぐりと口を開けてケーキを待つヒカリだ。
……しまった。俺が俺のフォークで取り分けたら、こうなるに決まってる。図らずも恋人同士がするような、俗に言う『あーん』というやつになってしまった。
……仕方がない、やるしかないだろう。さっきから瑠璃と夏乃の視線が痛いが気にしたら負けだ。
「ほら、いくぞ、ヒカリ」
さすがに「あーん」というのは恥ずかしいので、無愛想に声をかけヒカリの口の中にケーキを入れてやる。
「ああぁぁ……あむ」
笑顔でモグモグと咀嚼するヒカリだが、徐々に眉根にしわが寄っていくのが分かる。
「にがぁい」
苦虫を噛み潰したような表情でそう言い、口直しをするようにすぐに自分のケーキを口に運んだ。
「あまぁい」
苦々しい表情が一瞬で、パァっと幸せそうな表情に変わる。
「やっぱりヒカリにはこの味は早かったみたいだな」
「すごく苦そうにしてたね、ヒカリ」
「にがかった~、にゃはは。でも、美味しかったよ」
「そうか。なら良かっ……ん?」
なんか瑠璃が黙ってこちらを見ているが……なんだ?
「どうしたんだ、瑠璃?」
「……ほしぃ」
「え?」
ボソッとなにかを言ったみたいだったが、よく聞き取れなかったので聞き返してみる。
「わたしも、そのケーキ、欲しい」
「なんだ、そんなことか。ほら」
そう言いながら、ケーキが乗った皿を瑠璃の前までスライドさせていく。
「ぅぅ……違う」
瑠璃がまたなにやら呟いている様だが、声が小さすぎて聞き取れない。
「どうした? 食べないのか?」
いつまでも下を向いてボソボソと呟く瑠璃に、痺れを切らして問いかけてみた。
すると、瑠璃はゆっくりと顔を上げる。こちらを向くその顔は、ちょうど瑠璃のケーキの上に乗る、甘く熟したイチゴのように真っ赤に染まっていた。
「私も、あーん、ってしてほしいの……」
真っ赤に染まった顔のまま、おっかなびっくりな様子で、そんなお願いをされてしまう。
「い、いや。さすがに……」
先ほどは小さな子供であるヒカリが相手だったからそれほど抵抗もなくできたが、相手が瑠璃となると話は別だ。恥ずかしくてそんなことできるはずがない。
「あ、う、うん。そうだよね……。うん、大丈夫、冗談、だから……っ!」
そう言って瑠璃はしゅんとし、小さく縮こまる。
「ひどいよ、ハル! ルリが勇気を出して言ったのに! ダメだよ!」
「そうだよお兄ちゃん! 瑠璃ちゃんがかわいそう!」
「うっ」
2人の抗議はもっともだ。俺としても瑠璃がこんなに落ち込むとは思ってなかった。落ち込んでいる瑠璃を見るのは、なんというか……不本意だ。
「ほら、瑠璃。口。」
ケーキを乗せたフォークを瑠璃の顔に向ける。
「う、うん……。あーーん」
真っ赤な顔で上目遣いにこちらを見ながら、控えめに口を開きケーキを待つ瑠璃。そんな顔で見られるとなにかイケナイことをしているような気になってしまう。さっきから体が熱くて仕方ない。瑠璃の顔も相当赤いが、俺の顔もきっと瑠璃に負けないくらい赤くなっているのだろう。
……これは、早く終わらせてしまうに限る。
恥ずかしくて瑠璃の顔を直視できないので、視線を彼方へ外しつつチラチラと口元を確認しながら、ゆっくりとフォークを差し出していく。口元に近づいたところで瑠璃がぱくっとフォークに食いついた。
「あむっ…………。うん、おいしい。ありがと、春♪」
ケーキを嚥下しお礼を言う瑠璃は、真っ赤になるほど照れていたのが嘘だったかのような満面の笑みだった。
「じゃあお返しにわたしのを……って春は甘いの苦手だったね。うっかり」
「少しなら大丈夫でしょ、お兄ちゃん?」
「まあ、食べれなくはないが……」
って今度は俺が食べさせられる側なのか? この無駄に羞恥心を煽られる行為はまだ続くのか……と辟易してしまう。
「なら、はい。あー……」
「待って! ボクも! ボクもハルにあーんってしたい! ボクもお返し!」
「あたしも! あたしもやる! お兄ちゃん、あーん!」
「え?え?」
……なんで、こうなった?
今、俺の目の前にケーキの乗った3本のフォークが向けられている。
「3人でやられると、少しどころじゃなくなるんだが……」
「ハル、あーん!!」
「お兄ちゃん、あーんっ♡」
「春、あーん♪」
俺の抗議は3人の耳には届かなかったようだ。腹をくくろう。
観念して口を開けていると、3本のフォークが口の中に入ってくる。口の中に広がるむせ返るような強烈な甘みに耐え、なんとか飲み込んだ。
「甘い……甘すぎる」
もう本当に……いっぱいいっぱい、甘すぎる……。
ただケーキを食べるだけなのになぜこんなに疲れているのか……。そんな風に思いながら、いまだ口の中に残る甘みをごまかすようにして、チョコレートケーキを平らげるのだった。




