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第12話 ヒカリとお風呂


 テーブルに3人分の食事が並べられている。夕食に3人分の食事が並ぶのは、大樹さんが入院して以来のことだ。今日からヒカリが加わり、普段と違った陽中家の夕食風景が広がっていた。


「うぅ、お箸、難しいね……」


 ヒカリに箸の持ち方を教えたのだが、どうやらうまく掴めないようだ。カボチャの煮物に狙いを定めているようだが、何度挑戦してもツルツルと滑って箸から逃げてしまう。箸を使うのはまだ早かったかもしれない。


「こうなったら……!」


 ヒカリは箸をグーで握りこみ、そしてカボチャに勢いよく突き刺した。


「こらっ。 お行儀悪いよ、ヒカリ」

「……そ、そうなの? ごめんなさい」


 夏乃に叱られたヒカリはしゅんとしている。表情だけでなく、耳が折れて、しっぽが垂れ下がっているので、非常に分かりやすい。


「食事のマナーなんて、ヒカリが知ってるはずないんだから仕方ない。ヒカリ、箸が使いにくいならフォークを使うといいぞ。箸は難しいから、人間の食事に慣れてから練習しような」


 ヒカリを諭し、フォークを手渡す。


「ありがと、ハル。これなら突き刺していいの?」

「フォークなら、突き刺して食べてもいいんだよ。そういうものだからね。ね、お兄ちゃん」

「ああ」

「箸はダメで、フォークはいい……へんなのー。はぐっ。うん! おいひい!」


 ヒカリは不思議そうに首を傾げてから、突き刺したカボチャを口の中に放り込んだ。


「まあ分からないでもないが、それが人間の食事のマナーだ。ちなみに、口に食べ物を入れたまましゃべるのも、マナー違反だ」

「うぐっ。んっ……ゴク……。ごめんなさい」

「知らないのは仕方ないから、謝る必要はない。他にもマナーはいろいろあるから、少しずつ覚えていこうな」

「うん!」

「そういえば、お夕飯が終わったらヒカリにお風呂教えないといけないね」

「そうだな。夏乃、お願いしていいか?」


 小さいとは言えヒカリも立派な女の子だ。男と一緒に入るのは抵抗があるだろう。


「うーん……。ごめん、今日は無理かな。だって今日、大人妹おとないもうとの日だから」

「大人妹……? なんだそれ?」


 何かの記念日か?


「もぉ、お兄ちゃん、分かってるくせにぃ。言わせたがりなんだからっ」

「いや、全く分かってないんだが」


 聞いたことない言葉なんだが、俺が無知なだけなのか?


「生理だよ、生理……ぽっ」


 恥じらうような仕草で、両手で頬を覆いながら呟く。


「分かるか! 女の子の日とか、もっと言い方あっただろ! なんでもかんでも妹つけるなよ!」

「お兄ちゃんはほんとデリカシーないんだからっ。……とにかく、あたしは最後に1人で入らなきゃだから、お兄ちゃんが一緒に入ってあげて」

「……まじか」

「……どうしたの? お兄ちゃんはロリコンじゃないんだから、なんの問題もないよね?」

「まあ、そうだが……ヒカリの気持ちも大事だろ? ヒカリは今ではもう立派な女の子だ。ヒカリが嫌だって言うなら一緒に入らないぞ」


 もぐもぐと食べ物を咀嚼しているヒカリを見ながら言うと、自分の話をしていると気付いたのか、飲み込んですぐに口を開いた。


「なぁに? ハルと一緒にお風呂? もちろん嫌じゃないよ! 一緒に入りたい!」


 ……さいですか。いや、もちろんやましいことなど何もないのだが、倫理的に大丈夫なのか……?


「じゃあ、決定だね! よろしくね、お兄ちゃん!」

「よろしくね、ハル!」

「あ、ああ」


 返事をしてしまったが……ほんとに大丈夫なのか?


 …

 ……

 ………


 夕食を終えた後、早速ヒカリとともに風呂場までやってきた。


「風呂に入るときは、裸になるんだ。服の脱ぎ方は分かるか?」

「うん! さっき教えてもらったから1人でできるよ!」


 元気よく返事をした後、服を脱いでいくヒカリ。慣れていないからか少々手こずりながらも、言った通りに1人で脱ぐことが出来た。


「ねえねえ、キミは脱がないのー? 一緒に入らないのー?」

「ああ、ちょっと待ってな」


 暖房が効いているとはいえ、裸のままあまり長い時間待たせるわけにはいかないので、さっさと服を脱いでしまう。


「じゃあ、中に入るぞ」

「わぁーい! ハルとお風呂だぁ!」


 ヒカリは両手をあげてバンザイをし、小さな体で喜びを精一杯表現してみせる。


「ヒカリは猫なのに、珍しく風呂に入るのが好きだったもんな。でも風呂の中ではあんまりはしゃぐなよ、滑って転んだら大変だ」

「はーい! ね、ね、早く入ろっ」


 喜色満面の笑みで、ヒカリは俺の手を引っ張って風呂の中に入っていく。


「まずは、体を洗うんだ。ヒカリ、そこに座ってくれ」


 バスチェアに座るようヒカリを促し、ボディソープとボディタオルを手に取る。


「ここを押すと石鹸が出てくるから、それをタオルに付けてみてくれ」


 ヒカリは俺の指示通り、ボディソープのヘッドを押し込み、液剤をタオルに付着させた。


「これで体をこすればいいの?」

「その前に、タオルをくしゅくしゅってやるんだ。その方が泡になって洗いやすくなるから」

「こう、かなぁ。くしゅ……くしゅ……」


 ヒカリは不思議そうな顔をしながら、タオルをこすり合わせる。


「……わあぁ~! すっごーい! あわあわだぁ~! にゃははは~!」


 見る見るうちに泡に包まれていくタオルを見て楽しくなったのか、ヒカリは大喜びだ。


「ならそれで体をこすってみ。肌を傷めないように、優しくな」

「はーい! うんしょ……うんしょ」


 真剣な顔で一生懸命、体を洗っていくヒカリ。しばらく待っていると、ヒカリの体が白い泡で包み込まれた。見る限り、体の隅々まで上手に洗えていたようだが、一部洗えていない部分があった。

 ……普通の人間の体には存在しない、しっぽだ。


「しっぽはどうすればいいか……。自分じゃ洗いにくいだろうし、ボディソープで猫の時みたいに洗ってあげようか……。ヒカリ、しっぽがまだみたいだから俺が洗うよ」

「うん! よろしくね~」


 ヒカリは垂れ下がっていたしっぽを、洗いやすいようにピンと伸ばす。


「じゃ、いくぞ」


 ボディソープをしっぽにかけ、手でゴシゴシと洗っていく。


「にゃは! にゃはは! くすぐったいよぉ!」


 しっぽを洗われる感覚は俺には分からないが、楽しそうに笑いながら足をバタバタと動かしているところを見ると、嫌ではないようだ。


「もうすぐ終わるからなー」


 丁寧にしっぽを洗い上げ、シャワーで泡を流す。


「よし、おわりだ。体についた泡は自分で流すんだぞ」


 ヒカリはシャワーヘッドを持ち、体全体にお湯をかけていく。


「全部洗い流せたみたいだな。俺も体を洗うから、ヒカリは先にその中に入っててくれ」


 湯船を指差しながらそう言うと、


「この中に……」


 ヒカリは恐る恐る、湯船に足を入れ、少しずつ少しずつ、体をお湯に沈めていく。肩までお湯が浸かった所で、ヒカリは脱力した。


「ふにゃあぁぁ……。お風呂、気持ちいいね」


 天にも昇るような表情を浮かべ、ヒカリが湯船でくつろいでいる。

 俺も早々に体を洗い終え、湯船に入ることにする。


「ヒカリ、俺も湯船に入るから、ちょっとだけよけてくれるか?」


 ヒカリが伸ばしていた足をたたむのを確認し、湯船に体を沈める。2人だと窮屈かと思ったが、ヒカリは小さいので、一緒に湯船に浸かってもまだ十分にスペースがあった。


「あー、気持ちいいな、ヒカリ」

「うん、気持ちいいね~」


 ヒカリは俺とは反対側の湯船の壁にもたれかかって、恍惚こうこつとした表情を浮かべている。どうやら、人間になっても風呂好きなのは変わらないようだ。


「ねえ、ハル。そっちいっていい?」


 湯船の中で立ち上がったヒカリは、俺の方を指さして、そんなことを言い出した。


「いいけど、こっちに来たら狭いぞ?」

「いいの。キミともっとくっつきながら入りたいから」


 俺の股の間にすっぽりと収まり、そのままもたれかかってくる。


「はああぁぁ~。ここ、落ち着く……気持ちいい……このまま眠っちゃいそう」

「こらこら、湯船で眠ったら危ないぞ」

「うん、分かってる、けどぉ」


 ヒカリがうつらうつらと船を漕ぎ始めた。なにかヒカリの興味を惹くようなことがないかと考えを巡らせていると、夏乃と一緒に風呂に入っていた頃にしていた遊びを思い出した。


「ヒカリ、ちょっと前を見ててくれ」

「う……ん、なあに?」


 ヒカリの頭の上で手を組んで、水鉄砲よろしくお湯を飛ばす。お湯はきれいな放物線を描き、対面の壁にぶつかった。


「えぇ~!! ハル、すっごーい! ねえねえ、どうやったの!?」


 眠気一色だった顔が一変して、興味の色に塗り替えられた。

 興奮した様子で振り返ったヒカリに、もう一度お湯を飛ばすところを見せてやる。


「すごーい! それ、ボクにもできる!?」

「ああ、簡単だからすぐできるようになると思うぞ」

「ほんと!? 教えて、教えて!」

「じゃあ、俺と同じように手を組んで……」

「うーん、こうかな?」

「中にお湯をためて……こう、ギュッとするんだ」


 お湯が放物線を描いて飛んでいく。


「ギュッと、ギュッと……ふんっ! ……んんっ、はぶぶっ!」


 俺に続いて、ヒカリが組んだ手を握ると、お湯が四方八方へ飛んでいく。顔にもかかったようで、ヒカリは面食らった表情をした。


「うぅ……どうして」

「隙間があるからだな。水が出てくるところ以外は、穴ができないようにするんだ」


 俺のアドバイスを聞き、ヒカリは手を組み直した。そしてもう一度手を握り……お湯はきれいな放物線を描いた。


「わー! できたぁ! ボク、すごい!」

「すごい、やるなヒカリ。じゃあどっちが遠くまで飛ばせるか勝負だ」

「うん! 負けないよー?」


 …

 ……

 ………


「ふへあぁぁ……。なんか、頭がぼーっとするよぉ」


 長く湯船に浸かりすぎたせいで、ヒカリがのぼせてしまったみたいだ。


「大丈夫か? ごめんな気付いてあげられなくて」

「全然、大丈夫だよぉ……ふにゃぁぁ」

「上がって髪、洗おうか」


 湯船から上がり、先ほど体を洗ったときと同じ位置につく。


「髪はシャンプーを使うんだ。さっきのボディソープと似てるから、間違えないように気をつけろよ」

「ボディソープと何が違うの?」

「うーん、入ってる成分が違うのか……? よく分からないけど、ボディソープで髪を洗ったらゴワゴワになるんだよ。だから、間違えたら大変だぞ?」

「そうなんだね、気をつけないと」

「じゃあ、シャンプーを手に出して……」


 ヒカリはシャンプーを手に取り、ヘッドをプッシュし、出てきた液剤を手のひらに受け止める。


「今度はそれをそのまま頭につけて……それで、頭をマッサージするみたいに洗っていくんだ。あ、耳はそのまま洗っても大丈夫そうか?」

「うん! たぶん大丈夫だよ~」


 ゴシゴシと頭を洗っていく。すると、みるみるうちにヒカリの頭が泡で包まれていった。


「にゃははー! またあわあわだねー! おもしろーい! ………いたっ」

「どうしたんだ? ヒカリ」

「うん、なんか目が痛くなってきちゃった…」

「目に泡が入ったんだ、ちょっとこっち向いてくれ。目はこするなよ」


 ヒカリの目に入った泡を洗い流すため、シャワーを手に取る。


「顔にお湯かけるからな。怖いかもしれないけど、目は閉じちゃダメだぞ」

「う、うん……」


 水圧を弱めたシャワーを目に当てる。ヒカリは言われた通り、目を開けたままおとなしくしていたので、これで泡はしっかり落ちたはずだ。


「もう、痛くないか?」

「うん、大丈夫。ありがとう」

「頭を洗うときは、目に入らないように気を付けないとな。……そしたら泡を洗い流そう。泡を流すときが一番目に入りやすいから気をつけてな」

「うぅ、そうなんだ。……怖いよぉ」


 先ほどの痛みを思い出したのか、ヒカリが泣きそうな顔になった。


「大丈夫だ。目をちゃんとつぶってれば泡が入ることはないから」

「でもぉ……怖いよぉ、ハルぅ……」


 どうしても怖いらしく、すがるような目でこちらを見ている。


「どうしたものか……。そうだ、確かあそこに……。ちょっとそのまま待ってろよ」


 風呂場を出て、脱衣所にある棚を漁る。


「確かこの棚に……あった」


 棚の奥に眠っていたそれを持って、ヒカリの待つ風呂場に戻る。


「ヒカリ、これ何か分かるか?」

「あ、それ、シャンプーハット?」

「お、よく分かったな。そうだ、シャンプーハットだ。これがあれば、絶対に目に入らないから安心だぞ」


 これは夏乃が昔使っていたシャンプーハットだ。ヒカリより少し小さい時に使っていたものだから、サイズはたぶん問題ないだろう。


「頭につけるんだよね?」

「ああ。ちょっと、じっとしてろよ……」


 ヒカリの頭にシャンプーハットを取り付ける。耳が邪魔で入らないかと思ったが、折りたたんでやると案外スムーズに取り付けることが出来た。


「こうすれば、お湯は顔にかからないから安心だろ?」


 鏡で自分の姿を確認するヒカリ。


「ほんとだ、すごい! これなら安心だね!」

「じゃあ、泡を流すからな。目は開けててもいいけど、じっとしててな」

「はーい!」

「お湯かけるぞー」


 指で髪を梳きながら、泡を流していく。泡が残らないように、耳の中までしっかりと洗い流した。

 ヒカリは、滝のように流れ落ちてくるお湯を見るのが楽しかったのか、終始目を輝かせていた。


「終わったよ、ヒカリ。どうだ? 目に入らなかっただろ?」

「うん! 目を開けてても大丈夫だった! すごいねシャンプーハット!」


 ヒカリはまるで画期的な発明品を前にしたように、鼻息を荒くしている。


「あとは、洗顔なんだが……この調子ならまた今度だな」


 …

 ……

 ………


 風呂の入り方は一通り教えたので、2人揃って風呂場を出る。


「このまま服を着たらびちゃびちゃになるから、これで頭と体を拭くんだ」


 そう言って、バスタオルをヒカリに手渡した。


「うん、ありがとー」


 ヒカリはお礼をいい、バスタオルで頭と体を拭き始める。猫耳の中やしっぽの付け根まで、器用にふき取っていく。


「拭き終わったか? なら、服を着よう。夏乃がお下がりのパジャマを用意してくれてるから、それを着てくれ」

「うん、わかったよー」

「サイズは大丈夫そうか?」


 夏乃のお下がりの下着を履いたところで尋ねてみる。服はある程度大きくても調整がきくが、下着はサイズが合わないと大変だ。


「うん。ちょっと大きいけど、たぶん大丈夫!」

「そうか、ならよかった」


 でも、いつまでもお下がりというのもかわいそうだから、服をひと通り揃えてあげた方がいいかもしれない。明日、瑠璃と夏乃に相談してみよう。


「ハルー! ぱじゃま、1人で着れたよー。えへへ、これ可愛いね」


 クルっとその場で一回転し、自慢げに報告してくる。微妙に丈が合っていないので、手のひらの大部分が袖で隠れてしまっている。足元の方も見てみると、やはりこちらも丈が合っておらず、すそがたるんでしまっていた。


「ヒカリ、ちょっとじっとしてろよ」


 しゃがんですそを折りたたんでやる。すそを踏んで転んでしまったら大変だ。袖は……まあいいか。さして危険はないし、ずっとまくったままというのも窮屈だろう。それにその状態が、いわゆる萌え袖になっていて、やけにヒカリに似合っていたから、そのままにしておくことにする。


「よし、こんなもんか。じゃあ、鏡の前に立ってくれ」

「ここでいい?」


 洗面台の前に立って、鏡越しにこちらを見ながら問いかけてくる。


「ああ」


 俺はヒカリの後ろに立って、ドライヤーを取り出す。


「ゴーって、すごい音がするやつだ! それで乾かすんだよね! 風邪引かないように!」

「よく分かったな。今日は俺がやるから、じっとしててな」


 ヒカリは猫の姿の頃、ドライヤーの音が苦手だったが、人の姿になった今でもそれは変わらないのだろうか……? 少し試してみて、嫌がるようなら別の方法を考えよう。

 電源プラグをコンセントに差し込み、スイッチを入れる。うなるような低い大きな音がするが、ヒカリはニコニコとした顔で、言われた通りにじっと立っている。

 人の姿になったからか、苦手なドライヤーを克服できたようなので、このまま続けても問題なさそうだ。


 手ぐしで髪をかしつつ、丁寧にドライヤーをかけていく。ドライヤーで人の髪を乾かすのは夏乃で慣れている。『妹100箇条』……もとい『妹101箇条』に、兄は妹の髪を毎日乾かさなければならない、という項目があって、夏乃がそれを理由にねだってくるのだ。『妹101箇条』は夏乃が勝手に考えたものだから、それに従う必要はこれっぽちもないのだが、わざわざ拒否する理由もなかった。さすがに毎日とはいかないが、それなりの回数をこなしているので、もはやお手の物だった。


「終わったぞ。じっとしててえらかったな」

「ありがとう! 気持ちよかったから、またして欲しい!」

「……しょうがないな」


 教育的には、自分のことは自分でやらせるのがいいのだろうが、そんなにキラキラとした目で見つめられると断れない。

 夏乃にもやってることだし、差別はよくないだろう。それに、こういうスキンシップも大事なことだ。決して甘やかしているわけではない。


「これでお風呂は終わりー?」

「そうだな、風呂の入り方はだいたい分かったか?」

「うん、バッチリだよ!」


 不安だったが、ちゃんと教えられたみたいでほっとした。

 ヒカリと2人きりの風呂は、特に大きな問題もなく終えることができたのだった。

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