第10話 最強のハーレムの完成じゃん!
「ええぇぇぇぇぇぇ!!?? じゃあ、この可愛い女の子がヒカリなの!?」
「うん! そうだよ、ナツノ」
俺から事情を聞き、目の前にいる女の子がヒカリであることを理解した夏乃は、叫び声をあげるほど、仰天した。
「猫又とか、そういう類の現象なのかな?」
瑠璃は夏乃とは対照的に、やけに冷静に現状を分析している。
「猫又か……」
猫には何か不思議な力が宿っている……そういう伝承が数多く存在する。
猫又、仙狸、猫魈、猫神、猫憑……。人に取り憑いて悪夢を見せたり、人に化けて驚かせたり……。
悪事ばかりではなく、人に対して報恩を行ったという伝承もある。大切に育てられた猫は飼い主を助けたり、死んだ後でさえも飼い主をいつまでも見守り続け、不幸を遠ざけたり……。
様々な伝承が今世まで語り継がれているが、ヒカリが人になったのも、そういった伝承の一種だとでも言うのだろうか……?
猫が人になる……。こうして実際に目の当たりにしても、にわかには信じがたいことだ。
「なあ、ヒカリ。お前、いつ人間になったんだ? その時の状況を教えてくれ」
あれこれ考えるより、張本人に聞いた方がいい。幸いなことに、ヒカリは普通にしゃべれるみたいだし。
「うーん……。ごめんね、ボク、分からないよ。気付いたらこの姿になってたから……」
少し考えた後、ヒカリがそんな風に答えた。
「……そうか。ヒカリにも分からないとなると、お手上げだな。今はこうなった原因を考えても仕方がない。これからどうするかを考えよう」
「なっちゃったものは仕方ないよね。ヒカリちゃんを人間として受け入れて過ごすしかないと思うよ」
至って冷静に瑠璃が言った。もうこの状況に順応しているらしい。
「うーん、できれば元に戻って欲しいんだが、どうすれば元に戻るかなんて検討もつかないな……」
「考えても埒が明かないから、あたしお夕飯作ってるね。瑠璃ちゃんも早く家に帰らないと、暗くなって危ないよ」
そう言い残し、パタパタとキッチンに駆けていく夏乃。
「明日は休みだし、考える時間はたくさんあるか……。瑠璃、病み上がりなんだから今日はもう帰って休んだほうがいい。あとはなんとかするよ」
「そうだね、ありがと。私も明日、春の家に来て一緒に考えるよ」
瑠璃を玄関まで見送ったあと部屋に戻ると、ヒカリはすやすやと眠っていた。
「おいおい、そんな格好で寝てたら風邪……は、引くのか? 人間と同じ扱いでいいのか? そういえば、ご飯とかトイレとか風呂とかどうするんだ……?」
どうやら、思ったより問題は山積みのようだ。そんな風に考えながらヒカリを抱きかかえソファーにおろす。そして、一応風邪を引かないよう、毛布をかけてやる。
「とりあえず、ヒカリが目を覚ましたら考えよう……」
突然の衝撃的な出来事に疲れきっている。うず高く積み上げられた問題について、今は考える余裕が残っていなかった。
…
……
………
夕食や風呂を済ませて、時刻は21時少し前。未だにヒカリは目を覚ましていなかった。
「子猫はよく眠るけど、人間になってもそれは同じなのか?」
「それはよく分からないけど……。いきなり人間になっちゃって、疲れてるっていうのもあるんじゃない?」
「確かに、俺たちばかり大変だと思ってたけど、ヒカリはもっと大変なはずだよな」
訳も分からず気付いたら人間になってました、なんて、かなりの心労があるに違いない。
「ぐっすり気持ちよさそうに眠ってるし、このまま寝かせてあげよう?」
「そうだな。ソファーで寝かせたままなのもあれだし、俺のベッドに運ぶ……ん? なんだよ?」
夏乃がジト目になっていた。
「お兄ちゃん? まさか、一緒に寝るの?」
「ヒカリは小さいから、一緒に寝れるぞ?」
なんの問題もないはずだ。
「違うよ! そういう意味で聞いたんじゃないの! ずるいよ、ヒカリばっかり! というかそんなのロリコンじゃん! お兄ちゃんはシスコンじゃなきゃいけないの! あたしがいくら一緒に寝ようって言っても全然聞いてくれないのに、なんでヒカリはいいの!? あたしもお兄ちゃんと一緒に寝たい!」
「仕方ないだろ、1人で寝かせるわけにはいかないんだから」
「じゃあ、あたしがヒカリと寝る! ……あ! それとも3人で一緒に寝る!? うわぁ! それ、いいかも! ねぇねぇ、どうする!? あたしとヒカリと一緒に寝て……シス&ロリらんでびゅー、しちゃう!?」
「なんだそれ! しねーよ! ……はあ、分かったよ。ヒカリはお前のベッドに運ぶから、2人で寝てくれ」
「ちぇー、つまんないのー」
「じゃあ、夏乃のベッドに運ぶぞ。……よっと」
こんなに騒いでも一切起きる気配のないヒカリを抱きかかえる。
「あー! お姫様だっこ! ずるいよ! あたしもー!」
なおも騒ぐ夏乃は無視して、部屋に向かったのだった。
…
……
………
「にゃあう、にゃう、にゃう。ペロッ、ペロッ」
「んっ、んっー」
気持ちよく眠っていたはずなのに、顔に変な感触があって目が覚めてしまった。
なんか、顔が生温い……。それに、ベタベタする……。
「うおっ! ヒカリ!」
目を開けると、ヒカリの顔がすぐそこにあった。俺の腹の上に乗って、顔をなめていたようだ。
「にゃうー。ハル、おはよう! ペロッ」
「あ、ああ、おはよう。って、ちょ、やめろってヒカリ」
顔にまとわりつくヒカリを引きはがし、起床する。
「この起こされ方、前は猫だったからよかったが、今やられると顔がベタベタになるな……」
「うぅ……。ハル、ごめんなさい……」
怒られたと思ったのか、ヒカリがしゅんとしながら頭を下げる。
「いや、いいんだ。ヒカリは人間になったばかりで、何も分からないんだよな。いいか、ヒカリ? お前はもう人間の女の子なんだから、こういうことはしたらダメなんだ」
「うん……。残念だけど、仕方ないよね……」
「起こしてくれてありがとうな、ヒカリ。それにしても早起きだな」
「なにが早起きだな、よ。もう十時回ってるよ?」
ヒカリと話していると、寝室に少しだけ不機嫌そうな瑠璃が入ってきた。
「もう来てたのか、瑠璃」
「休みでも規則正しい生活しなきゃダメだよ? キミってほんとにだらしないんだから」
「わるいわるい。とりあえず、顔洗って歯を磨いてくる。今日はヒカリのことについて話すんだったな」
…
……
………
ダイニングのテーブルに集まり、4人で話を始める。
「なぁ、ヒカリ。昨日のこと、何か思い出せたことはないか?」
昨日、ヒカリは気付いたらこの姿になっていたと言ったが、1日経って思い出したことがあるかもしれない。
「ううん、なにも思い出せない……」
「そうか……」
一縷の望みにかけて尋ねてみたが、ヒカリは困ったように首を振るだけだった。
「うーむ。なんでもいいから、ヒカリを元に戻すためのヒントがあればと思ったんだが……」
「えぇ~!? ボクは猫になんて戻りたくないよぉ!」
「そうなのか? でもその姿だといろいろ大変じゃないか?」
「ボクはこうなれて嬉しいんだよ! キミとこうして話もできるようになったしね。ずっと前から君とこんな風に話せたらなぁと思ってたの! この姿になれたのも、きっと神様がボクのお願いを聞いてくれたからなんだよ!」
俺の心配に反して、ヒカリはとても嬉しそうに笑顔で答える。
「じゃあ、これから先ずっとその姿で……人間として生きていくつもりなのか?」
果たして、そんなことが可能なのだろうか? 本来存在するはずのない突然変異的に現れた人間が、この世界に受け入れられて生きていけるとは思えない。
「ボクはそうしたい! だからね、ボクに人間としての生き方を教えてほしい!」
ヒカリの気持ちを無碍にはしたくないが、本当にそれでいいのか迷ってしまう。人間として生きていって、ヒカリは幸せになれるのか? 早く元に戻してあげた方が幸せなのではないか?
「いいんじゃない? あれこれ考えても元に戻す方法なんて分かりっこないし、まずはヒカリちゃんに人間としての生活を教えてあげようよ。考えるのはそれから」
確かに、瑠璃の言う通りだ。いずれは元に戻さないといけないとしても、その目途が立たない今は、瑠璃の言うことを最優先で行うべきだろう。
「それに昨日の猫又の話じゃないけど、そういうお話で猫が人に化けたりする時、なにか目的があるものでしょ? ヒカリちゃんの場合は人間になりたいっていう目的があるみたいだし、人間として生活して、その気持ちを満たせば、猫に戻るかもしれないよ」
人になりたかった猫が、人に化けてその生活を経験し、満足したら猫に戻る……か。似たような伝承は本で読んだことがある。なにもかもが手探り状態の今、そういった眉唾な伝承に縋ってみるのも悪くないかもしれない。
「なら瑠璃の言った通り、当面はヒカリに、人間としての生活を教えるってことでいいか、夏乃? それとも何か別の考えがあるか?」
さっきから珍しく一言も発さず、考え込んでいる様子の夏乃に意見を求めてみる。
「……ハーレムじゃん」
「……あ?」
「幼馴染と妹だけでは飽き足らず、猫耳ロリっ子も加えるなんて……最強のハーレムの完成じゃん! これから楽しみだね、お兄ちゃん!」
「珍しく黙ってると思ったら、そんなくだらないこと考えてたのか! ハーレムとかどうでもいいから、質問に答えろよ」
「もしかして、ヒカリが小さな女の子になったのは、お兄ちゃんの願望だったりして!? 自分のハーレム願望のために、猫を人に変えるなんて……お兄ちゃんのその飽くなき探求心には戦慄すら覚えるよ! ねえねえ、ヒカリにナニを教えるって言うの!?」
「話聞けよ」
「何も知らないピュアなヒカリに、イケナイことを教え込んで……ハーレムであんなことやこんなこと……やだ、お兄ちゃんの、き・ち・く♡」
頬を染めてニヤニヤとしながら、妄想の世界に浸っている。どうやら夏乃に聞いたのは間違いだったらしい。
「まあ、夏乃の意見はいいや。どうせくだらないことしか考えてないだろうし……まずは生活にどうしても必要なことから教えていこうと思うが、瑠璃は何から教えればいいと思う?」
「ハーレム……春、私にもなにかしてくれるのかな……えへ。恥ずかしいけど、嬉しいかも……っ」
瑠璃は俯きながらぶつぶつと何かを呟くだけで、答えを返そうとしなかった。
「瑠璃……?」
「えへへぇ。いいかもぉ」
「おい、瑠璃……」
「……え!? えっと、なんの話だっけ?」
何度か声をかけると、驚いたように顔をあげた。心なしか顔が赤いような気がする。
「だから、ヒカリに教えること、何からがいいかって話」
「う、うん。そうだったよねっ。じゃ、じゃあ、ご飯はどう? ご飯は大事だよ、うん」
瑠璃はなぜかアワアワとしながら、少し早口で言った。
「あたしもそれがいいと思う。ヒカリ、その姿になってまだ何も食べてないから、お腹も空いてるだろうしちょうどいいんじゃない?」
そして夏乃が、鼻詰まりの時のような声で瑠璃に続いた。なぜ急にそんな声を……? と不思議に思いながら夏乃の方を向くと、その答えが分かった。
「お前、なんで鼻にティッシュ詰めてんだよ。ボケなのか、それは」
「ううん、ハーレムのこと考えてたら、鼻血が出てきただけ。てへ」
……妄想が捗ったようでなによりだ。
「まあいい。そんなことよりヒカリのご飯だ。なぁヒカリ、今お腹すいてるか?」
「うん、ボク、お腹ペコペコだよぉ……」
ヒカリは下を向き、お腹をさすりながら、力の抜けるような声で言った。そしてタイミングよく、ヒカリのお腹からきゅるるるる、と可愛らしい音が鳴る。
「ふふっ。じゃあ、まずはご飯に決定だね。ヒカリちゃん、なにが食べたい?」
その微笑ましい光景に、柔和な笑みこぼして瑠璃が尋ねる。
「ちゅーる! ちゅーるがいい! ボク、あれ大好き!」
ちゅーるとは、CHUAちゅーるの略称で、細長いスティック型のパウチに、ペースト状の餌が封入されたキャットフードだ。
「ちゅーるか……。ヒカリ、今は人間なのに、食べたいものはキャットフードなんだな」
「いいの? 中身は猫でも体は人間なんだから、私たちが普段食べてるものの方がいいんじゃない?」
「一理あるがヒカリが食べたいって言ってるんだから、そうしてみよう。こういうキャットフードは、人間が食べても問題ないようにできてるから、体調を崩したりはしないだろうし」
「じゃああたし、ちゅーる取ってくるね」
夏乃がそう言って席を立つ。程なくしてちゅーるを手に戻ってきた。
「はい、お兄ちゃん」
「おう、ありがとう」
夏乃からちゅーるを受け取り、封を切る。ヒカリがその様子を、今にもよだれをたらしそうにだらしなく口を開けて見ている。
「ハルー。早くちょうだーい」
待ちきれないのだろうか、テーブルに身を乗り出してきた。
「ああ、すぐにあげ……」
……って、ちょっと待て。
ちゅーるは普通、手に持って絞るように徐々に中身を出していって、出てきたそれを直接舐めとってもらう……という与え方をする。
でもそれは、人対猫での話だ。人対人である今、そういう与え方をするのはどうかと思う……。
「どうしたのぉ、ハルー? 早くちょうらいよぉ。ちゅーる、ちゅーるぅ……」
ヒカリが舌を出したまま、物欲しそうな上目遣いをしてこちらを見ている。
……いいのか? 本当にこのままあげてもいいのか?
「もぉ、どうひて焦らすのぉ。ちゅーるぅ、はやくぺろぺろしはいよぉ。んべあぁ……」
「…………っ」
「春、なんか変なこと考えてない?」
「か、考えてないっ。考えてないし、やっぱりこのあげ方はダメだっ。皿に移した方がいいっ」
テーブルの上にちょうど皿があったので、そこに中身をすべて絞り出した。
「ええぇ~っ! なんでお皿に出すのぉ! ハルの手から直接舐めたかったのに!」
ヒカリがなんと言おうがダメなものはダメだ。今のヒカリは小さな女の子なんだ。それはあまりに倒錯的すぎる。
「いいか、ヒカリ。人間はそう言う食べ方はしないんだ。食べたかったら自分の手を使って食べるんだぞ」
取り出したスプーンをヒカリに渡して説明する。ヒカリはそれを、手をグーにして握りこんで持った。
「持ち方はそうじゃなくて、こう持つんだ」
スプーンをもう1つ取り出して、正しい持ち方を見せてやる。少々細かいような気もしたが、こういうのは変な癖が染みつく前に、正しい持ち方を教えたほうがいいはずだ。
「うーん……こう?」
「そうだ、えらいぞ、ヒカリ。そのまますくって食べるんだ」
「うん!」
器用にちゅーるをひと口分すくいあげる。
「わあぁ~! 美味しそう……あむっ! う、うぅ……」
嬉々としてスプーンを口の中に運んだヒカリだったが、すぐに顔をしかめる。
「どうした? ヒカリ」
「ハルー! これ、美味しくなーい! いつもと違うよぉ!」
ヒカリがいま食べたのは、いつもあげているちゅーるで間違いない。それをいつもと違って美味しくないと言ったということは、ヒカリの味覚が変わったということだろう。体は人間なんだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれないが……。
「これってつまり、今のヒカリは人間だから、猫の食べ物は口に合わないってことだよね?」
「人間の体に合わせて、味覚も変化したってことだね」
夏乃の確認するような問いかけに、瑠璃が同調で答えた。
「それなら次は、人間の食べ物を食べてもらおう」
「そうだね、じゃああたし何か作ってくるけど、何にしよう?」
「もう昼時だから、俺たちの飯と同じにしよう。念のためチョコレートとか玉ねぎとか、猫が食べたら危険なものは除外しよう」
猫にとっては猛毒なチョコレートや玉ねぎも、食べたところで体に影響はないだろうが……。なにせ前代未聞の出来事なのだから、慎重になるに越したことはない。
「おっけー。あたしに任せて。ヒカリに美味しいって言ってもらえるように頑張るから!」
「私も手伝うよ、夏乃ちゃん」
そう言って、2人はキッチンの方へ向かっていった。
「何が出てくるんだろう……わくわく」
楽しみで仕方がないことが一目見てわかるくらいに、ヒカリは目をキラキラと輝かせていた。




