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6 いっそのこと、消えてしまいたい

 あ、これは、まずいかもしれない。


 業務が終わって今晩滞在するための部屋に戻ろうと移動している最中、わたしはめまいのようなものに襲われた。棟の外壁に手をつき、一度そこで歩みを止める。

 一度止まってみれば既に、わたしは一人で動けないくらいのだるさとめまいに襲われていたことに気づいた。そして同時に、自分の中からせりあがる焦燥感のような苦しさにも(さいな)まれていた。身体の調子の悪さであるはずなのに、なぜか気持ちが揺らぐような感覚がする。


 『他人のためにのみ使える魔力』という特性に関係するのかしないのか、わたしは昔から、()()()()()を捕まえることがとても苦手だった。追い詰められて、振り切れて、もう後がないという段階になってからしか、苦しさを実感できない。それまでは「大丈夫」と、どうしても思ってしまうのだ。

 頭の中では本当に大丈夫だと思っているのに、こうして身体が反応することで気づいてしまう。


 

 息が上がって、苦しい。



 自分の中で何が起きているのか分からないために、どう対処すれば良いかも分からなかった。

 けれど、最初に浮かぶのは、あまり目立ってはいけないということだ。わたしは近くに見えた小さな森のような場所へと時間をかけながらなんとかよろよろと移動し、木が密集している場所に身を隠すようにしゃがみこんだ。


 わたしのような下っ端の存在ごとき、そもそも注目されないだろうとは思うけれど、何かのはずみで下手に大ごとになって注目されることは避けたかった。

 黒であることが露見する機会は、可能な限り減らしておく必要が、わたしにはある。

 

 そこまでは理性も働いて冷静に考えられていた。けれど、木の根元にうずくまると、そこからは急速に冷静さが薄れて行くのを自分でも感じた。おそらく、身を隠せて安心したのだと思う。



「んぅ……は、」


 息がうまく吸えなかった。酸素が取り込まれず、頭はどんどんぼんやりとしていく。もしくは、うまく息を吐けていなくて酸素が取り込まれすぎているのかもしれない。自分がどちらの状態なのかさえ、もう自分では分からなかった。

 苦しさから逃れようと悪あがきするわたしの呼吸は、自分の意思では落ちつけられない。

 どうしようという恐怖と焦りが強まっていく。


 どこか一片には残っていたどうにかしなければという気持ちから身体に力を入れようとしても、一度座り込んでしまった身体にはほとんど力が入らなかった。少しその時間そうしていれば今度は徐々に座っていることもしんどくなって、わたしは思わず横たわった。横向きでぎゅうと身体を縮こませる。ひんやりとした地面が、少しだけ気持ちよく感じられた。けれど同時にその冷たさにぞくりとした怖さのようなものを感じる自分もいた。


 熱いのか寒いのかさえ、よく分からなかった。



 どれくらいの時間そうしていたのか、自分の感覚では全く分からない。けれど、森へ入ったときに沈もうとしていた日はもうとっくに沈んでいて、ほとんど光が入らない森の中が真っ暗になってからもしばらく経っていたと思う。

 時間が経過すれば収まるのではないかと少し期待していた部分もあったのだけれど、その考えは甘かったようだった。気持ち悪さとわたしの中の焦りのようなものは、一向に収まる気配がなかった。


 今晩と明日の晩の滞在のためにと与えられた部屋は、2人部屋だったはずだ。確か、第2研究室に所属する女性との相部屋。

 あまりに帰らなかったら、心配されて探されてしまうだろうか。できれば、無関心でいてくれたら良いのに。

 ぐわんぐわんとする頭で、やはり唯一考えられるのは、自分の秘密が露見することへの不安だった。



 いっそのこと、消えてしまいたい。



 普段はあまり考えることのない、そういう思いが浮かんだ。わたしが消えたらひたすらに隠している秘密も消える。そうすればこの苦しさからも解放される。

 そんな理解できるような、けれど本当はそうではないような、そんな風に思考が飛躍する。


 どうしてわたしは、ここにいるんだろう。魔力持ちとして、人間の支配下に置かれなくてはならない国に生まれたんだろう。



 どうして、黒なんだろう。



 思考と言うには拙すぎるそれは、体調の悪さで苦しむわたしを一層苦しめた。少しネガティブになった時にそういう考えが浮かんだとしても、普段ならわたしを愛してくれた父や母を思い出して、気持ちを切り替えることができていた。そういう考えはわたしの中に全くないわけではないけれど、折り合いをつけて生きてきているのに。

 今日は、それすら難しかった。



 わたしは、どうして、黒なんだろう。

 これから一生、誰にも明かすことができずに、ひとりで死ぬまで生きるしかない、この人生は……、



 けれどそうやって頭の中で勝手に流れていく感情は唐突に断ち切られた。わたしに由来するものではない、圧倒的な恐怖がわたしの中に入り込んで来たからだった。

 それは、圧倒的な魔力のようなものだった。そう、例えば、自分に向かう攻撃的な強いエネルギーを受けたときに感じるような。



 意識するよりも先に、わたしの身体がびくりと反応した。


 逃げなくては。ここにいては危ない。

 直観的にそう思って、力の入らない身体を必死で起こそうとする。火事場の馬鹿力とはこういうことを言うのだろうか。計り知れない恐怖から、後ずさるように少しだけ横になったままずるずると移動することはできた。

 けれど、恐怖はその10倍くらいの速さでわたしに近づいてきて、その移動すら意味がないことだった。


 もう駄目なのかな。もう、全部終わりにした方が良いのか。

 圧倒的な恐怖に、ふと諦めのような気持ちが浮かんだ。

 そして、もしかしたらもう消えてしまいたいと思ったからかな、と全く根拠のないことが頭をよぎった。



 その時。



「藤吉?」


 ガサリと足元の枯葉を躊躇なく踏んで、真っ暗な夜に溶けない淡くて明るい色がこちらを見ていた。


「あんた、何して、」


 なぜわたしがここにいると分かったのかは、分からない。けれど、そこに見えたのは普段はあまり見せないような驚いた顔をしたレイリの姿だった。わたしの名前を呼んだとき、わたしは闇に溶けていたのかもしれない。おそらく、地面に寝そべっているとは思っていなかったのだろう。わたしの姿をみて、絶句したようにレイリの言葉は途切れた。



 見つかってしまった。



 わたしに浮かんだのは、誰かが来てくれたという安堵などではなかった。一番見つかりたくない人に見つかってしまった、怖さと諦めがないまぜになった気持ちだった。

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