5 「まあ、ちと我慢してくれ」
ブゥンと魔法が発動する音がしている。聞きなれたその音だけれど、聞こえたそれはわたしが扱っている魔力ではない。魔力によって走る、魔導車を操縦する魔法の使い手が扱っている魔力だった。
「トウノ、車酔いはするかー?」
黒の庭への視察日当日の昼前、わたしは研究所の駐車場に停められたうちの一台の車に乗っていた。
運転席に座るおじさんが、後部座席の最前列に座っているわたしを振り返って尋ねた。彼は魔力を使って機械を動かすのに特化している第15研究室所属のミドウである。あまり関わりは持ったことがないけれど、少しくたびれた見た目をしているおじさんで、世話焼きだと言われている人だと言うことは知っていた。
「いいえ、特には問題ないです」
「そう、ならよかった。わざわざ車で行くことになって面倒だけど、まあ、ちと我慢してくれ」
ミドウは運転席で肩をすくめながらそう言った。6人乗りの車に乗っているのは、わたしを含めて4人だった。わたしの隣は空席。助手席も空席だった。あとの2人は後列で何やら今日の予定を話している。レイリやわたし同様、今回の出張にヘルプとして呼ばれた使い手だった。
「さ、出発するぞ」
わたしが頷けば、ミドウはそう言って前を向き直す。たしかに面倒だなあ、と思いながらも、それは口に出しても仕方のないことなので、わたしはそれから少しして動き出した車の中で流れるように動く景色を見ることにした。
視察出張は、やや遠方に作られた黒の庭へ移動することから始まった。通常なら遠方への移動は魔法での転移ができるのだけれど、今回の視察には人間が参加することになっているために、魔力車で移動をせざるを得なくなっていた。
なぜなら、転移魔法は自身の身体にかける魔法であり、人間の身体はその多量な直接の魔力には耐えられないためだ。魔法の使い手だけであれば転移魔法を使って一瞬で移動が済む。それに効率を考えれば、第15研究室所属の魔法の使い手以外は先に転移魔法を使って移動すれば良いのに、接待と人間の道中の快適さのためにと、わたしたちもその旅路に同行することになっていた。実に合理的ではない。
同行する人間は国の役人である。そしてその高い身分の人間への対応は、もちろんわたしなどの立場の者がするものではない。だから、別にわたしが何かをしなくてはいけないということではないのだけれど、ややうんざりとした気持ちになって、わたしは魔力車の中でため息をついた。
一方のレイリは、数台の車のうち人間が乗る車へ同乗する任務を請け負っているようで、わたしとは朝から別行動をしていた。彼の見た目的な意味で、人間からは嫌がられにくいのかもしれない。
レイリの補佐という名目上、わたしはずっとレイリに同伴しないといけないのだろうと思っていたため、その別行動自体は個人的にはありがたく感じた。そのありがたさに免じて、陸路移動についてはまあよしとしておこうと無理矢理に折り合いをつける。
流れる景色は、栄えた中心地から徐々に、長閑な田舎のものへと変わっていく。
そんな景色を見ながら車に揺られること数時間。
わたしたちを乗せた魔導車は特別大きな問題もなく、黒の庭へとたどり着いた。
物々しい高い塀と、魔力封じがなされた厳重なセキュリティゲートをくぐって、魔導車はその中へと入った。
中へと入ってみれば、そこはぐるりと高い壁で囲われている違和感と一定以上の魔力が使えないようにと張り巡らされた魔力封じの高レベルの魔法から感じる圧以外は、穏やかな場所に見える。
広い土地に、点在する棟。きれいに整備されているし、大多数を占める危険度の低いとされている黒はその中でなら自由に行動ができる。人間からみたら、ある程度は自由があるように見えるだろう。
けれどその高レベルの魔力封じの圧は、魔法の使い手にとってはとんでもなく威圧的なものだろうという気がした。
そこまで強い魔力を持たないわたしでも、既にその圧を感じて身体が重たいような感覚になっている。
今回の視察について、レイリは『定例視察』だと言っていたけれど、それにはやや語弊があるようだと思った。ほとんど参加したことのないわたしでも分かるように、今回の視察は明らかに通常よりも大規模なものだろう。
今回の視察へと来ているのは高レベルの魔力を保持する人員で構成されている第2研究室の室員8名全員と、レイリやわたしのように他の研究室から駆り出された数名の魔法の使い手、もろもろの機械を動かすための第15研究室員数名、そして国の役人の人間3人だった。
この3人のために無駄な移動時間を使わされたのかという気持ちはやはり浮かんでくるけれど、まあそれは仕方がない。それがこの国の歪みである。今言っても変わることではない。
そして下っ端のわたしには、当然今回の視察に何故人間が来ているのかということなどは明かされていない。レイリは知っているかもしれないけれど、知っていたところでわざわざわたしに伝えてくるとも思えなかった。
個人的には自分の秘密が明らかにさえならなければ、正直その理由も別に気にならない。わたしは言われた仕事をやるだけだ。そう思って、ゆっくり息を吐いた。
「屋外点検行くから、魔石持ってきて」
車を降りて少しすると、レイリはわたしを見つけてそう言った。相変わらず言葉数の少ない唐突なレイリにも、もう特に何を思うわけでもなく、わたしは頷く。
黒の庭でわたし達が任されたのは、設備の点検であった。第2研究室員のユタさんの先導の元、レイリとわたしはまず強い魔力で制御されているゲートの点検に向かった。ゲートの動作確認とその点検はユタさんとレイリが、そこで使われている魔石の補充はわたしが行う。
魔石と言うのは、魔法の使い手が魔力を固めて作った、いわば魔力の塊である。魔力封じをかけている黒の庭では、白の魔法の使い手も直接的な強い魔力は使えない。そのため、魔力が必要な際には魔力を固めた魔石を原動力として使うことになっているのだ。研究所でも依頼されて魔石を時々作ることがある。けれど、これは主に、黒の魔法の使い手が日々この庭の内側で作っているのだという。
ゲートに近づくと他の場所よりも厳重な魔力封じがされていて、力をそこまで強く持たないわたしでも影響を受けた。力は出ないし、身体が重く頭痛がし始める。
強い力を持つレイリやユタさんは尚更そうなのではないかと思ってレイリをちらりと横目で確認すれば、わたしたちには見せない愛想の良さそうな顔でユタさんと談笑している顔が目に入る。もしかしたら、力の強い人は自分を守るような技術を習得していたりするのかもしれない。二人を見て、わたしもこの体調の悪さは外に出さないようにしようとできる限り表情を取り繕った。
しかし、ゲートを含めた重要な施設をいくつか回った後で、別の第2研究室員がわたしたちの元へと慌ててやって来て、「レイリ様、ご対応をお願いしたいのですが」と言った。なにやら、レイリとユタさんが人間に呼ばれていると言う。元々想定されていなかったことだったけれど、その場でユタさんはわたしがひとりでもできるような点検業務をいくつか挙げてくれた。
「申し訳ないね、これが全て終われば、今日はもう部屋に行って休んで良いから」
ユタさんはそう眉の下がった顔で言った。
「何かあれば呼んで」
レイリはそれだけ言って、ユタさんとともに足早に人間の待つ屋内へと向かったのだった。
レイリは過去のエリートぶりからなのか、一部の、特に高レベルの魔力をもつ魔法の使い手からは様づけで呼ばれることがある。彼は特に気にしないようなのでわたしは人間文化通りに呼び捨てで呼んでいるけれど、もしかしたらやや失礼にあたるのかもしれないと何度か考えたことはあった。考えただけで、あまり変える気にはならなかったのでそのままにしているのだけれど。
渡された黒の庭の地図を確認しながら、ぐるりと敷地内を歩いて回る。それなりの広さで、回るのにはわりと時間がかかった。けれど点検作業自体は確かにわたしにもできる仕事が割り当てられていて、困ることも特にはなかった。
時々辺りを歩く黒に話しかけられたりすることもあったけれど、自由に行動できる黒は危険性が低いと判断された人達であるし、同じ魔力持ちとしてはその危険なんてそもそもほとんどないようなものだ。会話自体も当たり障りのないもので、そちらも特に問題はなかった。
けれど、その魔力封じのせいなのか、徐々に気持ち悪さが強まってきていることをわたしは感じていた。
大丈夫だろう、とはじめは思っていた。
けれど日が暮れてきて、今日の分の割り当てられた点検を終えた辺りから、その感覚は急激に強まっていったのだ。