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64 「この気持ちがなんなのか」

 力強い腕に抱きしめられたかと思えば、次の瞬間には背中にソファの柔らかさが感じられて、同時にわたしの視界に映るものが変わっていた。目の前には、レイリ。そしてその背後に見えるのは、水の膜に覆われたように映る天井だった。


 わたしを抱えるためにと背中に回されていたレイリの手がソファとわたしの背中の間からすっと抜かれて、それからその手はわたしの顔の両脇につかれた。わたしはレイリへと顔を向けることしかできなくなっていた。

 そのまま、きちんと状況を把握する前にレイリの顔がわたしの顔に近づいて。その勢いに、食べられてしまうのではないかと思った。


 レイリの唇が、わたしの唇を覆う。ちゅ、と音を出したレイリに、柔らかさが触れ合う気持ちのよさを感じた。きちんとは整理がつかない頭の中で、けれどただ単純に嬉しいと思った。もう一回したい。そう思ったのが伝わったのか、レイリはまたすぐにわたしにキスをする。けれど、今度のキスはこれまでの触れるだけのものではなくて。


「んっ、」


 息がうまく吸えなくて、合間に声が出た。やわらかいのに固くて意思のあるレイリの舌がわたしの口の中に入り込む。初めて知る感覚に、身体の中心がうずいて仕方がなかった。

 どうしたら良いのか分からなかったけれど、こちらから何かを出来る余裕もなかった。わたしはただひたすらに、レイリを受け入れる。



「……だめ、だ」


 はあはあと肩で息をするわたしに、お互いの唇が少しだけ離れた隙間からレイリはそう言った。とろけはじめたわたしの脳は、酸素が足りずにもう考えることをやめていた。


 レイリが自分を落ち着かせるかのように息を長く吐くと、わたしから離れようとしたことを察した。それは嫌だ、離れたくない。わたしはずいと腕を伸ばしてレイリの背中を捉える。わたしの力ではレイリには敵わないのは分かっていたけれど、そのままぐっとレイリを自分へと引き寄せてみる。


 当然のように、レイリがそのわたしの力でこちらへと引き寄せられることはなかった。けれどレイリはぴたりとほんの一瞬身体の動きを止めてから、今度は怒ったような顔をした。同時に、わたしがレイリが怒っているかもと認識したときには既に、レイリはまたわたしにキスをしていた。

 優しいとは言えない、余裕のないようなキス。


「ん、う、…っ」


 合間でレイリが唇の角度を変える時に出てしまう自分の声に、恥ずかしさでくらくらした。


「好き、レイ、」


 くらくらして、それはもうわたしを正常ではいられなくしていた。触れたくて、甘えたくて、確かめたかった。それに、言いたくて仕方がなかったのかもしれない。素直になることが、今ならできるという感覚のようなものがあった。

 だってもう、コントロールをしなくても良いのだ。コントロールのきかないわたしでも、レイリは受け入れてくれると信じられていた。こうして既に、受け入れてくれているのだから。


「……っ、煽んな馬鹿」


 余裕のない声でレイリがそう言って、レイリもいつも程はコントロールがきかないのかもしれないと思った。そしてそれが、どうしてか嬉しい。


「レイリ、も?」


 わたしはレイリの背中にあった自分の手を、レイリの頬へと移した。両手でその両頬に触れれば、わたしの体温とレイリの体温が混じる。自分のものとは違うその肌は、少し冷たい。レイリの鋭い目がすがめられて、いつもよりも目つきが悪く見えた。なのに、全然怖くなかった。


「レイリも、コントロール、……できない?」


 はっきりとは考えられなくて、こぼれた言葉もたどたどしくなった。でも、知りたいと思った。

 いつもは完璧に自分自身をコントロールしているように見えるレイリが、今はそうではない姿をわたしに見せているように見えて。だとすれば、それはわたしと同じ理由なのではないか。わたしはそう期待してしまっていた。


 レイリを好きだと言えば、その言葉に煽られてくれるなんて。それって。


「馬鹿」


 けれどすぐには、レイリはわたしに答えを教えてくれなかった。馬鹿と、時々レイリはわたしに言う。ひどい言葉だと、自信のないわたしは悔しくなったりもしたけれど、でも、今思えばその言葉はどこか優しげだった。


「好き」


 馬鹿に返す言葉が愛情表現なんて、おかしかった。でも、そう言いたくなったのだからそれが正しい答えだったのではないかと思う。

 煽られたレイリはまた、苛立ったような顔をしてわたしの唇を覆った。その舌がわたしの唇を割って、口の中に自分のものではない温かさが侵入してきて。彷徨うように動くそれに、わたしは応じたくなった。

 そっと舌を伸ばしてみれば、すぐにレイリのそれに触れる。それに気づいたレイリはすぐに、また先ほどまでとは違う動きをするのだ。


 気持ちがいい。ずっと、こうしていたい。


 じんわりと唇の感覚が弱くなっていて、時々吸われる舌も熱をもっていた。胸の奥が切なくて、身体の奥がうずく。

 唇がそっと離れて、レイリの息も上がっていた。はあ、とわたしの口元で息をするレイリが、少し可愛く見えた。わたしは腕をまたレイリの背中に回して、きゅっと、抱きしめる。身体にいまいち力が入らなくなっていて、強く抱きしめることはできなかったけれど。



「……燈乃」


 至近距離で、レイリはわたしを見つめた。その声の響きにクラクラとした。最初はずっと怖いと思っていたその目は、それ自体が変わったわけではないはずなのに今では愛おしく見える。

 これは、わたしが変わったのだろうか。それとも、レイリが変わったのだろうか。


「……やっかいだな。()()はずっと、こんなものを抱えながら生きているのか」


 ぼんやりとした頭では、なんのことを言っているのか理解できなかった。わたしは少しだけ無意識に首をかしげて、でも続きのありそうなレイリの言葉を待った。


「感情なんてない方が、楽かもしれない」


 煩わしいと言わんばかりのその言葉に、わたしは確かにと納得しかける。感情がなければ、わたしは暴走をしなかったはずだし、ひとりで生きていく怖さや苦しさも、感じずに済んできたはずだ。


「けど、……違うな」


 今度はちゅ、と、触れるだけのキスが落とされて。レイリはすぐにまた、わたしの顔を見つめる。


「感情がなかったら、あんたと居たいと思わなかったし」


 レイリの手が、するりとわたしの頬をなでた。くすぐったくて、一瞬目を閉じる。けれど、ふっとレイリが笑ったような気配がして、わたしの目は自然と開かれていた。


「あんたに、触れたいとも思わなかった。触れられて嬉しいとも、思わなかった」


 その手が、わたしの頬から首元へと降りてきて、わたしの喉を撫でる。そういえば、以前はよくレイリはわたしの首を触っていたことを思い出した。


「この気持ちがなんなのか、俺には分からない。……庇護欲なのか、独占欲なのか」


 そしてわたしは気が付いた。わたしの喉を触る、レイリの手がもう冷たくないことに。


「でも、あんたには隣にいて欲しいって思っているのは確かだ」


 喉元をゆるりと撫でられて、その手はもう冷たくないのに、わたしの身体はびくりと跳ねた。初めて聞くレイリの欲に、嬉しいような怖いような、なんと表現すれば良いのかわからない気持ちになる。


「一緒に、居てくれるか」


 まるで、これから生きていく中でずっと、と言われているような気がした。それはあたかも、わたしたちの間にある偽の関係を、本当の関係にしたいと言っているような。

 本当の関係に見せたいのだと、最初にレイリは言った。だから何かに追い立てられて焦ってそう言っているのではないかと、少し疑うような気持ちも湧く。

 でも、こんなに触れられて、わたしに煽られるレイリを見て。きちんと疑うことはもう、わたしには出来なかった。


「……レイリも、一緒にいて」


 普段あまり動かない表情筋が、どうしてか緩んでいたことは自分でも感じていた。口角が上がる。嬉しいのだ、と、その動きを感じてから自分で理解した。


「……ああ」


 レイリは一瞬目を見開いてから、その口角を上げた。笑ったレイリの顔に嬉しくなって、わたしだけに向けられているのだと理解して心臓が破裂しそうになった。

 感情がなかったと、レイリは言っていた。それがどういうことなのか、きちんとはまだ分からないけれど。でも今は、わたしと同じような気持ちを感じているのだと伝わってくる。


「それ、好き、だと思う」


「え?」


「レイリの、それ。……わたしのことが」


 唐突なわたしの指摘に、レイリは驚いたような顔をした。そんなことを言われるなんて、思ってもいなかったのだろう。

 レイリにも分からないことがあるのだと知れたのは、わたしにとっては嬉しいことだった。その隙を、私に見せても良いと思ってくれているということだ。


「そうか」


 レイリはまた、笑った。わたしの心臓も再度、どくりと鳴る。


「……好きだよ、燈乃」


 そう小さく低く囁かれて、すぐにまたレイリはわたしに深いキスをした。

 そしてキスに溺れそうになりながらも、レイリを嫌悪していたあの頃の、レイリが人間の女の子を口説いていたシーンが脳裏をよぎった。後でレイリは「仕事」だったと言ったけれどきっと、こうして甘い言葉をささやかれた女の子たちは切ない気持ちになっていたんじゃないかと、わたしは少しだけ嫉妬したのだった。

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