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55 わたしのせい

「燈乃、指輪なくさないようにね」


わたしは最低限の荷物とアルジからもらった15年前の地図を持って、王宮へと転移しようとしていた。アルジが転移魔法を発動して、それが起動する直前にアルジはそう言った。


「え?」


 それがどんな意味を持つのか分からないまま、もうその直後には起動された魔法でわたしはぐらりとした感覚に取り込まれていた。


 アルジにとっては転移はそこまで大変なことではないらしい。おそらく、わたしがやったらその後しばらくは他のことに魔力を使えなくなる魔法だけれど、アルジとわたしを比べることはもはやおこがましいと思った。


 エシェルはレイリに抱えられてホームに来たときに転移を経験していたけれど、あの時は重傷だったし、あまり覚えていないらしかった。アルジが転移についてエシェルに説明すると、アルジのそばで見ようと目を輝かせながら控えていた。


 転移をする時のこの感覚は少し苦手だった。最後に目に映ったのはキラキラとしたエシェルの瞳で、わたしは微笑ましいような気持ちと不安、そしてアルジの言ったことの分からなさでいっぱいになっていた。

 けれどすぐに気持ち悪さでそんなことも考えていられなくなった。ゆがんだ暗闇が見えて、わたしはただそれに身を委ねることしかできなかった。



*****



 浮遊感が急におさまって、ドン、と鈍い音と同時に身体の痛みを感じた。一瞬思考がぐちゃぐちゃになりかけたけれど、それをそこで留められたのは成長なのかもしれない。しりもちをついたお尻がじんじんとしていた。


「痛、」


 声が出そうになって、けれど今はそれよりもここがどこなのかを把握しなければと思った。

 音は立てないようにしなくてはと注意しながら、わたしは静かに首だけを動かして辺りを見回した。薄暗い空間で、空気がひんやりとしている。目に映るのは、冷たい石造りの床と壁。あまり広い部屋ではなかった。冷たさを感じさせる石のレンガで四方を囲まれていて、その一面の片隅に小さくて重たそうな色をした扉がついていた。


 アルジが言っていたのは、この部屋のことだろうか。

 王宮に抜け道があると言ったアルジは、「地下にある部屋のあたりが、魔力を使える場所になってたはずでね」とわたしをそこへ転移させるつもりだと言っていた。確かに部屋には窓がない。外が見えないのは、アルジの目論見通り地下だからなのかもしれない。

 アルジはその場所を地図に書きこんでくれていた。転移はうまく行ったのだから、きっとここがアルジの知るその場所なのだろうとも思えた。


 地図によれば、ここは地下の奥まった部屋だった。魔力持ちが正面から突破できるはずのない王宮に、わたしはおそらく潜入することができてしまった。


 冷たい空気は、不気味さを感じさせた。ホームが静まり返った時に感じるあの感覚と似ていたけれど、どう考えてもこの場所の方がその度合いは高かった。この後はどうするべきか、と思考が一瞬止まった。目的はレイリを見つけ出して、レイリの苦痛を取り除くことだ。具体的には状況によるのでなんとも言えないけれど。

 けれど、もしかしたらただ仕事をしているだけの可能性も、まだある。わたしにはそうは思えなかったのだけれど。


 心臓はバクバクと鳴っていた。緊張していることを自分でもはっきりと感じている。誰かに見つかったら、終わりなのだろう。王宮内がどんな体制になっているか、アルジは「意外と手薄よ」と言っていたけれど、それはアルジの力があってこそのような気もした。そして結局、アルジが以前王宮にどうして行ったことがあるのかは聞きそびれてしまっていた。


 とりあえず、ここにいても仕方がない。


 わたしはふうと小さく息を吐いてから、そっと立ち上がった。石で出来た床は硬くて、一歩踏み出すとコツリと高めの音が響いた。その音に自分で驚いて、そこからはできるだけ音を立てないようにと意識しながら進んだ。

 扉を開ける以外の選択肢がわたしにはない。地図を頼るとするならば、この扉を開けると廊下に出るはずだった。

 魔力が使える場所は王宮でも数か所しかない。その場所を知られるとこうして侵入されてしまう危険性があるから、おそらく必要最小限の人間しかこの場所を知らないはずだと踏んでいた。となれば、この辺りにはあまり人はいない、はず。


 そう思ってぐっと、扉の取っ手を下げてゆっくりと扉を開けた。ギイ、と鈍い音がして少しだけ隙間ができる。

 その先に見えたのは――この室内と同じ石造りのレンガで作られた廊下だった。薄暗いけれど辺りを素早く目で確認すれば、見える範囲には人はいなさそうだった。


 よかった、とりあえず動けそう。


 バクバクと鳴る心臓の音は大きかったけれど、今はそれにかまっている余裕はなかった。わたしは廊下へと滑り出て、出来る限り音を立てないように、けれど早足で移動を始める。


 一応最初の動きを考えては来ていた。王宮は広い。なのにレイリがどこにいるか、全く手掛かりはない。


 けれどまず、レイリが動けないでいるということは魔力を使えない場所にいるということだ。これは王宮内のほとんどがそうであるようなので、それだけで絞ることはできないけれど。


 でも、アルジの言っている抜け穴と直接つながる場所にいるのだとしたら、レイリはその抜け穴にも気づいているような気がした。アルジは「そこそこ魔力が強いと誰かが以前魔力を使った痕跡が分かるから、私はそれで知ったのよ」と言っていたからだ。わたしにはそれは分からないけれど、レイリには分かるような気がした。

 つまり、アルジが抜け穴を書き入れてくれた5か所と自由に行き来できる場所には、レイリはいないのではないかと思った。おそらく抜け穴は厳重に管理されていて、普通は近づけない。そのあたりは除外して良いのではないか。


 となるとレイリがいそうな場所は、王宮に勤める人間なら皆が出入りできる場所か、抜け穴以外でほとんどの人間が近づけない場所か、どちらかということになる。

 皆が出入りできる場所にいる場合について想像を巡らせれば、おそらくレイリは仕事で来ていることになるだろう。王宮での仕事を言いつけられて、人間と一緒にどこかの執務室で働いており、仕事が終わらず帰れなくなっている場合。

 けれどそれは、わたしの中ではしっくり来なかった。普通の状態であるならば、レイリなら少なくともいなくなったこの期間の内に使えるものを使って知らせてくるだろうと思ったから。いや、これは確証がなくて、ただのわたしの感覚でしかないのだけれど。


 では、抜け穴以外でほとんどの人間が近づけない場所はどこだろうかと思った。

 王宮やこの国の制度について、あまりまじめに勉強しなかったから詳しくはなかったけれど、地下に今はもう使われていない牢があると聞いたことがあった。そして、地図の中に書き込まれた数少ないアルジのメモにも、その場所は存在していた。


 想像すると、わたしの心臓は嫌な鳴り方をした。レイリへと意識を向けて感じられる焦りや苛立ちや疲れは、理不尽な扱いを受けて休めていないのではないかというイメージをわたしに抱かせた。

 レイリはそこにいるのではないか、そう思えた。


 そうだとしたら、わたしのせいだ。


 どうしても、わたしの頭はそう思ってしまう。エシェルの暴走の日、レイリはわたしを匿って、呼び止められるわたしを強引にホームへと連れ帰った。

 あの日のことを、レイリは罪に問われているのではないか。


 普段は使われていない牢だと言うけれど、人間用の拘束をする警備隊の施設では魔法が使えてしまうし、人間が取り調べをしようとするとしたらいくら魔力を通さないとはいえ黒の庭に積極的に立ち入るとは思えなかった。


 わたしの頭は急に、その確信度が上がったように感じていた。


 地下牢は、この地下の廊下からそう遠くない場所にあるはずだった。抜け道とはつながっている場所だったけれど、牢に閉じ込められているのだとしたらそこは鍵がかかっているのだろうし、力で石は蹴破れないだろう。魔力を使えないレイリは抜け出すことができないはずだ。


 自分の息が浅くなっていることには気づいていた。心臓が、どんどん早くなることにも。

 けれどわたしはそれに構わず、音を立てないようにという注意だけしながら出来る限り早く地下牢へと移動を始めた。

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