2 「ほんと魔力持ちのエリートなんすね」
「トウノさんって、レイリさんのこと本当に嫌いですよね」
「苦手って言って。嫌いか分かるほど深く付き合ってないから」
「えー、毛嫌いしてるじゃないですかぁ。まあ、嫌い嫌いも好きの……って言いますけど、」
たしかに嫌いだけれど、それを口に出したくはなかった。もう難しいことは自分でもわかっているけれど、それでもできる限り彼とは無の関係でいたいのだ。
何か続きそうなモモちゃんの口調に、わたしはやや動きの悪い表情筋を使って最大限嫌そうな顔を作ってからモモちゃんを見た。モモちゃんは「おっと」と可愛い声で言ってから、「ごめんなさぁい」と首を傾けて可愛く謝る。てへっと効果音が付きそうだ。今日も一日が終わるというのに、モモちゃんは最後まで可愛かった。
「レイリさんって、新卒で研究室に来たわけじゃないんでしたっけ?すごい珍しいですよね」
アサクラはモモちゃんが劣勢だと感じたからなのか、そこで新たな話題を持ち出す。
新卒とは、魔力持ちが全員16歳で放り込まれる王立学院を出てすぐの、20歳の年に研究所に入る際に使われる言葉だった。王立学院は教育機関と言えば聞こえは良いけれど、要は人間が魔力持ちを管理して、人間社会に害をなさないようにと制御するための場所である。人間に比べて圧倒的に少ない人口しか存在しない魔力持ちは、その身を滅ぼされないためにある程度人間に迎合して生きている。
レイリはわたしよりも3つ年上の27歳だったはずだ。けれど、わたしよりも後にこの研究所に入って来ている。わたしはアサクラにそれを説明しようと口を開く。
「確か、わたしが入った次の年に、24歳で入って来てる。卒業後の4年間は国王陛下直轄の王立軍に所属していた騎士だったって聞いてるけど」
「へえ、王立軍に所属できるなんて、ほんと魔力持ちのエリートなんすね」
「……まあ、飛び抜けて力が強いのは事実だね」
けれど本当のエリートならばこんなところに飛ばされることはないだろう。そう思って、エリートであることは肯定しないでおく。
研究所にはたくさんの研究室があって、それぞれ異なる役割を担っている。第13研究室で行っているのは、主に魔力持ちに備わる魔力の特性や魔力量の調査と判別である。アサクラはこの仕事について、何度も「魔力持ちとしてやりたい仕事ではないっすよ」と愚痴をこぼしている。
レイリが本当に今もエリートなのだとしたら、こんな仕事をしている部署には回されず、研究所内でももっと重要な研究室へと配属されているはずなのだ。
「じゃあレイリさん、今は27歳っすか。……俺、7年後あんな良い男になれてるかな……」
何かを想像し始めた様子のアサクラに、モモちゃんが華奢な足で蹴りを入れると「いてっ!いや、ご馳走さまです!」とアサクラはにやけた。「100年早いよ」と歪めても可愛い顔のモモちゃんが冷たい声で言う。ぞんざいな扱いを受けても嬉しそうなアサクラを、わたしはまたやれやれと思いながら見た。
とりあえず、第13研究室が担うのはあまりやりたい仕事ではないけれど、重大な任務があるわけではないし、人間関係もレイリを除けばいつもある程度落ち着いている。
この研究所は、王立学院を卒業した魔力持ちがほとんど全員入所して働く場所である。言葉を変えれば、人間が一定の距離を保ちながらわたしたち魔力持ちを管理する場所だ。
魔力持ちの中にはある程度の力を持ちそれを操れる魔法の使い手と呼ばれる者と、力が弱いためにほとんど操れなず魔法の使い手にはならなかった者がいる。どの程度力を持つかは成長してからしか分からないため、魔力持ちは一律で王立学院へと入学を求められるのだ。
魔法の使い手と判断されれば、研究所ではそれぞれの研究室へと配属される。一方で微量な魔力しか持たなかった魔力持ちは、研究所内で事務方として働くことになる。もしくは、許可を得て国の辺境の魔力持ちが集まる土地で暮らすのだ。
そして一部、膨大な魔力を持つ者たちは、卒業後に研究所外で働くことがある。
人間の役に立つと判断された強い魔力を持つ者は、人間に混じって仕事をすることを求められるのだ。中でもエリートと呼ばれるのは、人間に迎合している魔力持ちである。そもそも人間とうまくやれなければ、管理されているこの社会の中では出世などできない。
レイリはおそらく、新卒後すぐに外に出ることを求められたのだろう。確かにそれだけの強い魔力を持つ人だ。けれど今ここにいるということは、エリートにはなれなかったということだ。
「レイリさんかっこいいからなー、俺らと違って髪も綺麗な色だし」
「ちょっとアサクラ、それ、本人の前で言っちゃ駄目だからね?」
モモちゃんがそう言ってから、「でも確かに良いなぁ。真っ黒だもんねぇ、わたしたちは」と自分の長い髪を指に巻き付ける。それを見てアサクラも自分の短い髪を引っ張り始めた。その髪も、黒い。
「この外見で魔力持ちって分かっちゃうのも、なんか損ですよねー」
また口を尖らせたアサクラに、それは確かに、とわたしも思った。
純血の魔力持ちには、外見的な特徴がある。黒い髪に黒い瞳を持つのだ。魔力持ちは人間とはそもそも違う種族であり、遺伝子を受け継ぐことによってしか生まれない。積極的に魔力持ちと関わろうとする人間は殆どいないため、混血は少ない。魔力持ち同士がなんとか相性の良い相手を探して子を成せば、強さはどうあれ、その子は純血の魔力持ちとなるのだ。
けれど、レイリの髪は薄い茶色だった。まじまじ見たことはないけれど、瞳も薄い色だ。口に出して確認したことはないけれど、その見た目からレイリが混血なのは明らかだった。
長めに伸ばされたくせのある髪の毛は、黒染めされることもなく、いつも後ろで一つに束ねられている。
はあ、と無意識にため息が出た。あの苦手な瞳を思い出してしまったからだった。レイリが来る3年前まで、わたしは割と平穏な気持ちで仕事をしていたと思う。けれど、彼が来てからはいつもどこかで恐怖を感じて怯えている。それは、自分でも理由が分からない怖さだった。いや、原因は分かってはいるのだけれど、それだけでは説明のつかない本能的な恐怖なのだ。
「トウノさんお疲れですか?そろそろわたし達もあがりましょっか」
わたしのため息に気づいたのであろうモモちゃんがそう声をかけてくれて、「そっすね、帰りましょ」とアサクラも同意する。モモちゃんとアサクラのしょうもない話をまた聞きながら、わたし達は3人で帰り支度をした。すぐにそれぞれ荷物の準備が整う。そうすればいつものように、アサクラが部屋の電気を消して、モモちゃんが鍵を閉めて、みんなで研究所の出入口へと向かう。賑やかに話しながら前を歩く二人を、わたしは後ろからぼんやりと見ていた。
けれど少し歩いてから、わたしは忘れ物をしたことに気づいた。
「……ごめん、今日送っておくはずだった資料送り忘れたかも。モモちゃん、鍵貸して。わたしもう一回戸締りするから、先に帰ってて」
わたしは、嘘をついた。
目の前にいる二人は、「了解っす」「じゃあ、お願いしちゃいますね」とそれぞれ返事をくれた。モモちゃんから鍵を受け取って、二人が歩いていくのを確認してから、わたしは踵を返し、また第13研究室の扉の鍵を開けた。
忘れたのは、資料を送ることではない。引き出しの奥底に隠すように仕舞ってある、小さなポーチだ。
自分の机に戻って引き出しをゆっくりと開ける。きれいに整理してあるように見えるその底に、わたしは手を入れる。触り慣れた感触を引き出せば、わたしの忘れ物がそこにはあった。
中を開ければ、今日の朝確認した時と同じようにそれはきちんと仕舞われていた。小さな薬だ。
わたしはふうと安堵のため息をついてから、音を立てないように椅子に座った。すぐに出てはモモちゃんやアサクラがまだいるかもしれない。少し作業するくらいの時間が経ってから帰った方が無難だろう。
わたしはそそくさと薬の入ったポーチを鞄の奥底に押し込んでから、しばらくの間時間をやり過ごすために、一人でぼんやりと研究室の中にいたのだった。




