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30 「そう、手」

 しばらく歩いてそれなりに車通りのある道に出ると、レイリはタクシーを拾った。行先を運転手に告げたレイリはその後なにも喋らず、わたしも特に話すこともなく、わたしたちは20分ほど静かにその魔導車に揺られていた。運転手は特に迷うことなく運転を終えてわたしたちは車を下り、それからまた歩き始めたレイリの後ろを、今は歩いているところだった。

 

 レイリの足は長い。身長が高いのだから当たり前なのだけれど、つかつかと普段通りに歩く彼についていくのは大変だった。ただ「待って」と言うのもなんだか癪に障るし、わたしは無言で歩く彼の少し後ろを必死なことを隠しながら着いて行っていた。

 いつも外に出れば、彼はわたしとの偽の関係を周囲に見せようと少し柔らかく振る舞っていたけれど、今日はいつも二人でいる時の取り繕われていない彼のまま、外へ出ていることにわたしは少し驚いていた。



 レイリがわたしを連れ出したのは、街中だった。それも、特段の用事がない限り、普段は魔力持ち(わたし)が来ない方の街。ほとんど人間しかいない場所へと向かっていたから、レイリは転移をしなかったのだ。

 どういうことかと言えば、わたしたち魔力持ちがほとんど足を踏み入れることのない場所というものがあるのだ。住み分けというと聞こえは良いけれど、ここは人間のための街で、そもそも魔力持ちがあまり受け入れられていない場所だった。


 逆に研究所の近くは、やはり魔力持ちが多い街だ。けれど、仕事上で魔力持ちに関わりのある人間はそれなりにいるし、人間の街よりも相場が低いこともあって、魔力持ちにあまり偏見を持たない人間がそれなりに住んでもいる。だからレイリはあの街で、人間の女子を釣ることが可能だったわけで。


 魔導車を降りたあたりから、街の人間から視線を向けられることが増えていることには気づいていた。物珍しい物を見るような視線や、明らかに良くは思われていないことが分かる視線も多い。

 それもそうだろう、黒い髪と黒い目を持つわたしの見た目は、レイリとは違って間違いなく魔力持ちのそれなのだから。

 

 そんな街のどこへ連れて行かれるのだろうかと、わたしは若干緊張感が高まっていた。



「手、貸して」


 やや警戒しながら歩いていると、レイリは割と唐突に立ち止まってわたしを振り返った。それからわたしに向かって自分の手を差し出してくる。


「手?」


「そう、手」


 繰り返したわたしにレイリも同じように繰り返して、意味をすぐに理解できなかったわたしの手に、レイリの手がすぐに触れた。


「あ、」


「変な人間に絡まれると面倒くさい」


 その手は冷たかった。そしてレイリの手はすぐにすっぽりとわたしの手を覆ってしまって、わたしの手はこんなに小さかっただろうかと思った。家族以外の人と手をつなぐのは初めてで、わたしはまた緊張感が高まったような気がした。


「……髪と目の色、変えることもできるけど」


 それから聞こえてきたのは、わたしへの配慮が滲んだ声のような気がした。レイリはわたしが警戒していることに気づいているのだろう。そして、魔力が強いとそんなこともできてしまうのかと少し驚いた。けれどわたしは首を横に振った。


「良いです、このままで」


 わたしがそう言えば、レイリは何も言わずに前を向いた。レイリがわたしの斜め前を歩いていると言うことには変わりなかったけれど、今度は少し、わたしの歩幅に合わせて歩いてくれているのだということが感じ取れた。レイリはどう思っているのか気になったけれど、覗いてもたぶん感じられるのは先ほどと同じように重たい何かだろうな、と思って、実行するのはやめておいた。



 そして今日は、驚くべきことに普通のデートだったようだ。

 手を引かれて少し経って、レイリが躊躇わずに入ろうとしたお店はジュエリーを扱うお店だった。それもかなり高級そうなところで、思わずわたしの足はすくむ。


「レイリ」


 私が戸惑えば、レイリはわたしを振り返って立ち止まった。手をつないでいる今、わたしが立ち止まればレイリも立ち止まらざるを得ない。


「なんだよ」


「ここ……本当に目的地?入るの?」


「そうだよ」


 面倒くさそうに返された言葉にわたしは震えかけた。けれど面倒くさそうな声の反面、レイリはわたしを無理に引っ張ることもなく応じてくれていた。


「カモフラージュには、一応いるだろ」


 一瞬理解が追い付かなかったけれど、その言葉の意味はすぐに自分で分かった。


「結婚、の……」

 

 結婚指輪という文化は魔力持ちのものではなく人間のものだ。魔力持ちにはそんなものがなくても、契約を結べば手首にそろいの契約紋が浮かぶのだから、その必要がない。

 けれど、人間の結婚は紙の上でのものだ。だから身体に変化が起きることはないし、自分と相手の結婚という契約を、指輪という形で見えるようにしておく人も多いということは知っていた。


「俺は、人間側でいる必要があることも多い」


 魔力持ち同士のわたしたちの契約に、それが必要なのだろうか。そう思ってレイリを見上げれば、そう返答が返ってきた。

 人間目線で見れば制度上の結婚すらしていないわたしたちにそれが必要なのかどうかはわからなかったけれど、レイリとしてはカモフラージュに必要だと思っているらしかった。


 レイリが今まで別行動でやってきていた仕事について詳しくは知らないけれど、人間の接待とか、純血の魔力持ちだけではうまくいきそうにない交渉事とか、そういう場にレイリが借り出されていることはなんとなく察していた。

 そう思えば、結婚しているのだと人間にも伝わるようにする必要があると考えるのは不自然ではないように思えた。正式に調べられれば婚姻届を出していないことはわかってしまうけれど、そこまでする人間はいないだろう。


 わたしが理解したことが伝わったのか、レイリはわたしの手をゆっくりと自分の方へと引き寄せた。驚いて顔を見上げれば、レイリは表情を変えないまま、「後ろじゃなくて隣にいて」と小さい声で言った。わたしが慌てて頷けば、レイリは手をつないだまま、お店の中に入ったのだった。



 きらびやかな店内にレイリがいるのは意外な感じがした。けれど店員とやりとりをするレイリを眺めていれば、そこに当然のように馴染んでいるようにも見えた。

 

 わたしが店へ入った時、少しだけ空気が揺れたことを感じた。魔力持ちが来ればこの反応になることは当然だろうと思ったけれど、レイリがぐいとわたしを引き寄せてわたしの腰を抱けば、そのぎこちない空気も薄まったことを感じた。

 やっぱり髪と目の色、変えてもらえばよかったかな。そう思いはしたけれど、そうするのは嫌だったのだ。その理由は自分では、はっきりと言葉にはできなかったけれど。


 目の前に並ぶきらきらしたアクセサリーに、わたしは緊張していた。綺麗だなとは思ったけれど、値札のないそれにややびびっていた。

 けれどレイリは全く憶することなく、店員とやりとりしながら指輪を選んでいく。ときどき「あんたはどう思う」とわたしにも確認してくれていて、けれどわたしは落ち着かずそれどころではなかった。レイリもそれは分かっているようで、わたしがどうしても嫌だと思っているわけではないということだけは確認して、あとは適当にやってくれていた。

 別にわたしには必要のないものでもある。だから、レイリが良いようにしてくれればとも思っていた。


 それより、わたしはずっと、やはりこの人は人間としても振る舞う必要があるのだということを実感していた。レイリの背景や事情は全く知らないし、いつも飄々としていて腹が立つ存在だったけれど、考えてみれば混血のレイリは、とても複雑な立場にいるのではないだろうかとやっと実感を持った。


 彼の事情など関係ないと今までは思っていたけれど、レイリもきっと色々な大変なことがあったのだろうなと、今はそのことを受け入れられるような気がした。

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