1 「相性悪かったら大変だもんねえ、魔力持ち同士は」
「なーんで俺らが、こんな仕事しないといけないんすかね」
男性にしては高めの声が、不満げにそう言った。それ、昨日も聞いた。いや、多分おとといも聞いている。ここのところ何度も聞かされているその言葉に、わたしはそろりと顔を上げた。見えたのは小型犬っぽい愛嬌のある顔を歪めて「うんざりしています!」という表情をした若手研究員の男子だ。王立学院新卒1年目、20歳で今年研究所へと入ってきた彼は、この半年ほどの間でやっと一通り仕事ができるようになってきたところだ。
そして毎度口をとがらせながら、言っても仕方の無い、そんなことを言う。
「アサクラ、まぁた言ってるのー?」
その横でちょっと面倒くさそうな表情をしてそのアサクラを見ているのは、大きい目に華奢な体格、職場に着てくるにしてはやや甘めの格好をした、ゆるふわに見える女子だ。アサクラよりも1年先輩の、彼女の大きい瞳は呆れたように細められる。
「だってさー、モモちゃん先輩、こんなことやったって、俺らにはメリットないっすよね」
「人間と仲良くするためでしょうがー」
「そうだけどさー」
ダラダラと続くそのやりとりは、もう何度繰り返されたかも分からない。アサクラの不満な気持ちは分からなくもないけれど、毎度毎度言うアサクラは諦めが悪いし、毎度毎度突っ込むモモちゃんは優しいよなと思った。
この環境に慣れてしまったわたしは、もうそんなことは思わなかった。それに、アサクラの愚痴に付き合う気力も湧かない。二人の若さゆえのやりとりなのかもしれない。そう考えてから、とは言ってもわたしも研究所では若手に入るし、モモちゃんとは3歳しか離れていないのだと思い至る。それでは、元々の気質の違いだろうか。
そんなことをぐるぐると考えつつ、わたしは巻き込まれないようにと思いながらもちらりと二人を横目で見ていた。
研究室の年少チームふたりのそのやりとりにはややうんざりもするけれど、それがなければもしかしたらこの第13研究室は静かすぎるかもしれないとも思った。少なくともふたりともいないこの空間で、わたしはおそらくうまく呼吸ができないだろう。そう思えば、ありがたい存在であるのかもしれないとため息をつく。
そしてそのやりとりに、わたしと同様、関わらずにいた人物がもうひとり。この広くはない第13研究室で働いているのは、チームの4人だけだ。今度はそちらから、いかにも面倒くさいと思っていそうな声が聞こえた。そしてこの人こそ、わたしがうまく呼吸ができない原因そのもので。
昨日の帰り、人目を憚らず、ナンパをしていたヤツである。
「今日はもう上がるから」
文脈などなにもない、全ての流れを無視したその言葉に、時計を見れば確かに定時を過ぎたところだった。
ぎゃいぎゃいと会話を続けていた二人は、今度はその声にすぐに反応する。あんなに喋っていて、どうして覇気のないその声に気付けるのだろうと不思議に思った。
手元に目線を落として手早く帰り支度をするその男は、昨日の甘い優しげな表情は浮かべていない。
「えーレイリさん、まーたデートですかぁ」
けだるげに、そして明確に、面倒くさいから関わるなという雰囲気を醸し出しながら帰ろうとするレイリの様子を物ともせず、アサクラと話す時よりも少しトーンの高い声でモモちゃんが話しかけると、逆にレイリのトーンはなおさら下がったのが分かった。
「問題ないだろが」
「えー、相手が毎回違うのは問題じゃないんですかぁ」
「レイリさん!どうやったらそんなモテるんすか!」
レイリはモモちゃんとアサクラにちらりと目線をやる。わたしたちよりも色素の薄い明るい茶色の、良く言えば意思の強そうな、悪く言えば目つきの悪いその三白眼が、わたしは苦手だ。けれどモモちゃんもアサクラも、そんなことは全く気にならないようだった。
レイリは「じゃ」と言って、自分の荷物を持って扉へと向かう。この4人で成り立つ第13研究室の中では最年長で室長を任されているにも関わらず、彼がコミュニケーションを怠るのもいつものことだ。昨日の場面を見ても思うけれど、できないのではない。彼は、やらないのだ。
ハートの強い二人は今日もそれを微塵も気にかけない様子で「今度こそモモともデートしてくださいねぇ」「合コンなら今度は誘ってください!」と声をかける。けれどレイリは振り返りもせず、ためらうことなく扉を開けて部屋を出ていった。
いなくなったその空間で、わたしはやっと深く息を吸えるような心地がした。あの目も、振る舞いも、とても苦手だ。
「モモには落ちないんですよねえ、レイリさん」
桃色の頬で悩ましそうにそう言うモモちゃんのそれが、本気ではないことをわたしは知っている。けれど思わず、本気で悩んでいるように見えるその、常に整えられた可愛さには感服しそうになる。その裏でモモちゃんが努力をしているのをよく知っているから、なおさらだ。
「職場で関係もつのは嫌なんじゃないすか、それか人間が良いか」
「まあ、相性悪かったら大変だもんねえ、魔力持ち同士は」
「いやまあそうじゃなくても、裏側丸見えのモモちゃん先輩のところにはレイリさんは行かなそうっすけど。そうだ、モモちゃん先輩、代わりに、全てを受け止められる俺とか、」
「トウノさんはぁ?」
唐突に自分へと向けられた矛先に、わたしはちょっと面倒くさいと思いつつもモモちゃんの方へと顔を向ける。モモちゃんとわたしは仲が良い。たとえば学校で同じクラスにいたら全く関わらないようなタイプだったけれど、関わってみれば気を遣える努力家のとても良い子である。
「何が?」
「レイリさん。どう思います?」
「どうもこうも、仕事さえしてくれればなんでも」
わたしがため息をつけば、モモちゃんはにっこり笑う。
「仕事ができる良い男ですもんねえ、やっぱりトウノさんも狙いますぅ?」
確かにレイリは仕事ができるけれど、それとこれとは別の話だ。モモちゃんも、それを分かっているのに敢えてわたしに聞いていることは明らかだった。わたしがそれに返事をせずに肩をすくめれば、モモちゃんは気にした様子もなくまたアサクラとの会話に戻る。
「モモちゃん先輩と俺、相性合うと思うんすよ」
「ええ、何を根拠に?触れてみなきゃわかんないでしょーが」
「え、今触っちゃいます?やっちゃいます?」
「はい、セクハラで訴えまーす」
「ええ、試しに1回握手だけでも!俺こんなにモモちゃん先輩のこと好きなのに、身体が受け付けないかもしれないとか悲し過ぎます」
人間と同じ姿形をしているのにも関わらず、わたしたち魔力持ちは人間から恐れられている。それは人間が使うことのできない膨大な魔力というエネルギーを扱うことができるためであるし、人間とは異なる性質を持ち、人間には理解できない部分が多いからでもある。
その一つによく上げられるのが、魔力持ちのエネルギー暴走だ。
魔力持ち同士は、たやすく相手に触れることができない。その体内に持つ魔力で、相性が合う・合わないがはっきりと別れるためだ。本人の性格、相手への思いに関わらず、相性が合わなければ身体と魔力が拒否反応を起こす。
それは大抵は静電気のような痛みをお互いに感じるだけで済むけれど、相性が最悪だとその場に大きな魔力が放出されることになる。それが強すぎれば、本人同士だけではなく周りにもその影響が及んで被害が広がってしまうのだ。
むしろ魔力持ちの本人同士は魔力耐性があるためになんとかなることが多いのだけれど、魔力耐性のない人間にとっては、それは恐怖でしかないだろう。
そのため、大人になってそれなりの安定した魔力をもつようになった魔力持ちは、安易に他人に触れることをしない。
「レイリさんのあの膨大な魔力量で、拒否反応が出たらやばそうですよねぇ」
モモちゃんは今度はわたしを見ながらそう言って、後ろで「それはやばそうっす」とアサクラが頷く。
「だから、レイリは人間食い散らかしてるんでしょ」
わたしがそう言うと、モモちゃんは楽しそうに「食い散らかすって」と笑った。パッと花がほころんだような、可憐な笑顔である。けれど内実、モモちゃんは強かに生きている。そしてわたしはそんなところが好きだなと思っている。




