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21 「レイリは不在なんですね」

 翌日の朝、第13研究室のホワイトボードを眺めながら、わたしは昨日のことを思い出していた。昨日レイリが言っていた通り、今日は始業の時間になっても出張に出たレイリとモモちゃんは研究室に姿は見せなかった。


 昨日の夜、一人になってからここ最近でもこれ以上ないくらいに色々と考えたけれど、やはり今の自分はどう考えてもちょっとおかしくなっている、という結論にたどり着いた。

 前は誰がどんなことを言ったって、どうせ自分にはそんなに関係がないことだと受け流せたし、傷つくことだってなかった。そうだ、あのレイリの言葉に、なぜか自分が傷ついたのだということは分かった。


 けれど、それは正統な傷つきではない。


 例えばわたしが本当にレイリと恋人関係ならば。その傷つきは正統なものだったと思う。お互いを大切にする契約のようなものをした上で、こちらを見てくれなくて不安になるのも当然だし、自分より他の人が―特に他の女の子の方が―良いと言われたら、それは傷つくだろう。


 けれど、わたしとレイリはそんな関係ではないのだ。だから、勝手に、わたしがどこかで勘違いをしてしまったのだろうと思った。

 この1カ月のことを振り返れば、お互い嫌々ながらも目的のために、それなりに同じ時間を共有した。わたしは今まで家族以外の誰ともこんなに一緒にいたことはなかったし、ここ10年、わたしの人生において最優先だったのはわたしの秘密を守ることだった。けれど、レイリに対してはその緊張感がなくなっていたのかもしれない。


 怖いし、近づけば彼の中の何かが流れ込んでくるのは分かったけれど、未だにそれをはっきりと掴み取れないわたしは、多分、彼の中にあるものがなんなのか、彼がどんな人なのか、気になり始めてしまっていた。だから、レイリにそんな意思がないのにも関わらず、わたしが一方的に距離感を勘違いしてしまったのだろう。



 わたしは、ため息をついた。見上げたホワイトボードの、レイリとモモちゃんの欄に『黒の庭出張』と赤字で書かれているのは、あさってまで。

 レイリと離れていられるうちに、今までの人との距離感ややりとりの感覚を思い出さなければ、と思った。いや、前と同じではいけない。今度からは流されるのではなくて、自分が意識して、レイリと距離をとれるようにならなければいけないのだ。自分の気持ちをいつもきちんと捉えているわけではないわたしにとって、それはとても難しいことだとは思ったけれど。


 けれど、やる必要があるのだ。だから、この3日間は人との距離感をはかり直すために、仕事で話す必要が出てきた人とはきちんと話してみようと思った。秘密を共有する人を他に作るわけにはいかないけれど、レイリ以外にも少しは緊張しなくて済む相手を作ってみれば、レイリが特別でないことが分かるはずだ。


 そう、レイリはわたしの特別ではないし、わたしはレイリの特別ではないのだから。



*****



「すみません、ブラックリストに載っている黒の、幼少期のデータが欲しいのですが」


 その日の夕方、第13研究室には珍しく来客があった。黒い髪に黒い目をした、20代後半くらいに見えるすらりとした男性。

 

 最初に対応したのは、たまたまその時間に部屋で事務作業をしていたアサクラだった。わたしはまだ子どもの判別と調査の作業が終わっていなかったために不在にしていた。けれど、全ての子どもの対応が終わって研究室へと戻ろうとしていた廊下で、アサクラが慌てながらわたしのところへと駆け寄ってきたのだ。


「どうしたの?」


「トウノさん、すみません、来客で」


 簡単な用事なら、アサクラ1人でも請け負えるようにはなってきたけれど、なにせ新卒1年目である。まだまだ分からないこともあって当然だし、と思いながら「どんな用件だった?」と聞いてみると、アサクラは落ち着かない様子だった。


「過去のデータが欲しいって。ブラックリストの。それで、騎士団の制服着てる人で、たぶん、偉い人っぽいんですけど」


 わたしはそれを聞いて、少し驚いた。そんな人がわざわざ、第13研究室にやってくることはほとんどないからだ。よく分からなかったけれど、わたしは足早に研究室へと戻った。



 そして、研究室に申し訳程度においてある応接用のソファに、その人は座っていた。そこにいたのは、たしかに騎士団の制服を着た、けれどアサクラから聞いてわたしの脳内でイメージした偉い人とはかけ離れた、若い男性だった。


 アサクラに「お茶を出して」と小声で頼んでから、わたしはその人のところへと向かった。その人はわたしを見上げて、それからにこりと笑顔を作った。そして最初に言われたのが、「すみません、ブラックリストに載っている黒の、幼少期のデータが欲しいのですが」だった。


 立場的に偉くても最初に名乗るくらいはしてほしい、と思ったけれど、今はそれに引っかかる場面ではないし、ヒラのわたしたちにそれを言えるわけがなかった。


「お待たせしてしまい申し訳ありません、第13研究室のトウノ・フジヨシです。ブラックリストの、というのは、どの人物のものでしょうか」


 第13研究室では、子どもたちの判別や調査をして、そのすべてのデータを保存してある。それが何かに使われることがあるということは知っていたけれど、基本的にはそれを使うのはわたしたちの仕事ではないので、詳しいことはわたしも知らなかった。

 そしてブラックリストとは、黒の中でも、黒の庭で厳重に管理される必要があるとされた危険度の高い黒をまとめて呼ぶ時に使われる名前だった。数はそこまで多くないけれど、ブラックリストに登録された黒は厳重な魔力封印を施された頑丈な棟に入れられて、庭の中ですらも、自由に歩くことはできない。


「ああ、失礼、名乗っていませんでしたね」


 一瞬、わたしはドキリとした。頭の中の思考を読み取られたのかと思ったからだ。相手がレイリであれば、確実に読み取られていた所だろう。

 けれど、この人がそんなことをできるわけがない。すぐにわたしはその不安を追いやって、「いえ」と相槌を打った。


「私は騎士団第9番隊所属、カイ・タキシマです。急な訪問、申し訳ありません」


 物腰の柔らかそうな声と笑顔の人だった。9番隊は確か、情報を扱う部署だったはず、と頭の中で思いながら、わたしは首を横に振った。


「実は、依頼をしていたはずだったのですが、それが期日になっても届かなかったものですから。他の用事もあって研究所に足を運びましたので、久しぶりだし顔でも見てやろうかと思いまして」


 主語がないその話に、わたしは一瞬面食らった。依頼をしていたのに届かなかったというのならこちらのミスだろうと思ったけれど、タキシマ氏は怒っている感じでもない。そして、顔でも見てやろう、というのはつまり、知っている人に依頼していたということで。


「あいつは元気ですか?レイリは」


 レイリという名前が聞こえて、わたしは内心ギクリとした。別に、何かあるわけでもないのに。

 にこりと笑って首をかしげるその人と、レイリの不愛想な感じは真逆なような気がした。


「レイリの、お知り合い……」


 そしてわたしの口から思わずこぼれた言葉にも、タキシマ氏は気にせずに頷いた。


「ええ、騎士団の同期で。と言っても、僕は中途での騎士団採用なので、あいつよりも年は3つほど上ですが」


 最初になぜピンと来なかったのだろうか、と自分に驚いたけれど、騎士団といえばレイリが新卒で働いていた場所ではないか、とやっと頭の中でつながった。


 そこでアサクラがお茶を持ってきてくれて、わたしはその少しの()に救われた気がした。自分が少し落ち着かない気持ちになっていたことも、アサクラが来てくれたから気づいた。タキシマ氏はアサクラにも「ありがとうございます」と丁寧で、すぐにそのお茶をひとくち口にした。


「それで、ブラックリストの件ですが、レイリへ依頼をされていたのでしょうか」


 確認しておかなければ、と思ってわたしから尋ねれば、「ああ」と言いながらタキシマ氏はティーカップを置いた。


「そうなんです、愛想はないけど仕事はきっちりしてるやつでしょう、だから珍しいなと思って」


「申し訳ありません、今からすぐにご用意しますので、もう一度詳細を教えて頂いてもよろしいですか」


 データをそろえてお渡しするだけなら、分量にもよるけれど小一時間くらいで出来るはずだ。そう思ってわたしが立ち上がろうとすれば、「ああ、良いんです」とタキシマ氏の手がわたしの前に差し出される。


「レイリは不在なんですね」


 首をかしげながらわたしを見ているタキシマ氏は、おそらく悪い人ではなさそうだというのは分かった。レイリとは全く似ていないけれど、同期なのであれば知った仲なのだろう。


「ええ、今日から黒の庭へ出張で……明後日にならないと戻らないのですが」


「そうですか」


 そう言うとまた、タキシマ氏は紅茶を一口、ゆっくりと飲んだ。そういう動作が、とても優雅に見える人だなと思った。


「データは、レイリが戻り次第もらうことにしましょう。私もこちらで滞在する用事もありますので」


 依頼主がそう言うならそれで良いのかなと少し戸惑っていれば、「そうだ」とタキシマ氏の柔らかい声が聞こえてわたしは顔を上げた。


「よろしければ、食事など一緒にいかがですか?レイリの近況なども聞きたいですし」


 唐突なその誘いに、わたしは今度は本格的に戸惑った。多分、驚いた顔をしていたと思う。けれどタキシマ氏は、畳みかけるように「それに」と口を開いた。


「レイリと話すより、あなたのような可愛らしい女性と話した方が楽しそうだ」


 強引なような優雅なような、そんなタキシマ氏の態度に、わたしは自分が混乱していくのを感じていた。

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