20 「それが答えですね」
「今日はレイリさん、別のお仕事ですねぇ」
週半ば、午前中の仕事にひと段落がついた昼休み。モモちゃんとアサクラとわたしは、第13研究室で一緒にお昼ご飯を食べていた。ホワイトボードのレイリの欄には「外部」と赤字で書いてあって、どうやら外へと出ているらしかった。朝からわたしも、その姿を見かけていない。
先ほどまで午前中の仕事の話をしていたのに、ふと、モモちゃんはレイリの話題を持ち出してくる。これも仕事の話と言えなくはないけれど、モモちゃんの質問の意図は別のところにあるような気がした。
「そうだ俺、お二人の関係のこと知らなくて!昨日モモちゃん先輩から聞いてびっくりしましたよー!確かに最近レイリさん、なんだか研究室によくいるなと思ってましたけど!」
そしてその話を、レイリとわたしとの関係性の方向にアサクラが広げようとしていた。
レイリと秘密の共有を始めてから、すでに1カ月ほどが経っていた。モモちゃんはどうやら、その間、このことをアサクラに言わないでいてくれたらしい。モモちゃんの口が堅いのはたぶん本当なのだろう。
けれど、昨日アサクラに伝えたというのは、もう口を堅くする必要はないと思ったのかもしれない。
「いや、別にわざわざ言うことでもないかなって……」
わたしは苦笑いを浮かべた。
アサクラも知ってしまったのなら、余計に色々なことを聞かれそうで面倒くさくなりそうだなと内心ため息が出そうになる。けれど、話を合わせて偽恋人としての関係を見せておく必要があるのは分かっているし、同時にモモちゃんがアサクラにもう言っても良いだろうと思った気持ちも分かる。
なぜなら、最近のレイリがとるわたしへの距離感が、前よりも近くなっているからだ。もちろんそれは外限定の距離で、わたしと二人きりの時には元の不愛想さに戻るのだけれど。いや、むしろ、二人きりの時は以前よりももっと冷たくなったような気もする。
そしてそれはどちらも、たぶん、わたしが欲求を抑えられなかったあの夜から徐々に、だった。
「最近レイリさん、すっごいトウノさんのこと大事にしてますもんねぇ」
ニヤニヤと言うモモちゃんに、やはりわたしは苦笑いを浮かべるしかない。
あの夜からはすでに、10日ほどが経っていて。けれど、どうしてレイリの距離感が変わったのかは、わたし自身も分からないでいる。
あの夜、わたしの性的な欲求を解消するために、レイリはわたしに触れた。
おそらく、解消という目的のための必要最低限のことをしてくれたのだと思う。直接わたしに触れたのは彼の手だけだったし、レイリ自身の欲望のようなものは一切感じられなかった。
彼はわたしを慰めて、それからすぐに部屋を立ち去った。その態度からは、出来るならわたしに触れたくなかったのだろうなということは感じ取れた。
レイリがわたしから手を退けた直後、なんとも言えない初めて感じる疲労感に、わたしはぐったりとしていた。レイリはすぐにわたしから離れて、わたしの身体にバサリと布団をかけた。
「落ち着いたら帰れ。必要なら風呂も使って良い。俺は出かける」
命令口調で端的にそう言ったレイリはベッドサイドのテーブルに鍵を置いて、「閉めたらポストに入れてくれ」とわたしを振り返りもせずに出かけてしまった。
家主のいなくなった部屋で、わたしはレイリの言葉に甘えてシャワーを借りた。汗をかいて、気持ちが悪かったから。
けれど汗を流すと同時に自分の感情も落ち着いて来て、振り返れば自分の行動に冷や汗が出た。
わたしは自分の欲望のために、レイリを使ってしまったのだ。自分にそんな欲があることすら、まだ自分自身では認められていなかったけれど。
それから1週間たたないうちに、わたしはレイリにエネルギー吸収をお願いした。エネルギーが溜まりすぎて暴走することも、自分で抑えられない欲望がまた出てきてしまうのも、もう嫌だったから。
その時にまたレイリの部屋に向かえば、今度はわたしをソファに座らせたままで、レイリは手早く吸収を済ませた。もうわたしの魔力紋の場所は見なくても分かるようになったようで、レイリはわたしを直視せず、洋服に手を入れて、すぐにそれは終わった。わたしも、この日は前開きの洋服を選んで着ていった。
「……欲求自体は、吸収だけじゃ収まらないらしいな」
吸収が終わってから、レイリはやや嫌そうな顔をしてわたしにそう言った。やはりそうなのか、と思いながらわたしが頷けば、レイリはため息をついた。
「おそらく、……魔力が溜まってくるのと同時に生理的欲求も強くなりやすくなる。ただ、欲が高まってしまったらエネルギーを吸収しても意味がない。それぞれの欲を、それぞれのやり方で解消する必要がありそうだな」
「……じゃあ、とりあえずは、余計なエネルギーを溜めないようにしたら良いですか」
自分でも推測していたこととほとんど一致したその見解にわたしがすぐに返答すれば、「そうだな」とレイリは言った。
そうしたら、今後はそこまで間を開けずにレイリに吸収をお願いしよう、と思った。そしてその場でそれを伝えようと思ったけれど、レイリはその直後、すぐに「そろそろ帰れ」とわたしを部屋から追い出した。
これまで以上のそっけなさに驚きはしたけれど、とりあえずの対処方法が分かったわたしは少し安心しながら自分の部屋へと帰ったのだった。
そのため、少なくとも1週間に1度はレイリに吸収をお願いしようとわたしは決めた。
自分でその欲自体をコントロールできないという恥ずかしさも、身体に触れられる恥ずかしさもあったけれど、前回のような欲にとらわれる方がよっぽど恥ずかしかった。本来なら、本当の恋人同士でするようなことを、レイリにさせてしまったことへの負い目もあった。
「……レイリさんって、夜とか、優しいんですかぁ?」
ふと気づけば、モモちゃんが声を落としてわたしの耳元で囁いた。たぶん、アサクラには聞かれないようにとしたんだろうと思う。けれど、そんな配慮は意味をなさないほど、わたしの顔は一瞬で熱くなる。
そんな会話を、わたしは今まで誰ともしたことがないのだ。
「モモちゃん……!」
わたしがそれに抗議すれば、モモちゃんはくすりと笑った。赤くなるわたしを分かっていて、からかって遊んでいるみたいな様子だった。
「トウノさん可愛いなぁ、それが答えですね」
「え、なんの話っすか?」
空気を読まないアサクラが入ってきそうになって、わたしは「なんでもないから!」と首をぶんぶんと横に振った。
たぶん、その辺りの話題については、わたしに免疫がなさすぎるのだ。別にそういう行為全てがはしたないと思っているわけではない。けれど、自分がそういう風になることを、わたしが受け入れられなかっただけだ。
わたしは人ときちんと関わらずにここまで来てしまっているし、ましてや恋人などできるはずもなかった。自分にそういう欲があるとも今まで思っていなかったから、恋人でなくてもそういう相手がいたこともない。
ただ、たしかに黒は性に奔放だと聞いたことはあった。けれど黒は庭に隔離されるため実際にそんな姿を見ることもなかったし、それがどうして起きるのかなんて、自分は黒であるという意識はあっても全く考えたことがなかった。
アサクラが「のけ者なんてひどいっす!」と大きな声で抗議して、わたしがそれに必死で首を横に振り続けていると、部屋の扉が開いた。ノックなしで入ってくるのは、この第13研究室の人間しかいない。
「寺波、いるか」
入ってきたのは当然、ここにいない唯一の室員であるレイリで。
けれどその声は、いつもと違ってわたしの名前を呼ばなかった。
「います、何かご用ですか?」
部屋にいた3人とも、扉を開けたレイリへと視線を向けていた。モモちゃんは特に驚くこともなく、すぐに返事をする。
わたしとレイリが付き合い始めたと聞いてからのモモちゃんが、レイリに対する態度を少し硬くしていることにわたしも気づいていた。もしかしたら、わたしに気を遣ってくれているのかもしれない。
「ああ。急だけど明日から黒の庭に出張が入った、俺も行く」
レイリは、珍しく全くわたしを見なかった。
それは、前回わたしが行った黒の庭の出張に、今度はモモちゃんを連れていくという話だった。
それ自体は、別におかしな話でもなんでもない。仕事として、おそらく前回同様、レイリの補佐として第13研究室から誰かが派遣される。
それがわたしであろうと、モモちゃんであろうと、全く問題のないことで。
けれどわたしの頭は瞬時に、それを曲解してしまう。
わたし、もう、必要ないのか。
冷静に考えればそういうことではないし、今はそういう話につながるわけがないのだと分かっているのにも関わらず。わたしの頭は最近、自分を否定しようとしてしまう。前は、少しネガティブになることがあっても、ここまでひどくはなかったはずだった。
いや、そもそもレイリはわたしを必要だなんて一言も言ったことがないではないか。黒の庭の外でお目にかかれるはずのない黒がたまたま近くにいて、秘密も握れて言うことを聞かせられる。レイリの知りたいことを明らかにする実験に、わたしが適役だっただけだ。
「明日からですかぁ?」
そう言いながら、モモちゃんがちらりとわたしを窺うのが分かった。それは、どこか心配そうな視線で。
それを感じて、わたしは慌てて自分の表情に意識を向けた。外で自分の表情が動いているとも思えなかったけれど、意識して、なんともない、という顔を作った。
そうだ、なんともないはずではないか。何をこんなに、動揺しているんだろう。
そう思ってから、自分が動揺しているのだということに初めて気が付いた。そして意識すれば、少し心拍数も上がっている。
レイリは、相変わらずわたしを見なかった。最近だと、外にいる時はよくわたしのことを見ていたのに。その意図は、わたしの監視と観察なのだろうということは分かっていたけれど。それが普通になった今、いつもあるものがないだけで落ち着かない気持ちになった。
「明日から3日間だ。問題あるか」
レイリのその言葉に、モモちゃんはおそらくわたしに気を遣って、首をかしげてみせた。
「トウノさんの方が適任じゃないですかぁ?前回も行ってて、勝手も分かってるし」
そこで初めて、レイリの視線がちらりと一瞬わたしをとらえた。けれど距離がある今、レイリがどんなことを考えているのか、わたしに伝わるものは何もなかった。
分からなくて、不安になる。けれどモモちゃんに問題はないという風にも見せたくて、わたしは表情を取り繕い続ける。
「いや、寺波の方が良い。準備しとけ」
レイリはそう言って、それ以上は何も聞くつもりはないという雰囲気で部屋を出て行った。たぶん、明日からの準備をするのだろう、というのは頭では分かったけれど。
寺波の方が良い。
その言葉が、どうしてか、わたしの頭を離れなかった。




