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18 「だから言っただろ、馬鹿」

 声に焦りが混じってもその場から動こうとはしないレイリを横目に、わたしの身体はベッドへと向かっていた。

 レイリのベッドは一人にしてはややゆったりとしているサイズだったけれど、二人で寝るにはやや狭いかなと思った。手当り次第の遊び相手をここに入れることはないのかもしれないと、ふと思った。


 レイリを困らせたいという気持ちはとても子供じみて馬鹿げていることを自分でわかっているのに、意地を張っているみたいに勢いづいてひっこみがつかなかった。こんな自分が心底嫌になっても、もうわたしは足を進めるしかないような気持ちになった。


 けれど、わたしの内側にあるものは、それだけではない気もした。感じたことのない体の奥がじわりとする感覚がなんなのか、わたしには名前をつけることはできなかった。たぶん、それはレイリがわたしに触れてから出てきたものだった。



  わたしは自ら、広すぎず狭すぎないレイリのベッドにやや投げやりに横になった。少し勢いがついて、ベッドが揺れる。


 身体を受け止める柔らかさと少しの反発。

 誰も温めていないベッドの冷たさ。

 わたしの動きに呼応してギシリと鈍い音を立てるスプリング。

 見上げたのは天井の無機質さ。

 それから、勢いでふわりと浮き上がったこの匂いは――。



「……っ?!」



 半ばもうどうにでもなれという気持ちで、ただただ五感で感じることをそのまま頭で反芻していただけなのに、わたしの身体にはぎゅっと力が入って、急に内側から何かが押し寄せるのを感じた。


 焦るような、けれど焦りとは違う。

 怖いような、けれどどこか期待しているような。


 この感覚は何なのかと、わたしは混乱していた。間違いなく、今まで感じたことのない感覚だったから。

 ドクリドクリと脈拍が速くなっている気がした。それに、どことも言えない身体の奥がじわりじわりと何かで侵食されるような、もどかしいような感覚もあった。


 苦しい、と思った。


 そして、混乱する頭の中で色々な言葉が巡って、その中で身体が疼いているという表現が当てはまるのではないかと気づいた。わたしの身体は何かを求めているのかもしれない、と思った。


 息が上がる。

 身体が、熱を帯びる。


 けれど、何を求めているのかはわからなかったし、どうしてこうなっているのか、自分では全く見当がつかなかった。八つ当たりにはちゃんと自分で気づくことができたのに。すぐにまた、自分のことがわからなくなってしまって不安が増した。 

 ただ、今感じているものは、レイリの手がわたしから離れていった先程の感覚と少し似ている気がした。


 レイリを確認する余裕はなかったけれど、余計な何かが流れ込んでくる感覚はない。レイリはおそらく、先程から場所を移動してはいないのだろうと思った。そして彼がわたしを遠巻きに見ていてある程度の距離がとれているのだとしたら、これは流れ込むレイリの感覚ではないということだ。

 これはおそらく、わたしの感覚なのだ。



 息が苦しい、と思った。



「……っ、レイリ、」


 わたしは為す術もなく、息を吐きながらレイリを呼んだ。これも暴走だろうか、と思ったからだった。レイリに対して黒い気持ちを抱いて、それをコントロールできなくなってしまったのだろう、と。八つ当たりした相手に助けを求めるなど全く身勝手だなと自分でも思ったけれど、今のわたしはレイリを頼る他ない。


 必死の思いでそちらを窺えば、案の定、彼は先ほどいた場所から全く動いていなかった。その場で立ったまま、けれど先ほどと違うのは、手が目元に添えられていてその表情が曇っていることだ。



「……だから言っただろ、馬鹿」



 レイリはあまり聞いたことのない怖い声でそう言った。そして、しばらくの間こちらへ近づこうとはしなかった。




 沈黙が続いた。聞こえるのは、自分の浅くて荒い息と異常に早い心音だけ。助けてもらえない、そう思うと、時間は余計に長く感じられた。

 息が上がる中で身体の熱さを感じ続けていれば、次第に出てくるのは脳がしびれるような感覚だった。今まで感じたことのないような感覚の連続に、もうわたしは太刀打ちできなかった。


 そしてそんな中でふと気づいたのは、わたしが苦しんで身をよじる度に、とある香りがずっとしているということだ。

 華やかなわけではない、美しいわけでもない。ただただ蠱惑的で、甘くないのに甘い、わたしを誘うような――。


 苦しさの中でも、どこか頭の中で危ないと警鐘がなっていることに気づいた。



 息を落ち着けなければ、とまだかろうじて残る冷静な自分はそう言っていた。わたしはそれに従って、呼吸に意識を向ける。まずは吐いて、そして吸う。けれど、吸った時にまたその香りがした。そうするとまた、脳がしびれるようにピリピリとする。それに伴って、身体が熱くなって呼吸も乱れた。

 けれどその負のループのようなものがあると気づいた時には、もう自分ではどうしようもなくなっていた。



 荒い呼吸を続けるわたしは、香りを感じないようにしなければと思っても、耐えられずにベッドの上で身もだえていた。どうしたら良いのか分からないし、けれどこのままではおかしくなってしまうような気がした。ごろんと大きく身をよじれば、枕が顔に当たる。そこから、強く香った。きゅうと音を立てて、わたしの身体が反応する。

 身体が縮こまって、胸の奥が何かに潰されるような焼かれるような、そんな痛みにびくりと震えた。



「……おい」


 するとしばらくぶりにレイリの声が遠くから聞こえて、わたしはすぐにそちらへと顔を向けた。「れいり、」とその名前を呼んだ自分の声は聞いたことのない甘えたようなそれだった。まるで、自分が彼を求めているみたいだと思った。

 それに返ってきたのは、盛大なため息。


「あんたなぁ、」


 そのため息に、見捨てないで、と急に切ないような気持ちになって、力の限り首を横に振ってレイリの言葉を遮った。呆れられてしまう、見捨てられてしまう。そう思うと、泣きたくなった。


 ひとりで大丈夫、と繰り返しながらやってきたはずだった、今までずっと。誰に対しても、助けてほしいなんてそんなことを思ったことは一度もなかったように思う。いや、わたしが自分の気持ちに鈍感すぎて気づかなかっただけだったのだろうか。分からない。……わからない。

 苦しさの中では正常な思考は働かない。考え始めると、今までの自分の全てを疑えてしまった。



 わたしのそんな姿に、レイリはとても嫌そうな顔をした。熱くて苦しい、と思っている中でその顔を見て、わたしは余計に苦しくなったような気がした。身体の中心がうねって、キュッと胸が痛い。自分で自分をぎゅうと抱きしめれば、余計に鼓動が強く感じられた。



「……どうするんだよ」



 レイリが呟いたのは、わたしへの問いかけのようなそうではないような、途方に暮れたような声だった。もうレイリを困らせたことが嬉しいと思う自分は消えていた。

 今はとにかく、レイリが欲しい、と手をのばす。


「レイリ、」


 わたしの声に、レイリの顔はもっと険しくなった。そんなに離れた所にいないで、そんな顔しないで。こっちに来てほしいのに。触れて、ほしいのに。

 普段は絶対に思わないそんなことを、わたしは平気で考えていた。それくらい、苦しかった。


 レイリはわたしの声を聞いてから、その険しい顔のままで、乱暴にこちらへと近づいてきたのだった。

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