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0 その男、やばいので

「せっかく行くなら、ふたりきりになれる場所はどう?」



 少しだけ残業をした帰り道。背後から、聞き覚えのある声が聞こえた。そこまで低くないそれを、軽い声だなと思った。振り返るかどうか考える前に、わたしの顔は反射的にそちらを向いていた。

 薄暗くなってきた辺りは等間隔に並んだ街灯で照らされ始めていて、そこに立つ男が見えた。



 明るめの薄茶色の髪。前から見るとわかりにくいけれど、やや癖のあるその髪は後ろで束ねられていて、その目つきの悪さとは裏腹に柔らかさを演出していた。

 その目つきの悪い目も、今は笑うように細められていて、きっと知らない人が見たらそこまで気にならないだろう。


 そこにいるのは、先程まで同じ職場にいた同僚だった。とは言っても、職場である研究所では見たことのないような甘い表情を浮かべた()()で、研究所で飄々としている掴みどころのない()()ではない。

 そしてもちろんその言葉は、わたしに向けられたものではなかった。視線を少しずらせば、彼の前にはわたしと同じくらいの年齢であろう女性がいて、彼の言葉はそちらへと向いていた。


 お姉さん、その男、やばいのでやめておいたほうが良いですよ。


 内心、そんなことを思ったけれど、お姉さんは頬を赤らめてどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。わたしから見れば胡散臭いことこの上ないのに、その心の声は当然、お姉さんには届かない。


 けれど、わたしと比べると薄い色をしたその瞳の奥は、絶対に笑っていないはずだ。分厚い面の皮を、いつか剥がしてやりたいと思った。

 


 今日も熱心ですこと、と、わたしはため息をついた。彼が女性を口説く場面を見かけるのは、これが初めてではなかった。ここはわりと人通りのある路上、しかも職場の近くである。いつもこんな調子なのを、彼は隠すつもりすらないのだろう。案の定、研究所でも彼の女遊びの激しさは有名な話だった。


 ただただ、わたしの中には嫌悪感が湧いた。

 見慣れないその表情は優しげだった。誰から見ても軽いナンパ男という風貌だけれど、世の女性からはそこまで嫌われるものではないのかもしれない。



 わたしは、嫌いだけれど。



 そのコミュニケーション能力を、少しでも仕事が円滑に回るようにと使ってくれれば良いのに。

 そう思いながら、わたしは顔を前へと向け直した。軽い声はもう聞こえず、彼はお姉さんの返答をじわりと待っているようだった。その態度も、がっつかない良い男に見えるのかもしれない。実際、わたしの同期でも彼を「鋭い目で肉食っぽいのに、がっつかなくてかっこいい」と評する人もいる。いやいやナンパしてる時点でがっついてるよね、と頭の中では突っ込みをいれたけれど、いや、どうでも良いことではないかと思い直した。


 わたしには、そもそも彼のそんな行動など関係がないのだから。



 彼がこちらに気づかないうちに、早く帰ろう。わたしは一人暮らしの家へと帰るのだと自分の意識を向け直す。


 わたしは、彼の目が怖かった。こちらを向いていなくて距離がとれている今は平気だけれど、近づいた時に浮かぶのは、嫌悪感よりも怖さだ。


 家には誰も待ってはいないけれど、仕事で疲れた上にあれを見たので気分は最悪だった。早く帰りたい。

 どうしてこんなに嫌な気持ちになってしまうのかは自分でもわからない。けれど、そのあたりのことはすべて、今日はもう考えないことにした。


 わたしは足早に、「今日の夕飯は何にしようか」なんてことを考えるように意識してその場を離れたのだった。

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