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17 「もう、散々待ったけど」

「燈乃」


 意識が戻ってきたのは、レイリの声がしたからだった。

 いや、もしかしたら実際は、焦りのような(せわ)しない何かを感じたからだったかもしれない。


 感じるのは、ざわざわするような、呼吸がしづらいような、けれどなぜかその実感は薄いという、とても不思議な感覚だった。

 寝起きの頭に、自分のものかも分からないそのぼんやりとした何かはとても不快だった。同時に何かを考える前に、わたしはその流れ込んできたものに反応して一緒に焦っていた。

 

 待って。何が起きているんだろう。

 重たい不快感と不安に、わたしは助けを求めるようにまぶたを持ち上げた。


 目を開けた先にいたのは、無表情にこちらをのぞき込むレイリだ。それなりに近い距離で視線が合って、尚更強い何かがわたしに流れ込む。気づけばわたしの心臓はドクドクと脈を打っていて、これは現実なのだと言っている気がした。やっと覚醒し始めた頭で、わたしは瞬きしながらレイリを見つめ返す。


「レイ、リ?」


 そうだ、このわたしのものではない感覚は、レイリのものだ。


 今までの経験上、頭ではそれを理解することができて少し安心した。けれどすぐに、流れ込んでくる慌ただしく落ち着かない気持ちとレイリの無表情さにギャップを感じて、わたしはまた不安な気持ちになった。ついそろりと首を傾げたけれど、レイリは何も言わなかった。

 すると代わりにレイリの手がこちらへと伸びてきて、ためらいなくわたしの首元に触れた。するりと撫でてくるひんやりした手に、わたしは思わずまた目を閉じる


「ん……」


 無意識に身をよじれば、今まで感じたことのない、身体の奥がぎゅうと小さくなるような感覚がして戸惑う。けれどそれは気持ちが良いような気もした。


 それからまぶたの裏が明るくなって、わたしの身体をじわりと暖かいものが流れる。もうその感覚は最近繰り返されてきたもので、魔力探知されていることは分かった。

 けれどその慣れているはずの感覚にも、わたしはまたじわりと自分の奥から何かが湧き出しそうになっているのを感じて戸惑う。


「あ、」


 意図せずわたしの口から音がこぼれれば、レイリはその手をわたしの首元からそっと離した。



 寂しい。



 唐突に、そんな感情が浮かんだ。


 寂しい、まだ、その手で触れていてほしいのに。



 わたしは、そこでハッとした。

 たぶんそのはっきりとした気持ちは、レイリのものではなく自分のものだった。それを自覚して、驚いたわたしの覚醒のレベルは一気に上がり、今度ははっきりと目を開ける。けれど同時に、そんなことを自分が思うなんてあり得ないと、強くそれを拒否する気持ちが一瞬で高まった。

 わたしの意識が現実の世界へと引き戻される。どうにか、今自分が思ったことがレイリに漏れ伝わらないようにしたかった。いや、そもそもわたしが思ったことではないのだと、否認したかったのだと思う。

 だから、わたしはそれに意識を向けないようにと、逃げるような気持ちで慌てながら自分の口を開いた。


「……寝て、ました」


「見ればわかる」


 淡々とした風に見えるそのやりとりに、続いているこの忙しない感覚とわたしの中で高まった欲のようなものはなんなのかと混乱した。ぐるぐると考え始めそうになったけれど、レイリの大きな影がゆらりと離れていくのに気づいて、考えるのが止まった。


 わたしはソファに座ったまま眠っていたようだった。深く背もたれに沈んだ上体に力を入れて姿勢を整える。レイリは気づけば、少し離れた所に立っていた。



「……通話は?」


「終わった」


 わたしが尋ねれば、レイリは一言だけで返してくる。わたしはわたしでそれ以上話題を広げる必要もないかと思って、黙ることにした。先程出てきた自分の中にある見たくない気持ちとも少し距離がとれはじめて、大丈夫だろうと安堵する。

 きっとレイリもそのまま黙るだろうと思って、ふう、と一つため息をついた。混乱からは開放されたような気がしたけれど、まだ心臓がドクドクと脈を打っていることには気づいていた。


 けれどわたしのレイリの行動の予想は外れて、二人きりの場面では珍しく、彼は自分から口を開いた。



「寝不足なのか」



 腕を組みながらこちらを見ているレイリは、やはり表情には何も浮かんでいない。距離が少し離れたからなのか、もうほとんど何も流れ込んでは来なかった。

 心配されているのだろうか、と思ったけれど、きっとレイリのことだ。何かまたわたしのことを探っているのだろうという仮説が立つ。そちらの可能性の方が圧倒的に高い。


「いえ、……最近妙に眠くて」


 そう答えると、また眠たくなってきたような気がした。欠伸が出そうになって、わたしはそれを噛み殺す。人の前で、それもレイリの前で、こんな風になるなんて少しおかしいのではないか。ふと、そう自分で思い始める。


「……食欲は」


 レイリは続けてわたしにそう尋ねてきた。まさか更に質問をされるとも思っておらず、驚いたわたしはレイリをパッと見てしまう。いつもそうだけれど、質問の意図が読み取れずにまた少し困惑した。しかも、お腹がすいたなと思いながら眠りについたので、それが伝わってしまったのだろうかと少し恥ずかしいような気持ちにもなった。


 ぐっと、その恥ずかしさがわたしを覆いそうになった。



「……食欲、ですか」


 冷静に、と思いながら、少しでも意図を知りたくて言われたことを繰り返した。レイリのその()()()()()は、いつもわたしの気持ちに波を立たせる。


「最近、増えていたりは」


 わたしはじっとレイリを見ながら、どうだっただろうかと振り返る。眠気よりは耐えられるため、あまり意識はしていなかったけれど。


「……デスクのお菓子の減りは、早かったような。お昼食べても、ちょっと足りないってお菓子つまんだりもして……」


 思い出しながらそう言うと、レイリは難しそうな顔をし始める。口元に手を当てて、考えているような雰囲気もあった。

 なんだろう、と思ったけれど、彼の考えていることが理解できるとも思えない。それにも少し腹が立ってきて、それからわたしはレイリのその思考を、途中で止めてやりたいと思った。レイリは悪くないのに、それは八つ当たりのような黒い気持ちだった。わたしは自分でそれを、その場では止めることができなかった。



「……レイリ、それで、吸収は?」


 わたしのその言葉に、レイリはパッとこちらを見た。そんな風に、すぐに反応されることは珍しい。自分の思惑通りにレイリの思考を遮れたような気がして、してやったり、というようなことを思った。


 すぐに準備をしようと思って、わたしはソファから立ち上がる。前回はベッドに横になれとレイリから言われたためそれに従った。今回も同じだろうと、わたしはベッドに向かおうとした。レイリもすぐにそうしてくれるだろうと思っていた。


 けれど。



「おい待て」



 レイリから聞こえてきたのは、予想外にわたしの行動を止める言葉だった。わたしは驚きながらレイリの方を見る。その顔は、また意図も心情も読めない、無表情で。


 わたしはまた、自分が苛立つのを感じた。そして呟いた声は、自分で思ったよりも低く響いた。



「……もう、散々待ったけど」



 いつもいつも、レイリのペースで進んでいく。

 わたしが知らないわたしをも、レイリは分かってしまっているのではないか。そういう腹立たしさや、不安が浮かぶ。不安だからこそ、それをごまかすためにレイリを攻撃しようとしてしまうのかもしれなかった。そんな自分が、嫌いだ。なのに、どうしてこうなってしまうのだろう。


 わたしは秘密を握られて、それに従うしかないのは分かっている。けれど、嫌なものは嫌なのだ。それに、もうぐちゃぐちゃになってきて理由は整理できなかったけれど、怖くて、不安だった。



 わたしは、レイリの制止の声を聞かなかった。レイリに捕まらないように、と思った。

 だから、素早くベッドへと向かう。


「燈乃」


 名前を呼ばれたけれど、やはりその声も無表情で。だからそれは、わたしを止める要因にはならない。


「おい、」


 足を止めないわたしに、レイリの声に少しだけ焦りのようなものが混じった気がした。それを聞いてわたしの気持ちは少しだけ収まる。

 今のわたしの行動は、吸収が目的ではないのかもしれなかった。ただ、子どもみたいに、レイリを困らせたかったのかもしれない。それにもなんとなく、自分で気づいてしまった。そんな自分に、本当に嫌気が差した。けれどコントロールはきかない。


 こんな気持ちになる自分は、やはり黒なのだと、絶望のようなものと自分への嘲笑のようなものが出てくる。


 今までは、誰の前でも見せてこなかった自分。どうして、レイリの前だと出てきてしまうのか。

 こんな面を見せるような人は今までいなかった。自分でさえ、知らないような自分だった。諦めや、自分に対しての焦り、怖さ、いろいろな感情がないまぜになっているような気がした。


 けれど、わたしはそれに対抗できるものを持っていない。嫌いな自分に抗えず、わたしの中でぐっと黒い気持ちが強まったのを感じた。

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