15 「お邪魔しましたぁ」
「燈乃、ちょっと話しても良いか」
「きゃ~~~」
最近レイリから話しかけられる度、わたしが返事をするよりも前にくぐもった黄色い声が聞こえるようになっていた。
場所は第13研究室。自分のデスクに座って事務作業をしていたわたしに、レイリが話しかけようとしたところだ。その声の主は他でもない、近くのデスクからこちらを見ているモモちゃんである。
「……」
わたしがレイリに返事をせずにその声の方を向けば、「あっ」とモモちゃんはにっこりしながら、わざとらしく声を出した。
「お邪魔しましたぁ」
ここのところ、モモちゃんはずっとこんな感じだった。最初の頃はやめて欲しいとお願いしたり、うんざりしたり辟易したりしていたけれど、もうここまで続けばほとんど無の境地に至りかけている。
お昼ごはんを二人だけで食べた時にはレイリとのことを楽しげに根ほり葉ほり聞かれたけれど、別にモモちゃんに悪意があるわけではないことも分かっている。分かっているけれど、ここまでしつこいのは想像以上だ、とわたしは薄目でモモちゃんを見た。
そして自分の行動に気づいて、いや、やはりまだ無の境地には至れていなさそうだ、と言うことを改めて理解した。
モモちゃんはにっこり顔のままで、自分の仕事に戻る仕草をする。けれど多分、ここでレイリと話を続ければモモちゃんはずっとそのやりとりを窺っているだろう。モモちゃんはわたしの恋愛に相当興味があるようだった。少しだけ、モモちゃんは実のところレイリが好きだからこういうことをしているのではないかと思ったのだけれど、なんとなくその可能性は薄い気がしている。
わたしはレイリをちらりと見ると、レイリは傍でわたしを見下ろしていた。じんわりとレイリの力は流れ込んでくるけれど、それにも大分慣れてきたところだ。予想していないタイミングで近づかれたり、外側には出ていないもののレイリ自身が何かで感情的になっている時以外は、わたしがレイリに恐怖を抱くことは減っていた。
レイリの半ば脅迫とも言える交渉に応じてから、なんだかんだと3週間ほどが過ぎた。もう、レイリの纏うものに慣れないと身が持たない。慣れたのか、それとも麻痺して感じにくくなっているのかは分からないけれど、やり過ごせるならどちらでも良いかと、そこに関しては考えることをやめていた。
「出るか」
そう言ったレイリの顔は口角がやや上がっていて、二人きりの時には見せない顔をしていた。相変わらず、恋人に見せかけるためにと、彼は他人がいる場所ではこの顔をし続けている。
「そう、ですね」
モモちゃんにやりとりを盗み見られていることを感じながら、わたしは立ち上がった。レイリは特にそれ以上は何も言わずに研究室の扉へと向かう。わたしもその後に続いた。レイリが迷わずに進むその行き先は、おそらく小会議室だろう。この3週間の内でもとりあえず二人で話せる場所として、何度か使ったことがあった。
廊下ですれ違う人たちは、もう物珍しいものを見るような視線は送ってこない。ただ、なんとなく遠巻きに、ちらちらと確認されているような視線は感じたけれど。
モモちゃんのように直接的に騒がれなければなんでも良いか、と今は思っている。一応この交渉はわたしにも利があることだし、恋人として見られることに嫌さはまだ少しあるけれど、徐々に納得はしはじめている。
はじめは難しかったけれど、わたしも今は極力、他人がいる前ではレイリからのコミュニケーションを拒まないことにしている。モモちゃんがニヤニヤしているのは、おそらくそのわたしの側の変化についてなのだろうということも感じている。
今までわたしには恋人などいなかったし、興味すらなかった。いや、今もないのだけれど。だから、急に変化したわたしにモモちゃんは何かを感じているのだろうと思った。
小会議室に無言で入ると、すぐにレイリがその扉の鍵を静かにかけた。広くないその部屋は、苦手なはずのレイリと二人なのになんとなく落ち着く。
「結構、色んなことに対して感情が浮かぶよな」
「え?」
入るとすぐに文脈なく、レイリはわたしにそう言った。何のことかとレイリを見上げれば、その顔はすでに真顔だった。
「寺波にちょっとうんざりってところか」
ああ、わたしの気持ちのことかと理解して、「……そうですね」とわたしは頷く。レイリの話が唐突で理解しづらいことも、自分の中のものがレイリに伝わってしまうのだということも、まだ慣れることは出来てはいない。けれど、今はとりあえずそれを受け止めていくしかない、とは思っている。
「身体の距離が近いと、あんたの内面が流れ込んで来やすいことは分かってきた」
レイリは別に、わたしのことを知りたくてそういうことを言っているわけではない、ということも分かってきている。そして、わたしにはレイリの中のものがざっくりとしか掴めないのに対して、レイリはわたしの中のものをわりと詳細につかみ取ることができるらしいということも。
それを聞きながら思わず、悔しい、不公平ではないか、という気持ちになる。そうすれば、レイリはちょっと楽しげな顔になった。
しまった、これも伝わるのか。わたしは後悔する。
どんなことを感じ取っているのか、レイリに直接聞いたことはないから分からないけれど。だからこそわたしの中の全てが筒抜けているような気がしてしまって、わたしは恥ずかしさと憤りのようなものを感じた。
けれど、自分の感情を外に出さないようにはなんとかできたとしても、内側でも浮かばないようにすることなんて不可能ではないか。
「それで、本題は?」
自分の感情から意識の矛先をずらすために、わたしはレイリにそう言った。たぶん、それもレイリにはばれているのだろうけれど、レイリとてそこまでわたしをいたぶりたいわけではないようで、すんなりと方向を変えてくれる。
「ああ、吸収してから2週間弱経つけど、あんたから言って来ないから。そろそろしといた方が安全なんじゃねえかと思って」
「……どうでしょう、まだ、大丈夫だと思いますけど」
レイリの話は、わたしのエネルギー吸収の話だった。交渉が成立した時、レイリはわたしの中の魔力が溜まりすぎる前に吸収したほうが良いと言って、必要な時は声をかけろとも言った。そして、わたしもそれには頷いた。
前回、吸収を依頼したのは10日ほど前だ。倒れたあの日から数えれば約1週間後。その時はどのくらいの頻度が良いのかも分からず、そろそろしておいた方が良いのだろうか、と不安になったから自分からお願いした。けれどそれは、魔力が溜まりすぎたという感覚があってのことではなかった。
どういうことかと言えば、正直、自分の中にどの程度魔力が溜まっているのかということを、わたしは分からずにいるのだ。
前回の自己暴走の前に感じたのは、気だるさのようなものと数日続く頭痛くらいだった。もしかしたら他にも何か前兆はあったのかもしれないけれど、わたしはそれを感じ取れていなかったので、他には指標になり得るものがない。
10日前に吸収をお願いしたときのような不安も、今はない。体調も悪くないし、そこまで頻繁に吸収しなくても良いのではないかと思い始めているところである。
「わりと増えてきてるように思うけど」
レイリはわたしに断らずに、わたしの頭に手をかざす。パッと明るくなって、綺麗な光がすぐに霧散した。魔力探知をして、わたしの実際のところを確認したようだった。
許可なしにそういうことはしないで欲しい、と思ったけれど、感情すら筒抜けの今、魔力の量くらい見られてもどうってことはない、とも同時に思って、結局は何も言わなかった。
「……日によって増え方にばらつきがあるな、やっぱり、関わるものと関係があるのか?」
レイリのそれはつぶやきで、わたしに対しての言葉ではなかった。
そしてレイリのわたしと恋人として振る舞ってまでやりたいことが何なのか、目的は分からずとも、レイリがしていること自体には気づきはじめていた。
おそらくそれは、黒であるわたしの実験である。




