13 「秘密は共有してやる、その代わり」
「……別に、悪いようにはしない」
先ほどまでよりも角のない声がすぐ目の前から聞こえた。それで、意識がハッと現在へと引き戻される。わたしはきつくつぶっていた目をそろりと開けた。
視界に入ってきたのは、変わらず目つきの悪い顔だった。鋭い視線が、わたしの瞳を一瞬でとらえる。わたしは耐えられず、すぐに目を逸らした。
レイリが三つ目のボタンに触れてからどれくらいの時間が経ったのか、混乱した頭では分からなかった。けれどおそらく、一瞬なのだろう。
その一方で、ボタンに触れたレイリの手がそのまま止まっていることには気づいた。その言葉と行動の意味を理解するのにしばらくかかった。わたしが黙っている間もレイリは視線を逸らさず、わたしはそれに晒され続けていた。
「あんたの秘密を、他人に晒そうってわけじゃない」
結局わたしが何も言わないままに、レイリはまた口を開いた。優しいのか怖いのか、どちらにも感じられるような声の響きだった。それが不気味で、わたしはまた固まる。この人は何を言っているのだろうかと、頭もついて行かなかった。
レイリは頭の回転が遅いわたしの反応を見てなのか、やや面倒くさそうに言葉を続ける。
「秘密は共有してやる、その代わり俺に協力しろ」
秘密を共有。レイリに協力。それぞれの意味は目を数回瞬かせれば分かったけれど、その真意は分からなかった。ただ、不気味なその声にわたしは脅されているのだと理解する。
もしかしてわたしは、秘密を共有する担保として、レイリに協力することを求められているのか。
「……どうする」
そこまで低くないはずの声が低く響いて、それが脅しなのだとしたらわたしに選択肢はないだろうに、と思った。どうするなんて尋ねるのはおかしい。レイリへの憤りのようなものが浮かんで、けれどそれは恐怖ではなくて、わたしは少しまともな思考ができるようになったことを感じた。
「……もし、断ったら……?」
そんな選択肢があるのかと声に出して確認すれば、レイリは嘲笑するように片方の口の端だけを上げてわたしを見下ろす。そして同時に、三つ目のボタンに触れていた指先に力が込められた。
「分からせるまで、だ」
やはりもう、逃げ場はないのだ。わたしはどうやら世界で一番苦手な人に主導権を握られることになったのだということを、その言葉で理解した。ただ、嫌だとは思ったけれど、恐怖のような得体の知れないものは感じなかった。
「……協力、って」
何をさせられるのかと、レイリに尋ねる。おそらく、ここ最近レイリがわたしに馴れ馴れしくしたり周りにそういう関係であると誤解させようとしていたこともその協力に含まれるのだろうという見当はついたけれど。
「とりあえずは、恋人として付き合っているように振る舞え。その方が面倒がない」
言われたのはある程度想定していた言葉だった。けれどどちらかと言えばそんなに形のある関係ではなくて、手を出された内の一人として振る舞えくらいの要求かと思っていたので、レイリから恋人という言葉が出てきたことにはやや驚いた。そしてわたしのその顔を見てか、レイリはつまらなそうな顔をする。
「別に俺だって望んでない。ただ、今まで関わりが薄かったのに急に頻繁にやりとりし始めたらおかしいだろ。分かりやすい理由がいる」
レイリはいかにも不満げだった。レイリがやりたいことがなんなのかは分からないけれど、どうやら自分の気持ちをある程度制限してまでそちらを優先したいということらしい。
そして、「それに」とレイリは続ける。
「あんた、吸収が定期的に必要な身体だろ」
レイリはいつも以上にわたしを置いてけぼりにして話を進める。わたしが何がなんだか分からないと思っていれば、おそらくそれは表情にも出ていたのだろう。レイリはひとつため息をついてから、わたしに説明を始めた。まるで出来の悪い生徒だと思っているような雰囲気だなと思ったけれど、突拍子のないレイリが悪いのだ。わたしはそれは気にしないことにした。
「まず、あんたは黒」
レイリの手が三つ目のボタンからするりと離れる。代わりに、またわたしの心臓あたりを指さした。
「あんたが素性を隠していたことには、俺もずっと気づいていなかった。ただ、最初から妙な気配はしていた」
「……妙な気配?」
「俺にも何なのかきちんとは分からない。けど、他の魔力持ちからは感じないものをあんたからは感じていた」
「はあ、」とわたしが相槌を打てば、レイリはもう一度ため息をついた。わたしはちょっとムッとしたけれど、何も言わずにレイリの話を聞き続けた。
「それが、あんたが黒だからなのかは分からない。単純に、相性の問題の可能性もある」
「相性?」
わたしが首を傾げれば、レイリは今度は急にわたしの首に触れた。力のこもった冷たい手だった。肩がびくりと震える。
「……痛みや衝撃は」
急な行動に驚きはしたけれど、触れられても確かに、相性の悪いときに起きるとされている反応は感じられなかった。ふるふると小さく首を横に振れば、「相性が良いってことだろ」とレイリは言う。
「あんたも俺に、他の魔力持ちには感じないものを感じてるんじゃないか」
今度は単純に疑問に思っているという雰囲気の声だった。レイリはじっと、わたしを眺める。
どうしてか、初めてレイリとまっすぐに向き合っているような気持ちになった。その視線がわたしに向けられていても、圧はあるけれど恐怖はあまりない。
「……いつも、圧みたいなものは感じて、怖いなとは思ってましたけど……」
感じているそれをそのまま言葉にすれば、「へえ」とレイリは口元に手をやる。何か考えるような仕草を少しの間してから、また口を開いた。
「たぶん、俺が外に出さないようにしてるものを感じ取ってるんだろうな」
レイリは何かを理解したように、まるで独り言みたいにそう呟いた。けれどわたしにはさっぱりわからなくて、首をかしげる。
「何かがリンクするんだろう。自分の内に隠しているものすら、相性が良すぎると感じ取れてしまうってことかもしれない」
すぐに「他にサンプルがないからただの推測でしかないけど」とレイリは付け足した。
隠しているものすら感じ取れる。それでは、いつも感じていたあの圧は、レイリが普段は外に出さずに内側に持っている何らかの感情やエネルギーということなのだろうか。
「それはそうと、あんた最近調子が悪かっただろ」
わたしが考えている途中で、レイリは勝手に話題を変える。確かに頭が痛かったなと素直に頷けば、「気づいてるかは知らないけど」とまたため息のようなものをつきながらレイリはわたしを見た。呆れたような声だった。またイラッとはしたけれど、抑えて抑えて、と自分に言い聞かせる。
「急に魔力が増してる」
主語がないその言葉に、一瞬なんの話なのかとわたしは面食らう。
「魔力?」
「そうだ、あんたのな」
伝わらなさについに呆れている様子のレイリは、ぶっきらぼうにそう言った。
そして主語を言われても、わたしは面食らった。わたしの魔力が増えていると言われても、自分では全くピンと来ない。
「黒の庭であんたが倒れたのはおそらく、あの棟にいた強い黒の魔力に中てられたんだろう。黒同士は、負の感情が共鳴して増幅しやすい」
それは初めて聞く話だった。けれど、レイリは断定的にそう言った。高レベルの白にとっては、常識の話なのだろうか。
「あの時に、俺はあんたが黒だと気づいた」
「え、」
てっきり昨日の件で気づかれたのだろうと思っていたわたしが驚いても、レイリは淡々と話し続ける。
「他の白に見つかってなくて良かったな、医務班なんて呼ばれて黒の魔力に中てられたなんてわかったら、あんたが黒だってすぐにばれてた」
そういうことだったのか、とわたしは驚く。ということは、レイリはあの場で、わたしが黒だと分かった上でわたしを助けたのか。
「その後から、あんたの中の魔力が増え始めた。それも結構急激にだ」
自分のことなのに、なんだか実感がわかなかった。わたしはそもそも自分のことに疎いし、その上わたしには、他の使い手たちが自分でできる『自分への魔力探知』ができないのだ。『他者のためにのみ魔力が使える』という特性を持ち、自分のために魔法を使えないために。なので、自分自身では魔力の増減を数値的に確認することができない。
「だから体調が悪い日が続いていたんだろ、自分で治められるような増え方じゃない」
レイリはそれを感じ取っていたのだろうか。それとも、わたしの知らないうちに探知をされていたのだろうか。わたしはどこか不安な気持ちになった。
「そこで、魔力吸収が必要になる」
そう言ったレイリの手はすっと、またわたしの胸元へと向けられる。そして今度は、その手はボタンが開きかかったブラウスの上からそっとわたしの胸に押しあてられたのだ。




