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10 「あんたで遊んでも、楽しくなさそうだな」

 どうか研究所内には噂が広まらないで欲しいというわたしの願望をよそに、第13研究室の外にも、すぐにレイリとわたしの誤解の関係は広まってしまった。

 なぜなら、研究室へと戻って来てからのこの1週間程の間も、レイリは変わらず積極的にわたしとの関係を誤解されるように振る舞っているからである。もちろん黒の庭へと出張していた人達から広まった部分もあるのだろうけれど、それ以上にレイリの行動が起因しているはずだ。


 わたしはそのことで頭を悩ませていた。気分は最悪である。この先のことを考えれば気が重く、ここ数日は頭痛も治らなかった。これまでの人生で体調に悩んだことは正直あまりなかったし、自分の状態を感じづらいとは言え、それがストレスになっていることには気づかざるを得なかった。



「燈乃」


 午後。研究所内の資料室でわたしが必要な資料を探していれば、偶然なのかレイリも後から資料室へとやって来た。不幸なことに入り口近くにいたわたしの姿にレイリはすぐに気づいて、目つきの悪さを隠すように目を細めながら声をかけてくる。そんな顔しても本性は変えられないでしょうがと内心悪態をついた。

 以前ならお互いに無視していた場面なのに、この変わりようはなんなのだろう。わたしの平穏を返して欲しい。わたしはややイラつきながら、レイリの方へと顔を向ける。



 広めの部屋に所せましと並ぶ書棚に紙媒体の資料がぎっしりと置かれているその場所には、他にも数名の魔力持ちがいた。レイリに話しかけられて、わたしは自分に視線が集まるのを感じていた。それは、『やはり噂は本当なのか』という視線だ。

 外ではともかく研究所内では滅多に見られないレイリの微笑んだ顔は、わたしから見れば胡散臭いことこの上ないけれど、他の人達からすれば心を許した表情に見えるのかもしれない。

 そして研究所内でも、レイリのことを知らない人はおそらくいない。元エリートとして常に注目を集める人だと思う。とても厄介なことに。


 けれどそんな視線など気にも留めず、レイリはつかつかとこちらへやってきて、わたしの手元を覗き込んだ。


「調べものか」


 馴れ馴れしく感じる声とその距離の近さに、わたしは思わず一歩レイリから離れた。この人に近寄られると、不思議な圧を感じるのだということが段々分かって来ていた。視線を向けられたり声をかけられたりということにずっと怖さを感じていたけれど、物理的に距離が近くても同様の感覚になるらしい。今までは距離が保たれていたのだということを実感する。

 他の人には感じたことのないようなそれは言葉には表しにくい感覚だったけれど、恐怖感とか圧迫感とか、そういうものなのだと思う。たぶん、わたしが森で身を隠していた時にわたしの中に流れ込んできた恐怖は、このレイリの圧だったのだろう。

 

 レイリが膨大な魔力を持っているから、それが漏れ出ているのかもしれない。他にそんな力のある使い手に接近したことがないので、真実は確かめようがないのだけれど。



「……黒の庭について、少し」


 馴れ馴れしくしてくるレイリに対してわたしはと言えば、今まで通りの温度感で接しているつもりだった。すべてを無視することも検討したけれど、あまりに邪険にしすぎても仕事に影響がでるかも、とか、助けてもらったのは本当だしな、とか、色々なことを考えた結果こうなっている。

 噂は広まってしまってはもう手の打ちようがない。あとはほとぼりが冷めるのを待つだけだと耐える覚悟はしていた。


「ふうん」


 レイリは興味なさそうな声で相槌を打ちつつ、わたしの持っている資料をぺらりとめくる。距離が近い。興味がないなら声をかけないでほしい。

 わたしはさらに苛立ちを覚えた。

 

 そしてそんな距離感のわたしたちを見てか、資料室に数人いた他の人たちはそろりと部屋を出て行こうとしていた。おそらく、能力はあるが気分屋に見えるレイリに、興味はあれどあまり強い関わりは持ちたくないのだろう。それには心から同意できるなと思いながら、わたしもそれに続いて退室してしまおうと思った。


「では、わたしは戻りますので」


 距離を少し開けながらそう言ったのと、部屋にいた最後の一人が外へ出たのとはほとんど同じタイミングだった。わたしは入り口側に立つレイリの横を通り抜けようとして、けれど、それは叶わなかった。

 レイリの右手が、わたしの左腕をつかんだからだ。


 わたしの身体はびくりと震えて、反射的にレイリの顔を見てしまった。まずい、と頭の中で思ったときには、レイリと視線を合わせてしまっていた。身体が硬直して、その場から動けなくなる。そしてレイリの手が冷たいことは分かったけれど、衝撃や痛みは何もなかった。


「待て。人がいると()()()を崩せなくて疲れんだよ」


 レイリはそう言うと、わたしと視線を合わせたままで表情を変える。上げられていた口角がすっとまっすぐに戻る。

 何も映らない表情に、わたしはぞっとした。今まで見てきたはずの、その顔に。いや、ずっとわたしは恐れていたのだったか。自分でも冷静さがやや欠けていることは理解できて、よく分からなくなって考えるのを一度やめた。


「最近、妙に黒のこと調べてないか、あんた」


 低くなった声にも、身体が震えそうになった。その内容にも怯えたのかもしれない。それが図星だったから。


「……く、黒の判別をするために、当たり前です」


 言い返した声は震えていたかもしれない。疑われないように凛としていたいのに、と自分に歯がゆさを感じたけれど、別に不自然な行動をしているつもりもなかった。業務として必要なことでもある。

 ただ、わたしに後暗い気持ちがあるだけで。


「……別になんでも良いけど」


 レイリの手の力は弱まらない。カマをかけられているような気分になって、わたしはぐっと奥歯を噛みしめた。今のわたしはきちんと白に擬態できているはずだ。なにも、怖くはないじゃないか。自分に言い聞かせて、腕をつかまれた側の手をぎゅっと握りしめた。



「……なんでこんなこと、されないといけないんですか」


「は?」


 自分の内側に湧き出すものでストッパーが少し外れて、わたしは感情を表に出していた。明らかに怒りが込められたはずのわたしの表情にも、レイリは顔色を変えずにいた。それにもわたしは尚更怒りを感じた。


「わたしをからかって遊んでるの?」


「……あんたで遊んでも、楽しくなさそうだな」


 こちらに向き合う気のないのらりくらりとした返答だって、これまでと同じだ。これが、いつも通りのはずだった。

 けれど、どうしてこんなに腹が立つのか。考えるより先に思わず、わたしの声は大きくなった。



「じゃあ早くやめ、っ……!」


 やめてよ、と言いかけたところで、わたしはその先を口に出せなくなった。ずっとじんじんとしていた頭痛が、ずきんと、急に激しさを増したのだ。頭を締め付けられるような、針で突かれるような、そんな痛みだった。


 わたしは思わず、頭を抱えてその場にしゃがみこむ。レイリはわたしが感じていたほどは、わたしの腕を強くつかんでいたわけではなかったらしい。するりと、その手からも解放された。



 自分の鼓動が、信じられないくらいに速いことを感じる。

 わたしの中に渦巻くのは、レイリへの怒りだ。



「急だな」


 そんなわたしの行動に、レイリは一言そう呟いた。頭が割れるような感覚の中、わたしはその言葉に尚更強い感情を覚えた。


 立ち上がらなければ、何か言わなければ。


 そう思って足に力を入れようとしたことは覚えているけれど、わたしの記憶は一度、そこで途切れたのだった。

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